貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・特別編













※… シロアリの女王の仕事は卵を産むことのみ


シロアリという名前であるが、実際にはアリの
仲間ではない。


アリは昆虫の中では進化したタイプであるのに
対して、シロアリは、3億年前の古生代から今と
変わらない姿をした「生きた化石」と呼ばれる
ほどの古いタイプの昆虫である。


シロアリはゴキブリ目に分類されていて、アリ
よりもゴキブリに近い昆虫なのである。


シロアリは、1匹の王である雄アリと女王アリの
つがいと、オスとメスからなる働きアリや兵隊
アリでコロニーを作る。


そのコロニーは、種類にもよるが数十万匹から
100万匹を超えるような巨大な集団となる。


女王アリの仕事は卵を産むことである。女王アリ
以外のメスのアリは卵を産むことができない。


女王アリは、日々たくさんの卵を産んでいく。
その卵からかえった働きアリたちは、かいがい
しく働き、王国のために尽くすのだ。


もちろん、女王アリが、自ら餌を集めたり、
部屋の掃除をする必要はない。


働きアリたちが餌を食べさせてくれるし、部屋
の掃除や排泄(はいせつ)物の世話さえしてく
れる。女王が産んだ卵からかえった幼虫の世話
も働きアリの仕事だ。


女王アリは何もする必要はない。ただ、卵さえ
産んでいればいいのだ。


働きアリが、数年の寿命であるのに対して、
女王アリは10年以上も生きることが知られて
いる。長いものでは数十年生きる女王アリも
発見されているというからすごい。


昆虫の寿命は長くても1年以内のものが多い
から、シロアリの女王アリは、もっとも長寿
な昆虫と言われているほどだ。


もっとも、女王アリは、多くの卵を産むため
に腹部を発達させているので、体が重く、活発
には動けない。


しかし、それでもまったく問題はない。身の
まわりのことはすべて働きアリがしてくれる
のだから。まさに女王にふさわしい高貴で優雅
な生活だ。


1匹の女王アリは、1日に数百個もの卵を、1年
中休むことなく毎日産むのである。単純計算でも、
年間何万匹もの働きアリを産むことになる。


こうして、女王から生まれた働きアリたちによ
って、巨大な王国が作られているのである。


シロアリのように役割分担を決めた社会を作り
出す生物は、「真社会性生物」と呼ばれている。


働きアリは、巣のために働くという役割のみが、
兵隊アリは巣を守るという役割のみが、そして、
女王アリは卵を産むという役割のみが与えられ
ているのである。


1匹の生物が、巣を守り、餌を獲り、子孫も残す
というすべてをこなすのは大変である。巣を守れ
なくても死んでしまうし、餌を獲れなくても死ん
でしまう。


もちろん、子孫を残せなければ、自らの血を絶や
してしまうことになる。


そこで、シロアリなど社会性を持つ生き物は、
大きな集団を作り、役割分担をして集団を守る
という戦略を発達させたのである。


個人事業主ではなく、組織化された大企業を目指
したのである。


なぜ子孫を残さない働きアリは巣のために尽く
せるのか しかし、不思議なことがある。


すべての生き物にとって、子孫を残し、自らの
遺伝子を次の世代につなぐことは重要である。


それなのに、どうして働きアリたちは、自らは
子孫を残さずに、巣のために尽くすという使命
に従っているのだろうか。


女王アリから生まれた働きアリたちは、すべて
血を分けた、自らと同じ遺伝子を持つ兄弟姉妹
である。


そして、その兄弟姉妹たちによって巨大な王国が
築かれている。つまり、兄弟姉妹で構成された
巣を守ることは、自らの遺伝子を共有するもの
を守ることになる。


やがて、自分たちの兄弟姉妹から新しい王や女王
が誕生すれば、生まれた子どもたちは、甥(おい)
っ子や姪(めい)っ子にあたる。


つまり、自らの遺伝子を引き継ぐ甥や姪が次々
に生まれていくことになるのだ。何も自分で子孫
を残さなければ遺伝子を残せないわけではない。


兄弟姉妹を守ることが、結果的には自らの遺伝子
を残すことになるのである。そのため、働きアリ
たちは、黙々と働き続けるのだ。


シロアリは、一般に、家屋の基礎部分などの腐っ
た木の中に巣を作り、その木材を餌にする。その
ためシロアリの働きアリたちは、腐った木の中に
築かれた王国の中で安心して仕事ができる。


しかし、この生活には1つだけ、問題がある。
木の中に棲(す)みながらその木を食べている
のだから、部屋の壁や天井を食べ尽くせば、棲む
部屋がなくなってしまうのだ。


