貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・一考編















※…「農協の独裁者」と呼ばれる男がいる。
その名は中川泰宏。



中川が1995年から会長を務める「JAバンク京都
信連」(京都府信用農業協同組合連合会)の貯金
残高は、1兆2567億円に達する。


副会長を務めるJA共済連(全国共済農業協同組
合連合会)の保有契約高は、なんと227兆円だ。


JA共済連で保険商品を売り歩く農協の職員数は、
18万6000人にのぼる。


京都の農協で27年以上にわたってトップに君臨し
ながら、中川泰宏は農協の労働組合潰しや悪質な
地上げに手を染めてきた。


2005年には「小泉チルドレン」として政界に進出
し、野中広務と骨肉の争いを繰り広げる。


※…
「農協のフィクサー」の芽を潰せなかった野中


中川泰宏は「農協のフィクサー」としての地歩
を確実に築きつつ、町議会議員、町長を経験し
ながら「政界のフィクサー」としての階段も昇
り続けていく。


そんな中川の存在を煙たく感じる野中との確執
は、野中広務兄弟の不仲にもつながっていった。


〈中川泰宏は一九八八年、全国最年少の三六歳と
いう若さで農協組合長に就任した。


その上部団体の農協連合会会長に就任したのは
六年後の四二歳のときである。


通常、連合会会長になるのは六〇代後半なので、
かなりのスピード出世といえる。


(略) その後、とんとん拍子でJAグループの
上部団体の役員に出世したかのようにも見えるが、
実際には、四〇代そこそこの中川に追い落とされ
る六〇代、七〇代の農協組合長らから強い抵抗を
受けていた。


実は、農協の高齢リーダーによる中川への最後の
抵抗の場面にのちに自民党幹事長となる野中広務
が深く関わっていた。


中川が京都の農協の上部団体(連合会)の会長
ポストを狙っていた一九九四年、当時のJAグ
ループ京都の高齢リーダーたちが、中川の連合
会会長就任阻止のために野中にある頼み事をし
ていたのだ。


謀略の中心人物は、JA京都中央会幹部のAだ
った。 (略) 「このままいくと、中川が連合
会会長になってしまう。


“別の組合長さん”に会長になってもらえるよ
うにお力添えいただけませんか」


「別の組合長さん」とは、広務の弟の野中一二
三(かずみ)のことだった。


八木町の隣町、園部町(現南丹市)の町長と園部
町農協の組合長を務めていた。


(略) 広務が下した結論は、「農協の人事に嘴
(くちばし)を挟まない」というものだった。


民間の組織である農協の人事に介入すること自体
がリスクだったし、その結果生まれる「一二三会
長」の下のJAグループ京都で不祥事でも起きよ
うものならば、広務自身の政治生命に関わりかね
なかった。


(略) 中川は九四年に府内の農協の保険事業
(共済事業)を統括する京都府共済連会長に就任。


それ以来、二七年以上にわたってJAグループ京
都を牛耳り、職員を選挙に動員するなど組織を私
物化した。


農協を支配することで中川は安定した資金源と集
票力を手にし、野中の「天敵」に育っていった。


他方、広務と一二三との兄弟関係は、両者が直接
やりとりすることが途絶えるほどに悪化していった。〉


3億3000万円の「同和対策補助金」不正受給事件
野中広務と中川泰宏が衝突する決定的なトリガー
となったのが、中川泰宏兄弟が作った農場による、
3億3,000万円もの「同和対策補助金」不正受給だ。


被差別部落出身であるがため、幼少期からひどい
差別に苦しんできた野中にとって、同和行政を食
い物にする中川のやり口は絶対に許せなかった。


〈問題は、「泰宏農場生産組合」(以下、泰宏農場)
という中川の名を冠した八木町の牧場で起きた。


泰宏農場が「小規模零細地域営農確立促進対策事業」
という同和対策事業を利用し、牛舎の拡張のための
三億三〇〇〇万円もの補助金を得たのだ。


問題だったのは、泰宏農場の所在地が被差別部落
にはなく、事実上のオーナーである中川自身や中
川の家族も被差別部落出身者ではないということ
だった。


それでも京都府と八木町(当時の町長は中川)は
二〇〇一年度、泰宏農場の拡張に税金を投じるこ
とを決めた。


補助金受給のからくりはこうだ。


当該の同和対策事業の対象となるには、農場が
三戸以上で構成され、構成員のおおむね半数以
上が被差別部落に在住している必要があった。


中川は被差別部落出身者を泰宏農場の少額出資
者として迎えることで補助金の需給要件を満た
したのだ。


(略) 少額出資を行った被差別部落出身者は
五戸六人だったが(府議会における府の説明で
は四戸四人)、このうち二人は八木町有数の建
設業者社長、一人はサッシ業者で、畜産以外の
職業に就いていたという〉


「同和対策補助金」不正受給の事実を知った
野中広務は激怒した。だが、もはや時すでに
遅しであった。


〈野中が中川の本性に気付いたときには、中川
は小泉チルドレンとして衆議院議員になっており、
もはや懐柔したり制御したりできる相手ではな
くなっていた。〉



次回【闇の戦後史】


なぜ現役「農協のフィクサー」は北朝鮮で名前
を売ろうとしたか…北朝鮮妻「里帰り」騒動で
の野中広務との暗闘がヤバい…















そのとき、子どもは生後半年。別居していた夫
からのメールを開くと「離婚」という文字が目
に飛び込んできました。


子どもがいるのに、なんと無責任なことを言う
のか。こんな父親なら、いなくていいんじゃな
いか…。


私が「離婚しよう」と最初に思った瞬間でした。


離婚に関することで、 詳細は省きますが、引き
金となったのは、今でいうところの“産後クラ
イシス”。


産後に生じる夫婦の関係性の変化です。


十数年前の当時、まだそんなぴったりくる言葉は
なかったのですが。


※…
私は当時、「離婚はよくない」と思っていたから
こそ、離婚を言い出すような夫と離婚することを
決めたのですが、この行動は一見、矛盾して見え
るかもしれません。


