貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・THEライフ














音楽にはいろんな効能があるのは肌で感じ取る
ことはできます。


クラシックにリラクゼーション効果があるのも
納得できます。


人生でイチバン忙しい年代に差し掛かって癒し
を求めるからこその嗜好の変化なのでしょうか。


高齢者が演歌好きなのはなぜなんでしょうか??


決して演歌好きの高齢者ばかりというわけでは
なく、逆に若者でも演歌好きはいるようです。


なぜ年を取った人はいつも同じような音楽を聴く
一方で、新しい音楽には興味を持たないのか、


そして年を取ったミュージシャンが「以前のよう
には曲を作れない」と言い出すのか、





コードやリズム、メロディの微妙な違いを聞き
分ける能力が年齢とともに低下するからだと考
えられます。


音楽の好みというのは10代前半に固まりはじめ、
20歳ごろにがっちりと固まるので、この期間に
耳にするヒット曲は、同じ世代の中では一生人
気が続く可能性が高いです。


一方、33歳になるころには新たな音楽を聴くこ
とはほぼなくなります。


若いうちは音楽を聴いたりミュージックビデオ
を見たりする時間が多いので、お気に入りのア
ーティストをより身近に感じていきます。


ところが、年を取るにつれて、仕事が忙しくな
ったり、家族のことに時間を取られたりして、
新たな音楽に触れる時間が減少していき、


「単純接触効果」で好きになるほど聴くことが
なくなるので、自由な時間が余っていたころに
聴いていたお気に入りの曲を聴き続けることに
なる、というわけです。


※…単純接触効果・・・


苦手だったり興味がなかったりしたもので、何
度も見聞きしているうちに好きになっていくと
いう効果のこと。


一番ピークのころによく聴いていた音楽が今で
も好きってことらしく、今の高齢者の方たちが
音楽を良く聴いていたころに流行っていたのが
たまたま演歌や昭和歌謡だったから、それを聴
く人が多いということらしいのです。



「好奇心の窓」によって音楽の好みは20代のう
ちに固定されてしまう


見知らぬ人でも普段どんな音楽を聞いているの
かを知ることで、どんな人なのか深く捉えられ
ることがあります。


こういった音楽の嗜好によって人々の性格が
4タイプに分類でき、また、好きな音楽を追究
できる年齢には限界があるという研究結果が
発表されています。


音楽などの嗜好と年齢の関係を研究したロバー
ト・サポルスキー氏は、「人は人生の中で20歳
を過ぎると音楽の好みに対する『好奇心の窓』
が閉まり始める」と話しています。


35歳ごろには窓がほぼ閉じきった状態になるの
で、たとえ新しい音楽のジャンルが流行しても、
約95%の人は聞くことがないとのこと。



※…
「好奇心の窓が閉じる」というのは食べ物やフ
ァッションについても同様で、「舌にピアスを
開ける」というような過激な文化に対しては23
歳までに好奇心の窓が閉じてしまい、新しい食
べ物への挑戦は39歳が限度である、とサポルス
キー氏は述べています。





音楽って気に入ったら聞きませんか?


普段ラジオを流し聞きしていますが、ほんとに
気に入った曲はしっかりチェックして聴いたり
購入したりします。


若い頃より数が減ったのは確かですが。 それ
ほど感動するようないい曲が少なく感じるのが
「老い」なのかなと思います。


耳が擦れてるということとイコールのようです。


10代のころに経験した感情は、10代以降に経験
するものよりも強く感じるという心理学の研究
結果があるとのこと。


これにより、10代のころに聴いた音楽ほど、強
く記憶に残って愛するものになっているという
可能性があります。


今の高齢者は10代に演歌を聴いていたし、80年
代歌謡曲を聴いていました。


現代の若者は当然、ラップなどやEXILEなどを
聞いています、高齢になっても聴くのでしょ
う?か。。。












現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得
格差が急速に広がっている。



そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると
抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。