そのため、シロアリは、今の住まいとは別の箇所
の木材を食べて新しい部屋を作りながら、古い
部屋は食べて片づけ、新居に移動しなければな
らない。


働きアリは自分の足で簡単に移動できる。しかし、
女王アリはそうはいかない。


巨大な腹部を持つ女王アリは、自力では移動でき
ないのだ。女王アリは、働きアリたちに運んで
もらわなければならないのである。


しかし、このとき女王アリに恐怖が訪れる。


働きアリが、女王アリを連れて移動するとは
限らないのだ。


「女王」とは言っても、彼女に働きアリへの
命令権はない。働きアリは、自らのために女王
アリの世話をしている。


女王アリを連れていくかどうかは、働きアリたち
が判断するのだ。


女王にとって働きアリが働くマシンであるならば、
働きアリたちにとって女王アリは、いわば卵を
産むマシンでしかない。


卵を産むことだけが、女王の価値なのだ。


シロアリの巣の中には、女王が死んだときのため
に副女王アリが控えている。


産む能力の低くなった女王アリは容赦なく捨て
られる 卵を産む能力の高い女王は、当たり前
のように働きアリたちに連れられて新しい部屋
へと運ばれてゆく。


しかし、もし、卵を産む能力が低いと判断を下
されれば、働きアリは、女王を運ぼうとはしない。


運ぶ価値がないという烙印(らくいん)を押さ
れてしまうのだ。そして、副女王アリが、新しい
女王の座につく。こうして何事もなかったかの
ように王国は維持されていくのだ。


働きアリは休むことなく、女王の世話をし続け
てきた。女王アリは休みなく卵を産まされ続け
てきた。


働き続ける働きアリと卵を産み続ける女王アリ。
働かされているのは、本当はどちらなのだろ
うか。


歳をとり、卵を産む能力の低くなった女王アリ
は、働きアリたちに見向きもされず、容赦なく
捨てられていく。


もしかすると、女王の地位に君臨した女王アリ
は、働きアリを憐れんでみたことがあったかも
しれない。


しかし今や、働きアリは年老いた女王アリを
憐れむことさえなく、置き去りにしていく。


卵を産むために生まれ、卵を産み続けてきた
女王アリ……


彼女は歩くことはできない。誰かが運んでく
れなければ移動できないのだ。


しかし、もう誰も戻ってはこないだろう。
もう誰も餌を運んでくることはないだろう。


たくさんの子どもたちを産んだ思い出の詰
まった古い部屋に、彼女だけが置き去りにさ
れていく。


それが女王である彼女の最期なのである。…











今の子どもたちは政治家とか学校の先生とか、
世の中のことや大人のことをあまり信用しなく
なってきました。  


それは周りにいる大人が信用されるようなこと
をしていないからです。こんな世の中になって
いる今だからこそ、本がとても大事だと私は思
っています。  


うちの孫たちに人気があるのはシートン動物記
の『狼王ロボ』です。


孫が小学1年生の時でした。私の娘がその本を
読んであげていると、「お母さん、僕の目どう
かしてる?」と聞いてきたんです。  


「どうして?」と聞くと、その本を読んで感動
して涙が出ていたんです。


だけど小さいから何で涙が出てくるのか分から
なかったんですね。  


娘は「素晴らしい本を読むとね、自然に涙が
出てくるときがあるのよ。お母さんもこの本を
読んだ時はいっぱい涙が出てきたんだよ」と言
ったそうです。


※…『大きなかぶ』という絵本をご存じですか。


「うんとこしょ、どっこいしょ」と、ネコや
ネズミまで一緒になって大きなかぶを引っこ
抜くお話です。  


「これを家でやろう」ということになり、私が
かぶの役になって、家内と娘を呼んできてやっ
てみたんです。


でも家族では足りなくて、最後には隣のおばさ
んまで呼んで「うんとこしょ、どっこいしょ」
ってやりました。  


その時、娘が「いいね、いいね。力を合わせれ
ば抜けるよね」と言ったんです。


知らない間に『大きなかぶ』の中から大切なもの
を学び取っていました。


※…相田みつをさんの作品に『トマトとメロン』
というのがあります。


これを小学1年生の公開授業で使いました。
トマトとメロンの絵を見せながら、「トマト
とメロンはそれぞれ自慢できるものを持って
います。


さぁ、どんな点が自慢できるでしょう。
グループで話し合ってください」と投げかけ
ました。  


いろんな答えが出ました。「トマトは赤いのが
自慢で、食べるとピュッと甘い汁が出る」とか、
「トマトは安くて数が多く買える」とか。


メロンについては、「いや、こっちのほうが
甘い」とか「おいしい」など。  


中に1人、「メロンは病気のお見舞いに役立つ」
と答えてくれた子どももいました。  


相田みつをさんはこの作品の中で何が言いた
かったのかというと、「それぞれ良い点があ
るけど、自慢し合うばかりじゃなくて、良い
点を認め合っていくことが大事じゃないか」
ということでした。  


そこで子どもたちに問題を出しました。  


「トマトとメロンが自慢し合ってるだけじゃ
ケンカになっちゃう


どうしたらこの両方が仲良く生きていけるだ
ろう」どんどん手が挙がりました。「半分ず
つ食べてみればいい」という意見も出ました。


もうそろそろ40分の授業が終わろうとして
いたとき、1人の女の子が手を挙げました。  


「人それぞれに違いがあって、それぞれに
いい点があるんだから、認め合って生きて
いけばいいと思います」  


この授業を後ろで見ていた20人ばかりの先
生たちが「おぉ」と驚きの声を上げました。  


授業が終わって、私は担任の先生に聞きま
した。「あの子のあの表現力って何でしょ
うね」  


すると担任の先生は、「あの子はよく本を
読んでいる子です」と答えてくれたんです。  


だからあんなに素敵な言葉で表現できる力
があったんですね。


author:(みやざき中央新聞 )










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