貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・特別編














「二刀流? ふざけるな。一刀流でも大変なの
に、プロをなめるな!」


大谷翔平選手が日本のプロ野球で投手と打者の
二役に挑戦した時、球界の重鎮であった野村克
也氏にこのように批判されました。


その後の5年にわたる大谷選手の活躍ぶりに、
今はどう思っているのか、と野村さんに尋ねる
と、「取り消し!彼のプレーを見て、考え方を
改めます。


大谷さん、すみませんでした」と潔く頭を下げ
ました。


そして2018年、メジャーリーグに挑戦する
ことになり、この頃には投手と打者の大谷選手
を支持する人が増えましたが、「メジャーでの
二刀流は難しい…」が大勢の予想だったでしょう。


しかし、結果は野球界の常識を根本から覆す、
異次元の活躍でした。


なぜ彼は、困難で過酷な「二刀流」の道を選び、
それが実現できたのか。


分かれ道に立っている人が、人生の選択をどの
ように決めるのか、について、心理的な側面か
らアプローチしたいと思います。



「二足のわらじを履くな」と言われ、二刀流の
道をあきらめた僧侶がいました。


今の大谷選手とは正反対の決断をすることで、
大事業を成し遂げたお話です。





奈良を代表するお寺の一つ、薬師寺の管主だっ
た高田好胤師。戦後まもない頃の薬師寺は金堂
もない荒れ果てた貧乏寺で、収入源の拝観料は
戦後の不安定な経済下で見込めません。


大学を出た好胤さんは、寺の「僧侶」をしなが
ら、学校の「教員」になって現金収入を得よう
と考えました。が、


師匠の橋本凝胤師は「二足のわらじを履くな」
と許しません。


「それでは食えません」と訴えましたが、師の
答えはこうでした。


「坊主は坊主らしくしておれば、世間の人が食
べさせてくれる。 食べさせてくれんかったら、
そんな世間の人が悪いのやから、お前には罰
(ばち)はあたらん。安心して死んだらええ」


充分に納得できなかったが「死んだらええ」の
師の言葉に、教員の道を断念し、僧侶として仏
道に専念する道を選びます。


そして、「寺にやってくる修学旅行生たちに仏心
の種を蒔こう」と発心し、18年間にわたり60
0万人に青空説法を続けました。


管主になった好胤さんは、室町時代に焼失した
金堂の再建に着手します。


それは、写経1巻千円の納経料、百万巻で再建
資金を集める遠大な計画。


好胤さんは全国を講演に回って写経を呼びかけ、
その数は八千回に及びました。


その聴衆者の中には、あの青空説法を聴いた元
修学旅行生たちも大勢いたのです。


そして1975年、ついに目標であった百万巻
を達成し、翌年には悲願であった金堂が完成、
落慶法要が行われました。


大企業の高額寄付には頼らず、百万巻の写経勧進
による伽藍の復興。


様々な批判もありましたが臆せずに説法を続け、
大事業を成し遂げました。





長寿企業を生む京都商法の基本は「一点集中」
にあります。


商品を絞り込んで集中する方法で、好胤さんが
選んだ道と同じです。


ところが、京都商法には「伝統を重んじ革新を
求める」「道徳と経済の両立」といった対極の
ものを両立させる、ハイブリッド型も重視され
ています。


大谷選手が高校1年生の時の目標はピッチャー
でしたが、打者としても飛躍的に成長し二刀流
が視野に入ってきました。


そしてドラフトで1位指名をした、当時の日本
ハム栗山監督から、「誰も歩いたことのない道
を歩いてほしい」と言われ、決断しました。


大谷選手が投手か打者に絞り込むことは安全策
だったかも知れないが、誰が考えても困難で過
酷な「二刀流」に挑戦できたのはなぜか?


好胤さんが、600万人もの人たちに青空説法
を続け、全国行脚で八千回もの講演を続けられ
たのはなぜなのか?


~ 天を楽しみ 命(めい)を知る 故に憂えず
~(易経 繋辞上伝)


中国の古典 易経からの引用です。


「何かに懸命に取り組むことで 自分の天命に
気づき、それを天職とすれば人生を楽しむ事が
でき、憂いがなくなる」


また、このような解釈もできます。


天の声に耳を傾けることで己の天命を知り、あ
りのままに従い、大自然の理に任せて楽しむ…。
ならば、私たちは何の心配もすることもなく、
楽になれる」


大谷選手の特大ホームランの感覚は“最高に楽
しい!”に違いありません。


WBC決勝戦の最終回、トラウトを三振に打ち
取ったスライダーは、本人も最高の感触だった
でしょうし、私たちもしびれました。


あんな楽しみを知ってしまったら、どんなに苦
しい練習であっても、どんなケガに見舞われても、
楽しさの渦に吸い込まれてしまうでしょう。


栗山監督の「誰も歩いたことのない道を…」は、
まさに天の声だったのです。





好胤さんが聞いた「死んだらええ」も天の声で
した。


天の声に従って、青空説法と全国講演を続ける
うちに、そんな日々の行動が、ご本人は語って
いませんが「最高に楽しい!」と感じたのでし
ょう。


お陰さまで経営者大学も1987年から長きに
わたって続いていますが、これは参加メンバー
をはじめ、様々なお力添えがあってのことです。


好胤さんはいつもユーモアを交えて話す人でした。
薬師寺を参拝された昭和天皇をご案内する機会が
あり、「そういうわけで、この塔は六階に見えま
すが三階なのです。どうぞ誤解(五階)のないよ
うに…」といったダジャレを連発しましたが、


