貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問















むかしむかし、京都に一匹のカエルがいました。
もう長いこと京都に住んでいたので、どこかち
がう所へ行ってみたいと思っていました。  


ある時、大阪はとてもいい所だという話を聞い
たので、 「よし、ひとつ、大阪見物にでも、
行ってこよう。ケロ」 と、思いたち、さっそ
く出かけることにしました。


「よせよせ、大阪まではとても遠くて、たいへ
んだぞ。ケロ」  


仲間のカエルが言いましたが、「なあに、へっち
ゃらさ。大阪見物の話を聞かせてやるから、待っ
ていな。ケロ」 と、言って、そのカエルはピョ
ンピョンと出かけて行きました。  


真夏の事なので、お日さまはカンカンですし、
道は遠いし、カエルはくたびれてしまいました。  


それでも大阪をひと目見たいと、ピョンピョン
と歩いていきました。  


さて、大阪にも一匹のカエルがいました。  


そのカエルも、もう長いこと大阪に住んでいま
したので、どこかちがう所へ行ってみたいと思
っていました。  


ある時、京都はとてもいい所だという話を聞い
たので、「よし、京都見物にでも、行ってこよ
うか。ケロ」 と、さっそく、出かけることにし
ました。


「よせよせ、京都まではとても遠くて、たいへん
だぞ。ケロ」  


仲間のカエルが言いましたが、「なあに、へっち
ゃらさ。京都見物の話を聞かせてやるから、待っ
ていな。ケロ」 と、言って、そのカエルもピョ
ンピョンと、出かけていきました。  


お日さまはカンカンてるし、道は遠いし、カエル
はくたびれてしまいました。  


それでも京都をひと目見たいと、カエルは、ピョ
ンピョンと歩いていきました。  


京都と大阪の間には、天王山(てんのうざん)と
いう山があります。


「この山をこせば大阪だ。ケロ」京都のカエルは
元気を出して、よっこら、やっこら、山を登って
いきました。


「この山を越せば京都だ。ケロ」 大阪のカエルも
元気を出して、よっこら、やっこら、山を登って
いきました。  


お日さまは暑いし、山道は急だし、京都のカエル
も大阪のカエルもクタクタです。  


二匹とも、やっと天王山のてっペんにたどり着き、
そこでバッタリ出会いました。


「あなたは、どこへ行くんですか? ケロ」
「京都見物ですよ。ケロ」


「およしなさい。京都なんてつまりませんよ。
わたしは大阪見物に行くんですよ。ケロ」


「あなたこそ、およしなさい。大阪なんてつまり
ませんよ。ケロ」  


そこで京都のカエルは立ちあがって、大阪の方
を見ました。 「本当だ。よく見ると、大阪も
京都とたいして変わらないや。ケロ」  


大阪のカエルも、立ちあがって京都の方を見まし
た。「本当だ。よく見ると、京都も大阪とたいし
て変わらないや。ケロ」  


それなら行ってもつまらないと、二匹のカエルは
元来た道を帰っていきました。  


でも、二匹のカエルが見たのは、本当は自分た
ちの町だったのです。  


なぜって、カエルの目玉は頭の上についている
でしょう。  だから立ちあがると、後ろしか
見えないのです。・・・












もう数年前になるけど、赴任先の基幹病院の
ある地方都市。

俺の嫁は誰も知り合いもいない土地で、最後まで
子供の心配しながら最後まで俺に謝り続けて一人
で逝った。3歳の娘一人残して。

葬式の時、「ママいつ起きるの?いつ起きるの?」
って娘は ずっと泣いていた。 娘は嫁の実家で面
倒みてもらっていた。

忙しい病院だった事 に加え、いつも学会準備に
追われていたので帰宅は毎日遅かった。

それでも 休みの日には嫁の実家に泊まりにいって、
少しでも娘と一緒にすごすようにした。

今では 母親がいなくなった事も受け入れている
ようで、俺がいくといつも笑って走って 来て
「パパー!!」って抱きついてきた。

嫁の実家に行ってからは泣くこともなく娘は楽し
く暮らしているように見えた。

嫁の実家で娘と一緒に寝ていた時、深夜にすすり
泣くような声で目が覚めた。

俺が起きた事に気が付くと、一生懸命に寝た振り
をしようとしていたけど、 すすり泣く声が漏れる。

娘を抱き上げて、どうして泣くのを我慢するんだ?
って聞いても黙っていた。

何度も何度も聞いたら、「じいちゃんとばあちゃん
に、パパは忙しくて疲れているのだから絶対に泣
いたりして困らせちゃダメ!」 って言われてそれ
を一生懸命まもっていたらしい。

嫁の実家の生活でも気をつかって、いい子でいな
きゃいけないって頑張って、 3歳の子が泣きもせ
ず、わがままも言わずに祖父母の言う事もよく聞
いて、毎晩 ふとんの中で祖父母を起こさないよう
に一人で声を殺して泣いていたらしい。

娘は嫁の実家に来て以来はじめて大声をあげて
泣いた。 「ママんとこ行きたいー おうちに
帰りたいー おうち帰るー」 ってずっと叫ん
でいた。

娘にとっては大好きな母親と暮らしたあの家だけ
が「自分のおうち」だった。

今まで言えなかった思いが噴き出して狂ったよ
うに朝まで泣き叫んでいた。

驚いて起きてきた祖父母も悟ったらしく一緒に
泣いていた。

娘に「もう頑張らなくていいんだよ。おうちに
帰ろうね」と約束して抱きしめて 一緒に泣いた。

医局を辞める決意をした。

娘を連れ帰ると決めたので、少しでも娘と一緒
にいる為に。 週休3日の自由診療のクリニック
への入職も決めた。

休みが多く早く帰宅できて、当直や オンコール
のない職場ならなんでもよかった。

教授室のドアをたたき事情を説明した。

教授はドロップアウトする俺を、汚物でもみる
ような目でみて 「いいから早くここから出て
行きなさい」と言ったのを最後に 目もあわせ
てくれなかった。

上の先生達にも、数時間なじられた。赴任先の
病院を 急に辞める事で迷惑かけるので、血の
気の多い先輩には殴られた。

退局後、祖父母に心からのお礼を言って娘を連れ
帰ってきた。

小さな仏壇も用意して、その前が娘のお気に入り
の場所になった。

昼間は保育園にあずけたり、嫁の実家にあずけ
たりして新しい仕事を始めた。

早いと4時、遅くとも6時には帰る事ができる
クリニックだったので、娘とすごす 時間は
格段に増えた。

包K手術から植毛、美容外科までなんでもやった。
大学の同期の連中からは白い目で見られ続けた。

その手のクリニックが今よりはるかに あやしい
イメージの時代だったので。こんな医者として
最下層までドロップアウトした俺を見て育った
のに、 娘は医学部に行きたいって言い出した。

正直、今の情勢で医者になるのは疑問だったけど、
こんな俺を見ながらにして同じ仕事を目指して
くれたのが本当にうれしかった。

医学部に合格して、娘と二人で母親の墓前に
報告にいった。 こんなにいい子に育ってくれ
たと胸をはって報告できた。

娘が社会にでて、幸せにしてくれる旦那をみつけ
たら俺はいつ死んでもいいな。

ちょっと疲れたよ^^;。・・・







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