貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

















※…
17年に亡くなった人気作曲家・曽根幸明さんの
妻で女優の太田きよみ(67)が19日放送のTBS
系「爆報!THEフライデー」(金曜後7・00)に出演。


曽根とは泥沼不倫の末の略奪婚だったと告白した。  
歌手藤圭子さんの代表曲「圭子の夢は夜ひらく」
や勝新太郎さんの「座頭市子守唄」など多くの曲
を手掛けた曽根さん。


数百万枚のレコード、CDを売り上げて億単位の
金を手にするヒットメーカーだった。  


曽根さんには下積み時代を支えた妻と2人の子
どもたちがいたが、太田と出会ったことで人生が
激変。


当時、お色気アクションドラマ「プレイガール」で
トップクラスの人気を誇る若手女優だった太田と
恋に落ち、不倫が始まった。  


当時19歳の太田と37歳だった曽根さん。箱入り
娘だった太田は今まで触れたことのない大人の
魅力に惹かれていく。


太田は曽根さんが妻と別れない中、2人の子供を
妊娠、出産。出会ってから14年後、第2子を妊娠
した後に2人はついに結婚した。…  



※…
だが、一つの家庭を壊した略奪婚の代償は大き
かった。


太田は結婚から1年半後に義母が直腸がんと
なり、子供の育児と義母の介護をする生活に。


不幸の連鎖は終わらず、曽根さんが脳梗塞を発
症。左半身マヒで車椅子生活を余儀なくされ、今
度は夫の介護生活をすることに。


太田は「悪い種をまいた実を介護という形で刈り
取っている。自分で犯した罪のつぐないの一つ
です」と語った。  


献身的な介護もかなわず、曽根さんは17年に
死去。待っていたのは遺産相続問題だった。


楽曲の印税収入は少なく見積もっても月に30
万円。死後50年間で推定1億8000万円がもらえ
ることになる。


太田は非難されることを覚悟で、前妻と遺産相続
問題の話し合いをするため直接対面することに。


叱責を受ける思っていたが、前妻からは「私たち
は印税は結構です」と驚きの言葉を掛けられた。  


前妻の直美さんは著作権相続を放棄した理由を、
曽根さんが病気で働けなくなるまで離婚後毎月
100万円の仕送りを払い続けていたと説明。


太田について「当時はいい感情は持ちませんよ。
でも、彼のお母さんの介護もしてくださった。


彼の介護も必死にしていて偉いなあと。5年、10
年も大変だった。


この人は本当に曽根を愛していると思って。
だから印税は当てにしなかった。気を楽にし
てください」と語った。  


前妻からの言葉を受け取った太田は号泣。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
と感謝した。…













※…
… ある日、雲門和尚(八六四~九四九)が弟子た
ちに向かって言った。


「今日までのことはさておくとして、これから十五日
間の生活の中で、いちばん大切だと感じたことを、
何か一句であらわしてみなさい」


弟子たちは、それぞれ、禅を修行した境地を指摘
するようなことばを見つけだそうとして、日夜、必死
になって悩んだ。


しかし、期限の十五日目になっても、誰一人答える
ことができない。


そこで雲門和尚は、自ら一句をつくって、弟子たち
に聞かせた。


「日々(にちにち)これ好日(こうじつ)なり」


このことばは、よく掛軸などにも書かれて、床の間
に飾ってある家庭もある。


ふつう、これは、毎日が平穏無事、快適に過ぎて
いくといった意味で使われているが、禅の場合に
はそうではない。


人生は晴れた日だけではない。 嵐の日や疲れた
日、絶望する日もある。


そうした毎日を、よい日と感じていくためには、
瞬間瞬間を精一杯生きることに尽きる。


美しいもの、正しいこと、よいものを心で受けとめる
ことができれば、毎日はよい日になる。


今日一日、この一瞬がすべてなのだ。


その日一日を充実させていく。 そうした日々を積
み重ねていけば、充実した人生になるということだ。


《自分の一生は今日一日しかない》



※… 『心配するな、なんとかなる』
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は
変らざりけり」


剣と禅で自らを鍛え上げた幕臣、山岡鉄舟の言
葉だ。 のちに天皇の侍従に就任した。


どんな天気になろうと、富士山の偉大さとその価
値は変わらない。 これは、人も同じで、どんなに
失敗しようと、あるいは成功していようが、その人
の価値は変わらない。


まさに、「日々これ好日なり」。


人生には、もともと良い日も、悪い日もない。
そう感じる自分がいるだけだ。


今日はひどいことばかり起きた、ツイてなかった
と思う人がいれば、この程度で済んでよかった、
ツイてると思う人もいる。


同じ出来事でも、その人の受け取り方次第、
感じ方次第だ。


「日々これ好日なり」の気持ちでありたい。 …


author:大徳寺大仙院閑栖(かんせい)、尾関宗園
氏の言葉より








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