貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編






















※…そして、退職=経済的危機、


生活破綻目前状況となった。けれど、郵便ポス
トには、新聞の他には請求書、税金、年金、
「お金払え」の紙ばかり。


お金ないんですけど。家を売る? けれど、こ
の家は、震災にも大雪にもびくともせず、父親
以上に子どもたちを守ってくれてきた。


私が死んだ後は家の負債はなくなり、子どもたち
に家と土地を残せて、生命保険料も入る。


しかし、うつ病のわりに元気、あちこち痛くて
つらいけど死にそうにない。


何だかんだとお嬢様育ちでお金に不自由せず育っ
てきたので、借金の仕方がわからない。


銀行で支払いをしていると、北海道が誇る俳優
・Oさんの等身大看板がカードローンを誘ってき
たので、ローンについてのパンフレットをもら
ってきた。


他の銀行からもローンに関するパンフレットを
色々もらってきた。銀行窓口に借金の申し込み
に行ってみた。


お金は借りられなかった。


そりゃそうだ。払える見込みのない母子家庭に借
金できる道はないらしい。


仕事ない、家のローン、夫から逃れるための度重
なる引っ越しで貯金も底をついた。


頼れる親も親戚も一人もいない。この先一年もつ
かどうか、不安はつきない。


万策つきたるところで、「生命保険を切り崩せま
すよ」と親切なライフプランナーさんが教えて
くれた。


捨てる神あれば拾う神あり、とりあえず急場を
しのいだ。ギリギリセーフ?  いや、結構アウ
トだな。


コロナ禍中、生きていられるだけでありがたい
のだが、やっぱり、とにかく仕事をしなきゃ。


求人募集が出ているいくつもの大学に履歴書を
提出したが、面接までいっても結果はすべて不
採用だった。


どうやら私は教員のブラックリストに載っている
のかと思うほど断られた


(面接を受けたある大学では、面接官のうちの
お二人が「天下りログ」に掲載されていた方だ
った)。


困窮しはてて、恥も外聞もなく、もと夫を頼っ
てしまったところ、教員にこだわらずに看護師
として病院で働けばいい、


親にお金がかかるなら、生活保護にしたらいい
と書かれた手紙が届いた。


私は、別に大学教員にこだわっているのではな
かった。


大学教員は裁量労働制で、授業・実習や会議、
学校行事以外は、自分で仕事の時間を自由にで
きた。


それに、これまでのキャリアも活かせる。決めら
れた時間に決められた場所に居なければならない
制限は少ない。だから、子どもたちを育てながら
仕事を続けることができた。


むしろ、昼夜なく、土日もなく、ずっと家で仕事
をしてきた。教育と研究、その他にも私大の教員
には山ほど仕事がある。


大学でなければできないこと以外は、ほとんどを
持ち帰って家で仕事をしてきた。


睡眠時間を削れる得意技は、自慢できそうなく
らい。子どもたちもそんな母親をずっと見てきた。


今、思うと、いつも忙しく、無理して限界ギリギ
リで働く母親の姿は、子どもにとっては切なかっ
たに違いない。


だから、次男は、私が死んでしまったらどうし
よう、という不安をいつも抱えるようになった
のかもしれない。



※…・神様、助けて 「神様、助けてください」、


最後は、神様に助けを求めるものなのだな。神は
乗り越えられない試練は与えないというがつらか
った。とても乗り越えられそうに思えなかった。


私は、実はあんな状況にあっても、離婚だけは
しないつもりだった。だから、皮肉にも離婚す
る直前に、「離婚はしない、死なない」、と誓
いを立てて洗礼も受け、クリスチャンとなった。


