貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・漢の韓信シリーズ















勾践の夫人は、夫とともに呉の奴隷となること
になっていた。彼女には妾めかけとなる運命が
待ち構えている。  


彼女は、浙江を渡る船の上で、その境遇を嘆き
悲しんだ。


「妻は粗末な衣服を着て婢となり、夫はかんむ
りを外して奴となる。


歳月は遙か遠く困難は極まり、恨みは悲痛で心
はいたむ。腸は千に結ばれて心にきざまれ、あ
あ悲しいかな食を忘れる」  怨歌である。


しかしそれを隣で聞いていた勾践には、彼女に
かけてやる言葉もなかった。  


呉に入り、夫差を前にしたとき、勾践は自分の
ことを「臣」と称した。


「臣わたくし、東海の賎いやしき僕しもべたる
勾践は、辺境で罪に触れました。


大王はその深い罪をお許しになり、裁いて役を
臣におあてになり、箒ほうきとちりとりをとら
せました。まことに厚恩を蒙り、少しの間の命
を保たせていただき、仰いで感じ入り俯うつむ
いて恥じるにたえません。


臣勾践は叩頭頓首とんしゅいたします」
そう言いながら、勾践は実際に頓首をした。


その様子に夫差は驚きを示したという。


「私はおぬしについて認識を過っていた。おぬ
しは先君の仇を討とうと思わないのか」  


勾践は答えて言う。「先君の死は、呉国による
ものではありません。ただ、臣は死ぬときに死
ぬまでです。


王さまは、これをお赦しください」 そしてまた
頓首した。  


伍子胥はその様子を烈火の眼差しで見つめている。


「飛ぶ鳥が青雲の上にいて、これを射ようとして
も、わざわざ近寄ってきて池の淵に臥したり、庭
の回廊に集まったりすることはない。


今、越王は山の中に放たれ、保つことのできない
地に遊んでいたのに、幸いにも来たりて我が土地
に渡り、我が宮殿に入りました。


これは……言ってみれば料理人が作り上げた食事
のようなものだ。失ってよいはずがない!」  


夫差は憤慨してこれに答えた。


「余は、降伏した者を誅殺すれば、禍は三世に
及ぶと聞いている。余は越をおしんで殺さない
のではない、天の咎めや戒めを恐れてこれを赦
すのだ!」  


その様子を太宰嚭は楽しんでいたかのようであ
る。彼は夫差の耳元で囁くように告げた。


「子胥は一時の計には明るい男ですが、国を安ん
ずる道には通じていません。どうか大王は勾践が
箒をとることを押し通し、つまらぬ者の意見にか
かわることがございませんように」  


夫差はこの言をよしとして、勾践を誅殺すること
をやめた。  


これにより、勾践は夫差の車馬の管理を命じられ
ることになる。彼は宮殿の地下にある石室で起居
することとなった。





「子胥に会うことにする」  


奮揚は、紅花を相手に今後の方針を示した。伯
嚭の為人ひととなりを探るつもりでいた紅花は、
この奮揚の発言にきょとんとした表情を示した。


「太宰嚭について探るのではなかったのですか」  
紅花の問いに奮揚は応じた。


「私と伍子胥は、ごく僅かではあるが旧交もあ
る。彼の口から伯嚭がどのような人物であるかを
聞いた方が早い。


いずれは伯嚭に会うことになるかもしれないが、
それにしてもあらかじめ伍子胥の口から予備知
識を得ておいた方がいいだろう」  


紅花は不安そうな顔をした。


「実を言うと私は、少し伍子胥という人に会う
ことが怖いのです。お兄さまの古くからの友人
だということは知っていますが、私自身はお会
いしたことがないので…本当はどうなのですか?」


「外見は強面だし、性格も一本気であることは
確かだ。しかし彼は、決して間違ったことを主
張しているわけではない。


私が思うに……子胥は自分の気持ちに正直な男
なのだ。多くの者は、面倒くさがって間違った
ことを正そうとしない。それがいけないことと
知りながら……。


彼は、妥協せずに正しさを追う。何も間違った
ことはしていない」


「では、恐れることはないと?」


「自分が正しいことをしているという確信があ
るのならば、恐れる理由はないし、彼に害され
る理由もない」  


紅花は、その言葉を受けてやや安心したような
表情を浮かべた。 …












試練や問題にぶつかり、明日を思い煩ってしま
った時はどうすればよいか。


「解決に時間がかかる問題は、あえて脇に置き、
『今は、ちょっと休もう』『少し静観しよう』
と考える。


すると、自然に状況が動いたり、気持ちを立て
直したことで別の道がみえたりする」という…。



私たちは「その日の苦労」で手一杯


「明日を思い煩わない」ということです。聖書に、
こんな言葉があります。


明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日
自らが思い悩む。 その日の苦労は、その日だけ
で十分である。