昭和天皇は表情を崩さず、いつもの調子で
「あ、そう」と応えたといいます。


笑わない天皇陛下に好胤さんはますます畏まっ
たそうですが、受けなくても、めげずにダジャ
レを続ける姿勢に共感を覚えます。


人生の分岐点では右か、左か、それとも両方か…、


誰でも迷うことがあるでしょうが、冷静に考え
ましょう。天の声が聞こえてきたら、それを天命
にして生きるのがいい。


己の天命に気づいている人は、どれを選択しても
それは正解です。


球界の常識を根本から覆した大谷選手を「宇宙人」
と呼ぶ人も多い。


WBCで予選敗退した韓国や中国にも配慮した
発言をしており、野球を通じて世界平和を目指
しているのか…、とも感じます。


地球規模で愛される彼の天命は、宇宙にあるの
かも知れません。…












私は「パニック障害」という病気で、今も心療
内科に通っている30歳のフリーターです。


きっかけは、3年くらい前の電車の中。ある日、
私は1人で都心にショッピングに行ったのですが、
疲れていたせいか、混んでいる電車の中で貧血
を起こして倒れてしまいました。


電車は急行電車でした。アナウンスが流れて、
私のために途中停車し、駅に運ばれて・・・。
多くの人に迷惑をかけてしまい、恥ずかしい体
験でした。


あれ以来、何となく電車に乗りづらくなりました。


特に急行や準急など、停車駅が少ない電車に乗
ることが怖くなりました。各駅停車だったら、
まだ乗れるんですけれど、いつ気持ち悪くなる
かと思うだけで、心臓がバクバクしてしまいます。


ですから、遠いところへは行けなくて、買物も
近所だし、彼氏とのお出かけはドライブのみ。
生活範囲が狭くなってしまいました。


あと、なぜかじっとしていなければならないの
も苦手で、美容院でカットはできても、パーマ
は長時間座っているのが怖くてできません。


洋服も地元の店だし、かわいいパーマもかけら
れないので、だんだん気持ちが落ちこみ、楽し
みがすべて奪われた気分になりました。


そのうち、仕事中も発作が起こる気がして、バ
イトも行けなくなってしまいました。


そんな時、友人から、いい精神科があると勧
められました。


精神科という言葉はちょっと怖かったけれど、
その友人も通ったことがあるというので、思い
きって行ってみました。



※…パニック障害・・・初めての精神科  



私の場合、パニック障害の症状は、家の中では
起こりません。


一度走ったら降りられない急行電車や、パーマ
をかけるために長時間じっとしてなくてはなら
ない美容院など、拘束されて助けを呼べないよ
うな状態で、心臓がバクバクして発作が起こり
ます。


そのうち発作の不安で、バイトにも行けなくな
りました。友だちに悩みを相談したところ、地
元で評判が良い精神科を勧められ、付き添って
もらって通院しました。


最初は精神科って特殊なところだと思っていた
のですが、実際に行ってみると雰囲気は歯医者
や内科と変わりがなく、明るい感じでした。


私の担当は女医さんで、私の話をよく聞いてく
れました。薬も合っていたらしく、不安がずい
ぶん少なくなりました。


しかし、自分では分からなかったのですが、通
って半年は、感情の浮き沈みがあり、イライラ
して家族や彼氏に当たっていることもあったよ
うです。  


その頃、友だちとアロマテラピーに凝り始め、
いろいろ気持ちよくなる香りを試してみました。


香りによって、眠りが早くなったり、気分転換
できたり、いろいろ効果があるようです。


精神科のお薬とアロマテラピーで、なんとなく
不安が減ってきて、友だちとちょっとずつ遠出
をして買物に行くようになりました。


まだ各駅停車しか乗れないけど、服やアロマオ
イルを求めて、遠くの町へ買物に行くようにな
りました。



※…もうすぐ治る? 



通院しながら職場復帰  通院して半年で不安
が減り、いろいろなことに対しての意欲が出て
きました。


友だちといっしょに各駅電車で遠出して、遊び
や買物を楽しみました。しかし、お医者様に言
わせると、私は何事も頑張りすぎてしまう傾向
があるようです。


だから、買物や遊びもほどほどにするようにと
アドバイスされました。  


そしてだんだん、友だちがいなくても1人で、
各駅電車やバスに乗って出かけられるようにな
りました。


美容院も、部分パーマにチャレンジしてきました。


そうすると明るい印象になったらしく、周囲の
人からも「かわいい」とかホメてもらえて、と
ても嬉しかったです。


ちょっと自信がついてきたので、アルバイトに
も復帰し、現在まで続けています。  


現在まだ通院していますが、薬の量は減らす方
向で徐々に調節してもらっています。


私の場合、ほとんど治ってきているのですが、シ
フトに残業を入れ過ぎたり、人間関係で心配事が
あると、一時的に症状がぶり返したりします。


NOと言えずに仕事を引き受けてしまう悪い癖が
あるので、病院のカウンセラーさんに、「そうい
うところをなくせたら悩みが減るかもね」と言わ
れています。


ちょっと元気になると無理をしがちな傾向がある
ようです。


でも、確実に良くなっているのが自分でもわかり
ます。完全に良くなるまであと少し。今後も通院
しながら働いていくつもりです。。… 









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