貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問



















※…  
六助は奥さんのおいちと二人で山のかやをかって
きては、それを売ってわずかなお金をもらって暮ら
しています。  


ある日の事。 「おや? こんなところに、キツネの
巣穴(すあな)があるわい」  


それを聞いた奥さんのおいちは、六助に言いま
した。 「あんた。さわらない方がええよ。たたりが
あるかもしれねえから」


「なに、たたりなんかあるもんか。 見ろ、こんなに
かやがおいしげっておるじゃろう。 これじゃ、中は
一日中暗いし、お月さまもおがむ事も出来ない。  


待ってろ、おれが掃除をしてやるからな」  


六助はそう言って、キツネの巣穴のまわりの
かやをきれいにかりとってあげました。  


その日の、夜の事です。 ねむっている六助と
おいちのところに、キツネがやってきて言い
ました。


「今日はご親切に、家の周りの掃除をしてくれ
てありがとう。  おかげで日当たりが良く、夜に
はお月さまをながめられるようになりました。  


お礼に、良い事を教えましょう。  


あと十日もすると、京の伏見(ふしみ)のおいなり
さんに富くじが出ます。 それを買うと、良いで
しょう。  きっと、大当たりしますから」  


キツネはこう言うと、帰っていきました。  


それを聞いた二人は、それを信じようとはしま
せんでした。 「富くじなど、なかなか当たるもん
でねえ。第一、当たった話しを聞いたことがね
えぞ。それに、そんな物を買う金もねえしな」


「本当にねえ。富くじなんて、お金を捨てるよう
なものですよ。おほほほほほほほ」  


でも次の日も、そのまた次の日も、キツネは
やって来て言うのです。


「富くじを買うんだ。本当に当たるから」何回も
何回もそう言われると、二人はだんだんとその
気になってきました。


「なあ、もしも富くじが当たれば、金や米がぎょう
さん手に入るな」


「そうですけど。でもあんた、伏見まで行くお金
なんてありませんよ」  


するとその夜、またキツネが出て来て言いました。


「伏見までのお金は、戸やしょうじを売ってつく
ればええ。富くじが当たれば、安いものだろう」  


それを聞いた二人はなるほどと思い、さっそく
家の戸やしょうじを売ってお金を作ると伏見へ
と向かいました。


「よしよし、金が手に入ったら、まずは立派な家
を建てて、おいちにもいっぱい着物を買うてや
ろう。それからそれから・・・」  


六助は七日かかって、やっと伏見につきました。
だけど町中は、シーンとしています。


「おかしいな。富くじのある日は、人でごった返し
ていると聞いたが」  六助は、通りかかったおじ
いさんに尋ねました。


「あの、お尋ねしますが、富くじはどこで売って
るんで?」


「へえ? 富くじ? それは、来年の二月二日の
午の日の事か? その日に富くじが売られるが、
まだ一年も先のことだよ」


「・・・はあ?」  六助は仕方なく家に戻って、
おいちにわけを話しました。  


それを聞いたおいちは、まっ赤になって怒り
ました。 「わたしは、お前さんがお金をたくさん
持ってくると思って、楽しみにしていたんだよ。  


戸もしょうじもないこの家で、寒いのをがまんして
待っていたんだよ。  どうしてくれるの!」


「そんな事を言うなら、お前が行ってくれば良
かったんだ!」


「なによ、お前さんが行くと言ったんだろ!」
「いいや、言い出したのはお前だ!」  二人
はたちまち、大げんかです。  


その様子を見て、天井のはりの上からキツネ
が顔を出して言いました。


「やーい、六助。  よーく、聞け! お前はわし
の巣穴の大切なかやを、全部かったじゃろ。  


おかげでわしの家には風がスースー入り込んで、
おちおちねむる事も出来なくなったんだ!  


お前たちも戸やしょうじがなきゃ、わしと同じ
気持ちだろう。 どうだい、ねながらお月さまを
見る気持ちは。  けっけけけけけけけけ」  


それを聞いた六助は、おいちに言いました。


「ああ、こっちは親切のつもりでやったのに、
キツネにとっては、ありがためいわくだったん
だなあ。  


今思うと、悪い事をしたな。 明日、キツネの
巣穴の前に戸を立てて来るよ」  


次の日、六助はキツネの巣穴の前に、大きな
石をおいて帰りました。  


その後、道行く人はその石を『六助いなり』」
といって、おがんでいくようになったという
事です。 …












※…
古来より日本人は「孝行」をとても重んじてきました。


日蓮聖人の御遺文『開目抄』にも次の一節が
あります。


「孝と申すは高なり、天高けれども孝よりは高
からず。又孝とは厚なり、地厚けれども孝より
は厚からず。聖賢の二類は孝の家より出でたり」


日本人に大きな影響を与えた儒教の経典に
『孝経』があります。


聖徳太子の頃に渡来し、その後、奈良の孝謙
天皇は天下に詔され、家毎に『孝経』を一巻蔵
せしめられたということです。


また平安時代には皇太子の読書始めに『孝経』
が用いられたそうです。


『孝経』は孔子が弟子の曽子に説いたものだと
いわれています。


孔子によれば、「親孝行は徳の行いの根本的
なものだ」というのです。


また「孝行が必ずしも高尚深遠なものだと思う
必要はない。


たとえば、飲食の不摂生をせず、病気にならな
いように自分の体を大切にすれば、それが親
孝行になる」といいます。


孝道の第一歩は親からもらった体を大切にする
ことなのです。


そして「卑近な第一歩から踏み出し、その後に
社会に出て人格を陶冶し、人の範となり、自分
の名とともに親の名を高めることが孝道の成就
である」と書かれています。


『孝経』の最後には親の死につかえる道が示さ
れています。


「野辺への葬送に当っては、声を張り上げて泣き、
心の限り精の限りに哀しみを尽くすように」と書い
てあります。


さらに「墓を建てるにあたっては良い場所を選び、
神仏を祀るように供養せよ。そして、四季折々、
命日その他の時々に墓に足を運び祭事を行い、
みんなで故人を偲び合うように」とあります。


故人を語ることはご供養になるのです。


法事の時に「人間は二度死ぬ」という話をよく
聞きます。


一度目は肉体の死、二度目は忘れ去られて
しまうこと。


それゆえ、「法事の際には故人のことを偲んで
語り合いましょう」というのです。


これが孝行であり、ご供養になるのです。…








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