※…
ホームレス状態になって2カ月、所持金はついに
16円になった。


仕事を探して連日歩きっぱなしだったので、スニ
ーカーの底面には10円玉大の穴が開いてしまった。


ここ1週間は公園の水道水で飢えをしのいでいる。


ここまで追い詰められたレイジさん(仮名、28歳)
はようやくSOSを発信した。


反貧困ネットワークやつくろい東京ファンド、
TENOHASIといった市民団体でつくるネットワーク


「新型コロナ災害緊急アクション」に助けを求
めるメールを出したのだ。


フリーWi-Fiが使えるファストフード店から送っ
たというメールには次のように書かれていた。


「あちこちさ迷い、仕事を探しながら面接など
の前の日だけ漫画喫茶等でシャワーだけ借りて、
身だしなみを整えてみたいな生活をしていたの
ですが、住所無し連絡取れる携帯番号無しなの
でどこも雇ってもらえず先週とうとう残金も尽
きてしまいました。


~中略~就職に必要な履歴書や証明写真を買う
お金すら無くなってしまいました。どうか助け
てください……」(原文ママ)


20代の若者はなぜここまでの窮地に陥ったのか。
なぜもっと早くSOSを発しなかったのか。


※…
レイジさんは神奈川出身。高校卒業後は建設機
械メーカーの工場で期間工として働き始めた。


期間工を3年満期で雇い止めにされると、系列の
派遣会社に登録。今度は派遣労働者として同じ
工場で働くことになった。


レイジさんは多くを語ろうとしないが、両親、
とくに父親とは不仲だった。


派遣になったことをきっかけに1人暮らしをし
ようと、会社が用意した寮へと引っ越したと
いう。


私が解せないのは、期間工のときには約350万
円はあったという年収が派遣労働者になった
ことで約270万円へと下がったことだ。


同じ工場で同じ業務をこなしながら、年収ベー
スで80万円もの大幅ダウンである。


レイジさんは「派遣になってボーナスがなくな
ったんです」と説明する。


しかし、キャリアを積み、スキルを身に付けた
労働者を、雇用形態を変えることで安く使い倒
すなど、果たして適切な働かせ方といえるのか。


レイジさんはその後も雇い止めになるたびにい
くつかの工場で働いた。いずれも寮付き派遣だ。


この間フォークリフトやクレーン運転士、有機
溶剤を扱うための作業主任者など10近い資格を
取ったものの、年収はほぼ横ばい。


中には、「ボーナスあり」という約束を反故に
されたり、残業代の未払いが常態化していたり
といった悪質な職場もあったという。


このまま派遣を続けてもいいのだろうか…。


そんなことを考えていた矢先、知り合いから居
酒屋の店長をやってみないかと声をかけられた。


20代半ば過ぎ、2年前のことだ。「もともと人
と関わる仕事がしてみたかった」と言うレイジ
さん。二つ返事で転身を決めた。


店舗はその知り合いの名義で借りた物件で、厨
房などの設備は一通り付いていた。別の友人に
声をかけ、2人体制で切り盛りすることにしたと
いう。


住まいのないレイジさんは店舗に住み込み、食
事は賄い飯で済ませたので、水道光熱費や食費
はゼロ。


朝8時から深夜2時まで休みなく働いて週休1日と、
体力的には厳しかったものの、売り上げは開店
早々、月50万~60万円に達した。


家賃など諸経費の支払いに加え、冷蔵庫やフラ
イヤーを買い替えたりしたので、レイジさんが
毎月手にすることができた「自由に使えるお金」
は5万円ほどだったが、経営は順調だったという。


