貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

















第三章:呉越相撃つ・ 喪中を討つ  


※…
「動き出したようです。呉軍が……」  


越の軍師である范蠡はんれいが允常の跡を
引継ぐ形で王位に就いた勾践こうせんに静か
に告げた。


勾践はこれを受けて防戦態勢をしくことになる。
「結局は、覇者ともなると人に対しての礼儀を失
うということだ。


范蠡、やはり君の言っていたことは正しかったな」  
新王の勾践は范蠡を尊重する態度を崩さなかった。


先王である允常の代から越の急速な発展を支え、
強国化を実現させた実績が彼にはある。


「政治は、実のところ苦手です。まあ、軍のことに
関しては、多少自信がございますので、どうかお
任せを」  


この言葉を、范蠡はよく用いた。この言葉が本心
を表しているとしたら、彼としては、ようやく活躍
の場が得られた気分であっただろう。


「さて、どう対応するつもりだ?すでに考えがある
のだろう」 勾践は興味深そうに聞いた。


越の王として、彼は負けることをまったく考えて
いなかった。


「はい。かつて私が目にした書物にこの局面を打
開する手がかりとなる事項が記載されおりました。


今回は、その書物の記載に倣おうと思います」


「どんな書物か」 「編者については失念してしまい
ましたが、内容に関してははっきりと覚えております。


それは『兵法書』と呼ばれるもので……軍事の
意義から、その具体的な動かし方までに渡って
記されております。非常に興味深いものです」


「その内容は?」


「ええ。まず軍とは詭道であると。強くとも敵には
弱く見せかけ、勇敢でも敵には臆病に見せかけ
るべきだとあります。


続いて、敵が利を求めているときはそれを誘い
出し、怒りたけっている時にはそれをかき乱し、
敵の無備を攻め、敵の不意をつく、とあります」


「その書物の言葉を今回の状況に当てはめて
みると、どうなる」  


勾践の問いに、范蠡は悪戯っぽく笑みを漏らした。
「まず、私は呉の出方を探るために、わざと先王が
お亡くなりになった事実を公表いたしました。


広く、国外にも知れるように触れを出したのです。
案の定、これに呉王は引っ掛かりました。


喪中にいる我々を弱く見せかけ、利を求めている
呉王を誘い出したわけです」… 「うむ」


「これから、檇李すいり(現在の浙江省嘉興市)の
地で呉を迎え撃つことにします。そこに私は呉の
不意をつくためのある秘策を用意しました。


それについては、王さまも実際に現場でお確か
めください」  


范蠡はこれから行なわれる戦いを楽しみにして
いるかのような表情を示した。それにつられて勾
践も頬を緩めた。


「なんだか貴公の言葉を聞くと、これから遊山に
でもいくような気分になってきたぞ。しかし言っ
ておくが、失望させるな。これは厳命だ」  


あえて言葉尻に厳しさを加えた勾践であったが、
それでも范蠡の自信は失われることがなかった
ようである。


彼は、悪戯っぽい笑いの表情をしまうことがなかっ
た。 「お任せください。決して王さまを失望させた
りしません」  



※…
呉王闔閭は、軍を自ら率いて、その先頭に立っ
た。しかしその行く手を阻むように集団が道を塞
いでいる。


それはすべて男であったが、武具や甲冑を身に
つけていなかったので、呉軍の面々には敵である
ようには見えなかった。


「どけ。さもなくば蹴散らして進む。我々は呉の軍
であるぞ」  闔閭は兵に指図してそのように告げ
させた。


しかし彼らは動こうとしない。不信に感じた呉軍は
進軍を止めてしまった。


「ここにいる者たちは私を始めとして、越国内で
大罪を働いた者ばかりです。それゆえ私たちは、
その罪をあがなうため、この場で自らの首を落と
すこととなっております」  


