貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・特別編


















妊娠中毒症で倒れ、救急搬送後に男児を出産、
その後に死亡した妊婦Aさん。

男児は、重症新生児仮死で生まれてきました。

家族は悲しみを抱えながらも、男児の養育に
向き合うようになりました。 家族が男児の養
育を考え、生活を営めるよう、家族のダイナ
ミズムを捉えた看護支援が行われてきました。

それに加え、重症新生児仮死という状況で生ま
れてきた男児の将来のアイデンティティーを
大切にし、それが育まれるように支援がなされ
ました。

家族支援専門看護師が考えた男児のアイデン
ティティーとは何か。次のように看護師は語
りました。


生まれた時のことをうまく説明してあげら
れるか? 
 

「どのくらいの知的回復があるかはわからな
いですが、大きくなった時に、誕生日が母親
の命日でもあるということを、どう受け取る
かなって考えました。

この子の人生は病院のなかで完結するわけで
はない。物心がついてから自分が生まれた時
のことを質問した時、その時の状況を、どう
みんなが覚えてくれているのか? 

周りの大人の記憶が曖昧になって、生まれた時
のことがうまく説明ができないと、子どもの
アイデンティティーが大事にされず、本当に
愛されているのか疑問に思って、生きていく
力をそぐようなことになってしまうかもしれ
ない。

お母さんやみんなが、あなたをどれだけ愛し
ているか、誕生を喜んでいたか、そのメッセ
ージを残してあげたいと思いました」


「育児日記」を退院日にプレゼント  

看護師は、キャリアを積んだ今になって振り
返れば、そこまでしなくてもと感じるものの、

時は家族支援専門看護師となってから日が浅く、
毎日、体重、ミルクの状況等「育児日記」を書
き、今日はこういう笑顔や表情をしたと写真を
撮って、退院の日にデータもプレゼントしたそ
うです。
男児が将来大きくなった時、自分はその場に
いなくても、男児が父親や家族と自分が生ま
れ育っていった時のことを話せる機会があっ
たらいいなという思いを込めたと言います。


9年後、予想を上回る成長を知る

さらなる後日談があります。男児が入院して
いた新生児集中治療室(NICU)は再入院
できないところであり、看護師は通常、その
後の子どもの成長を知ることはないのですが、
実は、この男児については9年後、その状況
を知ることになったのです。  

男児の日常の医療面は近隣の病院でフォローア
ップしていたのですが、胃ろうを閉じる手術を
受けるために、看護師が勤務する病院に入院し
てきました。  

看護師はそのことを知って、「自分で食べられ
ているんだ!」と男児の素晴らしい成長・発達
に感動したと言います。

当初、医師からは「将来は寝たきり状態で歩行
は難しい。発達の遅れも予想される」と説明を
受けていました。  

家族支援専門看護師は、看護記録から、男児が
ご飯を口から食べられていることや、立って歩
くまではいかないものの、お座りをできるよう
になっていることを知りました。

言葉も単語は発しており、物の認識ができるよ
うになっていました。

当初の医師や看護師の予想を上回る回復力でした。

看護記録から垣間見えた父親の熱心な養育ぶり  
看護記録からは「お父さんが、お父さんしてい
るな」という記述が垣間見られたと言います。

記録には、男児の「パパはどこ?」とたずねる
ような様子がたくさん記録されていました。

男児の言葉として、パパに会いたいという思い、
パパから離れたくないということが記録に表現
されていて、お父さんががんばっていることが
伝わってきたと言います。

当時、お父さんは仕事が忙しく、昼夜の別のなく
働くこともあったのですが、男児のことを熱心に
養育されていることが伝わってきて、言葉で言い
表せない思いがこみ上げたそうです。  

看護師は「予想を超えた男児の回復力に感動した」
と語っていますが、男児の将来のアイデンティテ
ィーがきちんと確立されるよう、あらかじめ育児
日記を作るなど、その看護実践のなかで、男児の
成長・発達や回復の可能性を見据えたアプローチ
をすでに行っていたとも言えます。  

育児日記を作ることの意味は、人が生きている
証しを残すことであり、人の人生の過去から現
在、そして未来をつなげることに他ならないと
感じました。

看護師が語るように、看護師は患者や家族の人
生のある一時期のみかかわり、看護の手ごたえ
を十分感じられないと思うこともあるでしょう。

しかし、今回のケースから、その看護師のNI
CUでの一時期のかかわりは、男児と家族の過
去、現在、未来の大きな流れのなかにあるもの
だと教えられました。…

author:鶴若麻理 聖路加国際大教授















※… 娘夫婦と過ごす正月

息子も夫も逝って、大晦日は一人で過ごすの
かとあきらめていた。すると娘から電話があり、
「正月は私のところにおいで」と誘われ、本当
にうれしかった。

着替えや下着、おむつをリュックに入れ、どっ
こいしょと背負って娘の家へ出発。ムコ殿が優
しく迎え入れてくれた。

元日の朝。お年玉を娘夫婦や孫娘に渡すと、思
ったより喜んでくれる。孫娘はお返しにと素敵
なハンカチをくれた。ちょうど新調しようとし
ていたのでうれしい。

孫娘は恋人と同棲を始めたというので、なにか
コーヒーセットでも、とお祝い金3万円を渡す。

当然、大変な喜びよう。 すると娘があわてて飛
んできて「そんなことしなくてもいいのに」と
言ったが、もっと素直に「ありがとうお母さん」
と言えないものかと思う。


※…元日のお墓参りで

娘の手製の雑煮を食べたが、ちっともおいしく
なかった。

でもそんなことを言おうものなら、烈火のごと
く怒るに決まっているので、生煮えの餅を黙々
と食す。

そして、みんなで支度をして、息子と夫の墓参
りへ。

墓前では「昨年は仲よくお雑煮を食べたね、お
父さん」と涙があふれてきた。

すると娘がしみじみ言う。

「私、あまりお父さんのこと好きじゃなかった」。
驚いて娘を見る。「お母さんだってそうでしょ。

昔のことをグダグダ言ってさ」。 ちゃんと私と
夫のやりとりを見ていたとは。なんだか恥ずか
しい。

じつは、夫からチクチク言われなくなってホッと
した自分がいたのだ。

「でも、お父さん、さびしいよ」と手を合わせた。


author:※婦人公論では「読者体験手記」











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