コロナ禍で事実上の閉店を告げられた しかし、
新型コロナウイルスの感染拡大によってすべて
がご破算となった。


店の売り上げは激減。声をかけてくれた知り合
いから「店舗の賃貸契約を解約することにした」
と事実上の閉店を告げられた。


レイジさんは「初期投資ゼロで始めさせてもら
いましたし、不当に利益を抜かれたわけでもない。


知り合いはできるだけのことはしてくれたと思
います」と理解を示す。


ただ睡眠3、4時間という異常な長時間労働や一
方的な閉店通告などを考えると、体のいい“名
ばかり個人事業主”だった側面は否定できない。


結局、閉店と同時に住まいを失ったレイジさん
はホームレスになった。


しばらく「日雇い派遣」で食いつないだ後、ネ
ットで「ホームレス」「支援」などと検索した
ところ、自立支援をうたう民間施設を見つけた。


問い合わせたところ、すぐに施設スタッフが駆
けつけ、自治体の生活保護の申請窓口に同行し
てくれた。


申請はすんなりと通り、そのまま施設へと連れ
ていかれたという。


※…
ところが、この施設の住環境がとんでもなく劣
悪だった。


もともとは1部屋だったものをベニヤ板で仕切
っただけの3畳ほどの居室。食事も貧弱。エア
コンがないので、毎年夏になると何人かは熱中
症で倒れるらしい。


さらに毎月の生活保護費10万8000円から、居室
費、食費と称して8万4000円をぼったくられた。


レイジさんは後になって、この施設が悪質な無
料低額宿泊所(無低)であることを知った。


コロナ禍では、住まいを失った生活保護申請者
が強制的に悪質な無低に入居させられるケース
が、あらためて社会問題となっている。


レイジさんは自ら無低に連絡を取ったとはいえ、
当事者が貧困ビジネスの食い物にされるのを自
治体が黙認するという点で、問題の構図に大差
はない。


レイジさんは、10万円の特別定額給付金を受け
取るために自治体に何回か問い合わせをした。


家族とは音信不通であることも併せて伝えたが、
そのたびに担当者は「世帯分離をしないと申請
書は送れない」「まずは親御さんと連絡を取っ
て」とけんもほろろの対応。


結局10万円を受け取ることはできなかったという。


「無低では自立や就労に向けた支援は一切あり
ませんでした。


高齢者や健康状態の悪い人の中には15年以上、
入居している人もいました。


ケースワーカーは面談に来ないので、こうした
無低の実態は知らないのではないでしょうか」


日雇い派遣で食いつなぐ日々に逆戻り ここは長
くいるところじゃない…。


無低入居から数カ月、焦ったレイジさんは再び
寮付き派遣に飛びついた。


自ら生活保護を廃止し、無低を退去。


しかしコロナ禍による影響は依然として大きく、
約束していた仕事は派遣会社によってあっけな
く反故にされた。


レイジさんは再びホームレス状態となり、日雇
い派遣で食いつなぐ日々に逆戻りしてしまう。


東京に行けば仕事があるのではと、藤沢や戸塚、
横浜といった街に着くたびにフリーWi-Fiを使っ
て日雇い派遣の仕事を探しながら東京に向かっ
てひたすら歩いた。


パチンコ店の前を通るたび、店内で無料で配っ
ている飴を食べて空腹を紛らわせたという。


※…
「まさか自分がホームレスや生活保護になると
は思っていなかったので、人目がすごく気にな
りました。


昼間、ベンチでうとうとしていたときに衣類が
入った鞄も盗まれてしまって……。


知ってました? 今公園のベンチって、(座る
部分に)手すりやでっぱりがあって横たわるこ
とができない作りになっているんです。


あれってホームレス対策ですよね。そんなこと
も自分が路上生活になって初めて知りました」


このままではろくに眠ることもできず、飢え死
にしてしまう。でも、生活保護を申請したらま
た無低に入れられてしまうのではないか…。


迷った末、レイジさんはネットで見つけた新型
コロナ災害緊急アクションのメールフォームか
ら助けを求めた。


冒頭部分で紹介したメールである。


※…
レイジさんは緊急アクションの担当者とともに
あらためて生活保護を申請。


担当者が同行したことで、今度は無低ではなく、
東京都が一時入居施設として用意したビジネス
ホテルに入ることができた。


家族の機能不全に寮付き派遣、名ばかり個人事
業主、日雇い派遣、無低…。


レイジさんはおよそすべての社会の理不尽を経
験してきたようにもみえる。ただレイジさん自
身はそこまで強い憤りは抱いていないようにも
みえた。


とくに派遣という働かされ方については「高卒
という条件を考えると仕方ないのかなと思います。


日雇い派遣って違法なんですか?知りませんで
した。でも、そのおかげで食いつなぐことがで
きたわけですし……」と話す。


「1カ月くらい長期で働きたい」 それよりも、
とレイジさんは言う。


「ずるずると生活保護のお世話になるのは申し
訳ない。とにかく1日も早く働きたいんです。


雇用形態はともかく今度は長期で働けるところ
を探します」。…






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