集団の中のひとりが言うが早いか、皆が一斉に
懐から短刀を取り出して自分の首を斬り落とし
始めた。


道端に激しく血しぶきが飛び、異様な呻き声が
虚空に響いた。  


この事態に仰天し、呉軍は統制を乱してしまった。


「まずい! 撤退だ! 王さま、撤退のご命令を!」  
孫武は戦車を降りて闔閭の側に駆け寄り、激しく
主張した。  


そのときである。草むらに潜んでいた越軍の主力
が呉軍を襲った。放たれた無数の弓矢が音をた
てて自軍に到達する様子を、闔閭は茫然と見るし
かなかった。


「撤退だ!」 伍子胥と孫武は声をあげて兵を統率
しようとする。しかし、乱れた軍律は彼らをもってし
ても修復することは不可能であった。


「霊姑孚れいこふよ。よく狙え」 范蠡は戦車の上
から、ひとりの武者に声をかけた。


霊姑孚というその大柄の武者は、自分の体より大
きい弓を構え、さらにとびきり長い矢をつがえた。


「呉王闔閭を狙う……」 あらかじめ宣言するように
彼はそう言うと、両腕をいっぱいに広げ、弓を引き
絞った。そして一気にそれを放つ。  


矢は轟音をたてながら、呉軍の先頭に向かって
飛んでいった。 「当たれ!」  霊姑孚の叫びと
ともに、矢は闔閭のもとに到達する。


そしてそれは彼の右足に突き刺さった。


「王さま!」 狼狽した周囲の兵が浮き足立った。
もはや盾や剣を捨て、背中を見せて逃走する
始末である。


これを見た伍子胥は、王のもとに駆け寄って、そ
の身を守った。 「なにをしている! 留まっていな
いで撤退するのだ」  


伍子胥はなおも闔閭のもとに届こうとする弓矢を
剣で払いながら、兵を叱咤した。そしてようやく
呉は姑蘇こそにまで退却することができたので
ある。


「一撃で仕留めようとしましたが、叶いませんでした。
申しわけありませぬ」  霊姑孚は范蠡の前で頭を
下げた。


しかし范蠡は、からからと笑い、 「充分だ。貴公に
は私から王さまにお願いして報賞を授けることと
する。期待するがいい」  と言った。


「あの深い矢傷では、闔閭の命は長くもつまい。
これで、失われた罪人たちの命も浮かばれようて」  


戦いは、越の勝利に終わった。


范蠡の戦勝報告を受け取った勾践は、にやりと笑い、
「あと数年もすれば、覇者の地位はこの私のものとなる」  
と宣言したという。…













※…入院10日目の夜。


雷がすごくていったん寝たはずなのに起きて
しまった。 カーテンを開けて、窓の外を眺める。


病室はそこそこ高層階にあったので、景観条例
がある高い建物が作られない京都の町を見下ろ
すことができ、空が広い。


雷が天から光の筋を作り、大音響と共に鳴り響い
ている光景が見えた。 映像ではなく、生でこんな
広い空で光と音を発する雷を見たのは、初めて
かもしれない。 見入ってしまった。


「雷神」という言葉が、思い浮かぶ。 学問の神様
である北野天満宮の祭神・菅原道真は、有能な
人で宇多天皇に重宝され、それゆえに疎まれて
九州大宰府に流され、無念のうちに亡くなった。


その死後、京都の都では御所の清涼殿に雷が
落ちて人が死ぬなど不吉な出来事が次々に起こり、
人々はこれを「道真公の祟りだ」と恐れ、怨霊にな
った道真は雷神と結びつけられた。


そしてその霊を鎮めるために造られたのが北野
天満宮のはじまりだ。


夜の京都の暗い空に、稲妻が走り、ゴロゴロと大
きな音を響かせる雷を眺めていて、そりゃあ昔の
人たちは、怖くて無念の死を遂げた貴人の怒り
だと恐れるだろうなと考えていた。



※…未練、執着


罪悪感のコンボが生み出すもの 私は霊感が無いし、
幽霊など見たこともない。 世の中に不思議なことは
確かに存在するけれど、多くの「幽霊」とされるもの
は、生きている人間が作り出したものだと思っている。


