貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問



















ぐひんさんの占いはとても良く当たると評判な
ので、もうすぐ子どもが生まれる木兵衛(もくべ
え)と賢二郎(けんじろう)が生まれる子どもの
運を占ってもらいました。


「オン! オン! 山の神、地の神、天の神、
木兵衛と賢二郎の子のぶにをお教えたまえー!」  


ぐひんさんは大声で呪文(じゅもん)を唱えると、
まずは木兵衛に言いました。


「神のおおせられるには、お前には竹三本の
ぶにの子が生まれるそうだ」


「竹三本の、ぶに?」


「そうじゃあ。人には生まれながらにそなわっ
た、運というものがある。それすなわち、ぶに
じゃ」 「と、言うと、


おらの子には、たった竹三本の運しかそなわら
んのか?」  木兵衛は、がっかりです。  


ぐひんさんは、次に賢二郎に言いました。


「お前のところには、長者(ちょうじゃ)のぶに
の子が生まれる。お前の子は、長者になるさだ
めじゃあ」


「貧乏なおらの子が、長者にねえ」  


ぐひんさんの占いを聞いて、二人は村に帰りま
した。  


それからしばらくして、二人の家に子どもが生
まれました。


「玉の様な、男の子じゃ」「うちは、女の子じゃ」  
どちらも元気な子どもで、二人は手を取り合って
喜びました。  


木兵衛の子どもは吾作(ごさく)、賢二郎の子ども
はお紗希(おさき)と名付けられ、二人は病気もせ
ずにスクスクと育ちました。  


ある日の事、木兵衛と賢二郎が畑仕事をしている
ところへ、吾作とお紗希がにぎり飯を持って来ま
した。


「おとう、昼飯じゃあ」「みんなで、一緒に食べ
ようよ」


「賢二郎、そうするか」「おうおう、そうすべえ」  
四人はあぜ道にならんで、にぎり飯を食べました。  


ムシャムシャ・・・、ガチン! 木兵衛が食べてい
たにぎり飯の中に、小さな石が入っていました。


「なんや、石なぞ入れおって。・・・ペっ!」  
木兵衛は小石を、ご飯粒ごと吐き出しました。  


すると吾作も親の真似をして、「ぺっ、ペっ、
ペっ」 と、ご飯粒を吐き出しました。  


それを見た賢二郎は、木兵衛に言いました。


「ああ、もったいない事をして。石だけを、吐き
出したらよかろうに」 すると木兵衛は、笑いな
がら言いました。


「石だけを選ぶなんて、けちくさいわい。おらは、
けちくさい事は大嫌いじゃ。  


賢二郎どんは、よくよくの貧乏性じゃのう。
アハハハハハッ」


「そうは言っても、おらはどうももったいない事
が出来んのや。なあ、お紗希」 「うん!」  


それから何年か過ぎて、吾作は町の竹屋で修行を
して古いおけを修理する輪がけの職人になりまし
た。お紗希は、隣村で働く事になりました。  


竹職人になって村に帰って来た吾作に、木兵衛は
うれしそうに言いました。


「よしよし、それだけ技術を身につけたら立派な
ものや。ぐひんさんには竹三本のぶにと言われたが、
がんばれば竹百本、うんにゃ、竹千本の大金持ち
にだってなれるわい」 「ああ、がんばるぞ」  


こうして吾作は村々をまわって輪がえの仕事をし
ましたが、しかしいくら働いても輪がえはそれほ
どお金になりません。


あ、輪がえというのは、つまらん仕事じゃあ」


そんなある日、隣村まで足をのばした吾作は、
長者屋敷の前で呼び止められました。


「輪がえ屋さん、おけの輪がえをお願いします」  
お手伝いの娘が、こわれたおけを持って屋敷から
出て来ました。


「へい、ありがとうございます」吾作は輪がえを
しながら、お手伝いの娘にたずねました。


「ずいぶんと、使い込んだおけですね。しかし
長者さまなら輪がえなんぞしないで、新しいおけ
を買った方がはやいんじゃないですか?」


「はい。以前はそうでしたが、新しい若奥さまが
来られてから、使える物は直して使う様になった
んです。


でもそのおかげで、若奥さまが来られてから屋敷
がずいぶんと大きくなりましたよ」


「へえー、そんなものですかね。わたしはどうも、
けちくさいのが苦手で」  


するとそこへ長者の若奥さまが通りかかり、輪が
えをしている吾作を見てなつかしそうに言いました。


「あれぇ、あんた、吾作さんやないの? ほら、
あたしよ。小さい頃によく遊んだ、隣の」  


吾作は若奥さまの顔を見て、びっくりしました。
「ありゃあ! お紗希ちゃんでねえか。こ、ここ
の、奥さまになられたのでござりまするか?」


「ええ。あとでにぎり飯をつくってあげるから、
待っとって」  


お紗希は台所に行くと、さっそくにぎり飯をつく
りました。


そして長者の嫁になった自分の幸せを吾作にも分
けてあげたいと思い、にぎり飯の中に小判を一枚
ずつ入れたのです。  


この小判は、お紗希が何年もかかってためた物
でした。  


輪がえを終えた吾作は、川岸へ行ってお紗希から
もらったにぎり飯を食べる事にしました。


「ほう、こりゃうまそうじゃ。さすがは、長者
さま。飯のつやが違うわい」  


そしてにぎり飯を口に入れると、力チン! と、
歯にかたい物があたりました。


「ペッ!なんや、えらい大きな石が入っとるぞ」  
吾作はにぎり飯を川の中に吐き出すと、二つ目
のにぎり飯を口に入れました。  


カチン!「これもか。ペッ!」三つ目も。力チン!
「なんや、これもか。ペッ!」四つ目も、五つ目も。
カチン! カチン!