「その日の苦労」で手一杯なのですから、明日は
「明日の自分」にまかせればいいのです。


そう思うと、少し気が楽になります。


まだ起きていない未来のことに煩わされなくて
いい。目の前にある問題に、ただ集中していけ
ばいいのだ。


考えてみると、日常的なことから世界情勢まで、
私たちのまわりには、すぐには解決しない問題の
ほうが多いのではないでしょうか。


仕事や人間関係の調整などの身近な問題でも、な
んらかの手を打ったあと変化が起きるまでには、
それなりに時間がかかるものです。



※…「スルーする」ことを意識する


その一方で、人の時間や能力のキャパシティは
限られています。


すぐに解決しない問題やネガティブなニュース
に反応し、感情を揺さぶられすぎると、本来や
るべきことがおろそかになりかねません。


たとえば、新聞やテレビのニュースは毎日チェッ
クしますが、紛争のニュースや事件記事などを延
々とみることはありません。


問題はきちんと認識しながらも、「スルーする」
ことを意識しています。


「ごめんなさい」と心の中で手を合わせながら、
あえて深入りせず、状況の好転を祈り、自分に
できるほかのことをします。


とくに今は、情報過多の時代です。どんな情報
をどのようにキャッチするかを意識することは
とても大事なことだと思います。


また、仕事や人間関係で解決に時間がかかる問
題も、あえて脇に置き、「今は、ちょっと休も
う」「少し静観しよう」と考えます。


そうすると、自然に状況が動いたり、気持ちを
立て直したことで別の道がみえたりすることも
よくあります。 すぐに変えられないことを受け
入れるのも、また心のすこやかさを保つために
大事なのです。



※…どんなときも逃れる道はある


カリスマ性や統率力があるわけでもない自分に
は務まらないと、一度はお断りした校長職でした。


しかし、引き受けたからには全力で取り組むと決
め、多くの方に助けられながらここまで進んでき
ました。


それでもどうにか進んで来られたのは、「あなた
には逃れる道も備わっている」という聖書の言葉
があったからです。


神はあなたがたを耐えられないような試練に遭
わせることはなさらず、試練と共に、それに耐
えられるよう、逃れる道をも備えていてくださ
います。


「逃れる道も備わっている」と教える部分が、
私にとっては大きな支えとなりました。


自信のない私を強くし、困難のときに勇気をも
って前進する力をくれました。



※… 違う道を選んでもいい


人がなにかを選択するとき、「この道でがんば
るしかない」と考えると逃げ場がなくなります。


でも、どんなときも進む道はひとつではなく、
さまざまな道があるのです。そう知っていれば、
安心してチャレンジできます。


もちろん、「逃れる道」があるからといって、
自分の力を試すこともなく逃げればいいといっ
ているわけではありません。


わが学園の前理事長シスター渡辺和子が著書
『置かれた場所で咲きなさい』でおっしゃって
いるように、自分が置かれた場所で咲こうと努
力するのは尊いことです。


私もそうできるよう、必死で進んできました。


その過程で、時にくじけそうになる心を支えて
くれたのが、この言葉だったのです。


「逃れる道」はすでに備わっているのですから、
まっすぐ進まず、違う道を選んでもいい。ある
いは、今の道をひたすら前進すれば、その先で
思わぬ方向に道がひらけているかもしれない。


だから、試練と向き合ってみよう。そう思い定
め、自分がやると決めたことに取り組むことが
できました。


試練が訪れたとき、「逃れる道」をみつけるた
めには、時にはひと休みすることです。


先を急がず一歩ずつ進むことです。


そうやって進んでいけば、その先に必ず自分と
いう花を咲かせる道があります。



※…
聖母マリアでさえ母になることに戸惑った


実は聖母マリアも、あの有名な「受胎告知」の
場面でキリストの母になることを拒否しています。


光臨した天使に「あなたは、キリストの母にな
るのだ」と告つげられ、「どうしてそのような
ことがありましょうか」と拒んだのです。


当時、マリアは16歳か17歳だったといわれてい
ますから、突然のお告げに戸惑い、そう答えた
のも無理はありません。


しかしそのあと、マリアは落ち着きを取り戻し、
こういいました。


「Let It Be(仰せのごとくわれになれかし)」
わかりやすくいうと、「お言葉どおりになりま
すように」という意味です。


ジョン・レノンの歌で有名な「Let It Be」は、
キリストの母になるという運命を受け入れたとき、
マリアの心の中から湧いてきた言葉でした。


聖母マリアでさえ、みずからの運命を受け入れ
るために、考え、咀嚼する時間が必要だったの
だ。そう考えると、少し救われる思いがします。



※… 迷う自分を否定しない


なにかを依頼されたとき、自分には無理だと感
じたり気が進まなかったりしても、実際に、断
るのはためらわれるものです。


「断ると、嫌われるかもしれない」「せっかく
いってくださっているのだから」という思いが
湧いてきます。


相手への申し訳なさや罪悪感を覚えるからで
しょうか。 しかし、自分の心を正直に感じて
みましょう。


そして、もし答えがNOなら、その感覚に素直に
従い、一度は相手に問い返してもいいと思います。


それでもなお、やるべきだと思うのなら、それは
「神の思し召し」と受け止め、承諾してみる。


そういった方法もあるのではないでしょうか。


私自身も、校長職を一度拒否したからこそ、「
仰せのごとく」と受け入れる姿勢が整いました。


神様が「やりなさい」とおっしゃっているのか
もしれない。そう考え、引き受けたのです。


迷ったり拒んだりする自分を否定せず、いった
ん認める。その上で、「それでも、やってみよ
う」「やはり、やるべきだ」と判断したら受け
入れる。


そうやって、自分の素直な心と向き合いながら
進んでいくと、新たな世界や可能性が広がって
いきます。…






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