でも、信仰が薄かったからなのかしら、神様は
みてくれてなどいないのではないかと思った。


離婚したい、死にたいとばかり考えていた。


荒れ狂う夫の暴挙の中で、私は発作的に自殺を
図ったらしく、すんでのところで長男に止めら
れた。長男には悲しい思いをさせた。


私は「死にたい」病に取りつかれている自分を
自覚して、心療内科を受診した。


診察と心理テストの結果、はっきり「うつ」と
告げられた。


抑うつ状態ではあったが、まさか「うつ」の診断
がつくとは思っていなかった。


診断名は正直ショックだった。けれど、納得した。
抗うつ剤を服用してから、強い希死願望がなくな
った。それでも、つらくて生きていることが苦しい。


どう生きていいのかわからない。神様なんてい
ない、私を見つけてくれない、助けてなどくれ
ない、反抗的な感情さえもった。


そんなある日、心療内科の待合室の一冊の本に
目が留まり、不思議な感覚に包まれた。


心療内科には、不思議で素敵な変わった本がた
くさん置いてある。それは、可愛い猫の写真が
語り部となっている『人生はニャンとかなる』
というタイトルの本だった。


本を手にした時、読んでもいないうちから、
「何とかなるのかな、生きてさえいれば」と
思った。


そうか、神様はずっと傍にいてくださったんだ。
なぜなら、今こうして死なずに生きているから。


死んではいけない、生かされているのだから、
「助けを求めなさい」と、イエスはおっしゃる。


私が子どもたちにできること、そのたった一つの
ことは、とにかく死なないで生きること。


仕事もお金も、生きてさえいれば何とかなるかも
しれない。


実際、どちらも何ともなっていないが、あがいた
ところでどうにもならない。


「何とかる、何とかなる」、何の保証も確信も
ないが、そう思うことにした。…












※…斎藤一人さんの心に響く言葉より…


人は生まれてくる前に、神さまと二つの約束を
してきます。


一つは、この人生を楽しんできます。
もう一つは、人に親切にしてきます。


そして、死んで、再び光の国に戻ってきたとき
に、神さまに聞かれるんです。


「楽しんできましたか? 人に親切にしてきま
したか?」


そのとき、自分はどういう人生を神さまに報告
したいのか。 神さまに「成長して帰ってきたね」
とほめてもらいたいのか、どうか。 そういうこ
とを考えるのです。


現実の世界で自分が今、直面している問題は一旦、
横に置いて、光の国で神さまと再会したときのこ
とを考えるのです。


すると、それまで見えていなかった問題の本質
が見え、問題解決に向けて自分がやるべきこと
が見えてきます。


たとえ、 それらが見えてこなくても、大丈夫。


なぜなら、神さまとの約束を思い出せば、展開
が変わり、現実が変わっていくからです。


これを「見えている世界は、見えていない世界
と連動する」と言います。


神さまと約束したこと…この人生を楽しく生き
て、人に親切にすることを忘れないことです。


周りの人には親切にするけど、自分は楽しくない、
というのはダメなんだよ。 逆に、自分が楽しむ
ために誰かに犠牲を強いるのもダメ。


人は誰かの犠牲になるものではないからね。


では、どうしたらいいのかと言うと、いちばん
いいのは、「ともに」です。 ともに楽しく生き
て、互いに親切のしあいっこをするの。


それを、できれば笑顔でできると、なおいいよ
ね。 ただし、急に笑顔にはなれないから、笑顔
になろうと努力すること。


そして、その努力をはじめた自分をほめること。
その努力をしている仲間をほめること。



※…『人は死んでも生き続ける』


斎藤一人さんは、困っている人、悩んでいる人
に、「遠くをみるといいよ」というそうだ。


遠くを見るとは、目の前の問題から、いったん
離れて、自分が死んで、あの世で神さまに会う
ときをイメージする。


すると、視界がパーっと開ける。 目の前の問題
に捉(とら)われているうちは、視野や考え方
が狭くなっている。


ずっと遠く、すなわち、自分の死んだあとのこ
とまで考えたら、ほとんどの問題は小さな問題
となる。


もし、死んだあと、あの世の入り口で神さまに、
「人生を楽しんできましたか?」「人に親切に
してきましたか?」と言われたら、何と答えるか。


毎日、まわりの人を怒鳴り倒し、不機嫌をまき
散らしてきたのか、それとも、毎日をニコニコ
して、機嫌よく、明るく生きてきたのか。


自分のことだけを考え、人に思いやりのない言
葉や、冷たい言葉をかけ、常に損得勘定で動き、
自分の利益になることばかりしてきたのか、


それとも、人の身になって考え、優しく思いやり
のある言葉をかけ、人のために動いてきたのか。


神さまと二つの約束… 人生を楽しみ、人に親切
にできる人でありたい。…








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