「何じゃ、このにぎり飯は?


どれもこれも、みんな石が入っとるやないか」  
そして最後の一つも、やはり力チンときました。


吾作はこれも川に吐きすてようとして、ふとにぎ
り飯を割ってみました。


「長者の家の飯には、どんな石が入っとるんじゃ? 
・・・ややっ、これは!」


にぎり飯の中から出て来た物は、石ではなく小判
です。「し、しもうた。前に入っていたのも、小
判やったんか」  


お紗希が心を込めたおくり物は、深い川の底に沈
んでしまいました。  


この話を聞いて、木兵衛は吾作をしかりました。


「なんで初めに力チンときた時に、中を確かめな
かったんや! そうすりゃ、六枚の小判が手に入
ったのに!」


「けど、石だけを選んで吐き出すなんて、そんな
けちくさい事はおとうも嫌いやろ? やっぱりお
らには、運がないんや」  


その言葉を聞いて、木兵衛はぐひんさんの言葉を
思い出しました。


「ぐひんさんの言う通り、お紗希は長者の嫁にな
った。やはり吾作には、竹三本のぶにしかないの
か・・・」  


木兵衛ががっかりしていると、どこからともなく
ぐひんさんが現れて言いました。


「木兵衛よ、それは違うぞ。お紗希が長者の嫁に
なれたのは、物を大切にする良いおなごだったか
らじゃ。  


いくら良いぶにを持っていても、それを生かせん
者もおる。  


反対に小さなぶにしかなくても、大きな運をつか
む者もおる。  


ぶにとは努力しだいで、どうとでも変わる物じゃ。  


長者になっても物を大切にするお紗希を見習えば、
お前たちにも運がつかめるだろう」  


それからというもの木兵衛と吾作は物を大切にす
る様になり、やがて竹千本の山を持つ長者になっ
たそうです。…












田舎だったので、都会で育った私とは周りの話し
方から着る服、履く靴まで全てが違いました。


そのため祖母は私が小学校に上がる時、みんなが
友達になってくれるように、近所の同じ年の子供
達に色鉛筆を買いました。


そして初めて学校へ行く朝、


一緒に集合場所(集団登校のため)に来て、一人
一人に 「○○の事よろしくね。仲良くしてあげ
てね、お願いね」 と頭を下げ、色鉛筆を渡して
くれました。


無事学校から帰宅し、家で祖母と 「学校楽しか
ったー」 という話をしていると、見知らぬおば
さんが訪ねて来ました。


どうやら今朝、色鉛筆を配った子達のお母さんと
の事です。


「これ、お宅がうちの子に渡したんでしょ? 


迷惑なんですよ。 こんな事される理由も無いし、
要りませんから」 こんな事を話していたと思い
ます。


祖母は一生懸命に説明していましたが、理解され
る事は無く、その方は色鉛筆を置いて帰って行き
ました。


私は『怖い人だな…』と思いながら、隠れて見て
いました。


祖母はそれに気付いていなかったのでしょう。
肩を落とし、声を殺して泣いていました。


私が走って行き、 「おばあちゃん大丈夫?」 と
背中をさすりながら覗き込むと、祖母は 「大丈
夫だよ。


おまえが可哀想で心配で…。友達が出来るか、虐
められないか心配で…。 涙が勝手に出てきただけ
だから、心配しなくていいんだよ」


とても悲しくなりました。


祖母は毎日「虐められたりしてないかい?友達
は出来たかい?」 と、私の心配ばかりしていま
した。


「うん、虐められてなんかないよ!友達、沢山
出来たよ!」 いつもそう答えていました。


私は毎日虐められていました。


「親が居ないから悪い子だって、かーちゃんが言
ってたぞ!親なしー!かーちゃんが口聞くなって
さ。悪い子がうつるから!あっち行け!」


誰にも言えませんでした。


祖母は毎日心配して、私を見ては泣いていたから
…。とても言えませんでした。


学校の虐め、両親に会えない辛さ、祖母の優しさ
に、毎晩布団の中で声を殺して泣きました。


何で生まれて来たんだろう。 何で私だけこんなに
辛い思いをするんだろう…。 何で…何で…。


そんなある日、学校から帰ると祖母が泣きながら
私の事を抱き締めて来ました。


「ごめんね…ごめんね…」 何だか私も悲しくなり、
一緒に泣きました。


どうやら近所の人が、私が毎日虐められている事
を祖母に話したらしいのです。


あの時の祖母の辛さは、私よりも遥かに辛いもの
だったのでしょうね…。



私が成人した頃、祖母はすっかり年老いてしまい
ました。 痴呆が始まり、毎日同じ事ばかり聞く
ようになりました。


祖母とは離れて暮らしていたので毎日電話し、
三日おきに手紙も書いていました。



あれは祖母が他界する少し前の事。 いつものよ
うに電話で話していると、祖母が 「○○ちゃん
は私が産んだ子だったかなぁ?」


「うん、そうだよ、私はおばあちゃんの子だよ…」


「そうだったねぇ。私が産んだ子だ」 実の子のよ
うに思い続けて育ててくれていた祖母。


最後は本当に祖母の子になれた事、今でも忘れ
ません。 あなたの子供で本当に幸せでした。


おばあちゃん、沢山愛して育ててくれて、
ありがとうございました。・・・








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