ときどき、本当にそういう気配を感じる人がいるの
は知っているけれど、世の中にある怪談話のいく
つかは思い込みや妄想もあるとは思う。


つまりは生きている人間の生み出したものだ。


それらは未練であったり、執着であったり、罪悪
感であったりする。


菅原道真などの御霊信仰は、まさに生きている
人間たちの罪悪感が生み出したもので、それが
雷という自然現象と結びつけられたのだ。


だから逆にいうと、たとえ人を殺しても傷つけても、
罪悪感がない人たちは幽霊なんて見ない。


入院して、「死ぬかも」と一瞬考えて、結局死なな
かったけれど、そのあと「いつ死ぬかわからない。
人間はいきなり死ぬんだ」と、常に「死」について
考えてはいた。


とりあえず、葬式はしないとか、死後のあれこれに
ついての意志は、どこかに書き留めておくか伝え
ておかないといけないなぁ、とも。


生きたいとは、強く思っている。 何がなんでも生
きていたい、とは。 でも、いくら生きたいと願おうが、
死は容赦ないというのもわかってしまった。


生きるために自分ができることはするけれど、
死ぬときはもうどうしようもない。



※……化けて出てやりたい人リスト


見えも感じもしないけど、怪談を書いているぐらい
だから、幽霊には興味がある。


自分は幽霊になれるのかとも、考えたことはある。
病院のベッドの上で、「退院しても、また具合が悪
くなって今度こそ死ぬかも」とネガティブの沼に陥
ったときに、「もしも自分が死んだら、化けて出て
『うらめしや~』と怖がらせてやりたい人リスト」など
を作ろうかと思った。


要するに暇だから、そんなしょうもない発想がわい
たのだ。 あの人とか、あの人とか、あの人……と、
私はノートに名前を書き出した。


何人か、化けて出てやりたい人の名前が浮かんだ。
でも、わかっていた。 私は死んでも幽霊にはなれ
ない。 そもそも幽霊を見ないし、感じないし、入院
して意識が失われかけた際に、「死後の世界には
何もない」と思ってしまった。


つまりは死後の世界を信じていない。 天国も地獄
も極楽も、私の目の前には存在しなかった。 ただ、
闇だけ。 それが私の死生観なのだ。


死んだらおしまい。 そんな人間が、幽霊になれると
は思えない。 幽霊になる実力が備わってないのだ。


だから「死んだら化けて出てやるリスト」とか作って
も、無駄なだけだなとアホらしくなって途中でやめた。


リストで名前を書き出した人たちは、たとえ私が死
んでも、全く気にしないであろうこともわかっている。


「ああ、死んだんだ」ぐらいで、哀しみもないのは
間違いない。 私は彼ら彼女らによって深く傷つけ
られたつもりになって、大なり小なり恨みの感情が
あるけれど、向こうは傷つけた自覚なんてない。


仕事がらみだと、私も後々が面倒だから、怒りの意
思を伝えることも抑えていた。だから私が、これだけ
恨んで根に持っているのも彼ら彼女らは知らない。


でも、だからこそ、こうして自分の中にずっと憎しみ
が降り積もっているのだ。


罪悪感のない人たちのところに、幽霊は出ない。
だから恨むだけ無駄だと思うと、かなりどうでも
よくなった。



※…仕事関係の恨みは深い


そして「化けてやるリスト」を作ったときに、仕事関係
者が中心なのが自分でも意外だった。


昔から、何度か男に騙されたりDV受けたり、「殺し
てやりたい」「この男の目の前で自殺してやろうか」
みたいな修羅場もあったはずなんだけど、そいつ
らの顔は全く浮かばなかった。


昔、あれだけ恨んだはずなのに、いつのまにか
どうでもよくなっていた。 化けて出るほどの、未練
も執着も彼らに対しては無いということを、あらため
て自覚した。


あと、恋愛がらみの男たちに対してはその場その
場で怒りを発信しているし、私だとて相手を痛め
つけるようなことはしているだろうからイーブンで、
そこで終わっていたのだろう。…








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