私は結局のところ、離婚を肯定したのでした。


考えたのは、子どもにとっての「いい(ましな)
離婚」とはどんなものか、ということです。


子どもにできるだけ悪影響を与えずに離婚する
には、どうしたらいいのか? 離婚してひとり
親になってからも、答えを探し続けました。


本業だった書籍編集の仕事では、子どもと離婚
の問題を扱う本を、何冊も手掛けました。


なかでも特に影響を受けたのが、『離婚家庭の
子どもの気持ち』と『Q&A 親の離婚と子ども
の気持ち』に登場する、子どもの立場の人たち
の声でした。


突きつけられたのは、私自身を含め、大人たちは
「子どもの考えていることを実にわかっていない」
という事実です。


たとえば、親と子どもの利害が実は対立している
のに、親がそれに気づかず、自分に都合のいい解
釈をしていることもたびたびあります。


あるいは、大人が「子どもにかわいそう」と思っ
ていることを、当の子どもは「かわいそう」とは
思っておらず、


逆に、大人が「子どもにいいだろう」と思ってし
ていることを、子どもはむしろ迷惑に感じていた
りすることもよくあります。


離婚家庭の子どもだけではありません。再婚家庭
や、同性カップルで子育てをするおうち、里親・
養親家庭など、いわゆる「定形ではない家族」を
取材するなかでも、同じようなことが多々あると
気づきました。


世の中では、いわゆる「ふつうの家族」お父さん、
お母さんと、血縁の子どもばかりが「正しい形」
とされ、それ以外の家族の子どもは「かわいそう」
とみなされがちですが、どうもそういうことでは
ない。


周囲がそれを「かわいそう」と決めつけるから
「かわいそう」なのであって、そういう見方をや
めるだけで「かわいそう」ではなくなるところが
大きいのです。


その一方で子どもたちは、大人が気づきもしない、
まったく別のところで、悩んでいたりします。
「ふつうの家族」だって同じです。


家族の形が「ふつう」なら子どもが幸せかという
と、そうとも限りません。むしろ親が「ふつう」
にしがみつくせいで苦しめられている子どもも、
少なくないのです。


さまざまな経験をした子どもの立場の人たちに話
を聞き、子どもに本当に必要なことは何なのか、
考えてみたいと思います。 …



※… 大好きだった父親の交際相手は…


最初に話を聞かせてもらったのは、椛島晴子さん
(仮名・55歳)。とある省庁にお勤めのシングル
マザーで、30歳になるダウン症の息子さんと、都
内で暮らしています。


晴子さん自身、子ども時代に親の離婚を経験して
います。


「父親に交際相手がいることに気づいたのが、
中学、高校くらいのときでした。


それが原因で両親が不仲になり、私が高校のとき
に離婚しました。その頃が一番、悩みが深かった
ですね。


離婚って、子どものストレスはすごく大きいと思
うんですよ。


子どもって、親に対して愛情深いから、『お父
さん、お母さんが悩んでいるみたいだから、何か
してあげられることはないかな』とつい思いがち
です。


でも、大人が抱えているものはすごく大きくて、
受け止められない。子どもの葛藤は大きくなりま
すよね」



※…親に何かしてあげられることはないか…。


子どもがそんなふうに考えているなんて、離婚
の渦中にある親たちは、まず気づくことは難し
そうです。


晴子さんは当時、漠然とした不満や、不安感もあ
ったといいます。 「子どもだから、父親が自分以
外の人と仲良くしているというのは、なんという
のかな、イラッとするわけですよ(笑)。


小さいときから父にかわいがってもらってきて、
父は私のことを大好き、と思っていたのが、急に
『自分の知らない父親がいる』みたいな感じ。


今までみたいに私と仲良くしてくれないんじゃな
いか、というのも不安でした。


『ちゃんと説明を受けていない』、ということへ
の不満もありましたね。


何が本当のことかもわからないし、いったいどう
なっているんだろう、これからどうなっちゃうん
だろう、という不安も感じていました」


一緒に暮らしているのに、離婚の際は大人のなか
だけで物事が決められてしまい、子どもには発言
権が与えられないどころか、説明すらちゃんとし
てもらえない。子どもはそこにもストレスを感じ
ます。



※… 結局、父と暮らすことに


離婚の際、どっちの親と一緒に暮らすか聞かれて
つらかった、という声をよく聞きますが、晴子さん
もそれは同様でした。


どちらを選んでも、他方を傷つけてしまいかねな
いからです。


「このときは結局、父親と暮らすことにしました。
うちは母のほうが、あまり子どもに執着するタイ
プじゃなかったし、私はどちらかというと父親の
ほうと仲が良かったので。


父は今80歳で、あの年代としてはすごく珍しいと
思うのですが、家事万能だったんです。


料理もアイロンかけも、なんでもできる。だから、
私の友達がうちに来たときも、父が洗濯物をたた
みながら『ちゃんと宿題やんなさいよ!』とか説
教してくるので、みんなに大ウケでした(笑)。


今はすっかりおじいちゃんですが、背も高くて、
イケメンでね。小さいときから、よくいろんなと
ころに遊びに連れていってもらったし、本当にお
父さんのことが大好きだった。


だからなおさら、父親にパートナーができたこと
に、イラッとしたわけです」


晴子さんの父親の浮気には、もう1つ特徴があり
ました。


交際相手が男性、つまり父親と同性だったこと
です。… …






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