貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問



















※…
店の主人の五郎は貧乏ですが、近所でも評判
の正直者で、お金を払えない人にはただで餅を
わけてあげました。  


そのため、五郎はますます貧乏です。  


ある日の事、五郎が餅を店に並べていると、
前の道に何か白く光る物が落ちていました。


「何だろう?」 不思議に思いながらそばへ行っ
てみると、何と銀のさじが六本も落ちていたの
です。


「こいつは、大変なお宝だ」 五郎は六本のさじ
を拾い上げると、あわてて辺りを見ました。  


しかし、どこにも人影はありません。 (どうしよう? 
落とした人は、さぞ困っているだろう)


五郎はさっそくさじを持って、落とした人を探し
に出かけました。


「誰か、このさじを落とした人はいませんか? 
わたしの店の前に落ちていたのです」  


近所の人たちに尋ねても、みんなは知らない
と首を横に振るばかりです。  


正直者の五郎は店を休んで、村から村へと落
とし主を探し歩きました。  


そして十日ほどたって、ようやく落とし主が見つ
かりました。  


それは町で古道具屋を開いている、仁兵衛
(じんべえ)だったのです。


「やれやれ、見つかって良かった」 そこで五郎は
仁兵衛の店へ銀のさじを届けに行ったのですが、
この仁兵衛は、とても欲の深い人で、わざわざ拾
って届けてくれた正直者の五郎から少しでもお金
を巻き上げようと、こう言ったのです。


「確かに、この銀のさじはわしが落とした物だ。
だが、さじは七本あったはず。どうして六本し
かないのだ?」


「そんな事を言われても困ります。わたしが拾っ
たのは、六本だけです」


「それなら、残りの一本はお前が取ったに違い
ない。どうしても返さないと言うのなら、その一本
分の代金を払って貰おう!」  


そう言って仁兵衛は、高いお金を要求したの
です。


「そんな。わたしには、そんなお金はありません。
せっかくここまで届けに来たのだから、受け取っ
て下さいよ」


「いや、受け取れん!代金を払わないのなら、
残りの一本を返せ!」  


五郎さんは、すっかり困ってしまいました。  


そこで奉行所へ訴え出ると、幸運な事に、名裁
きで有名な大岡越前がじきじきに裁いてくれる
というです。  


五郎と仁兵衛が、お白州(おしらす→裁判を受
ける場所)に入ると、越前が尋ねました。


「五郎に尋ねるが、お前が拾った銀のさじは、
六本しか無かったのだな?」


「はい、お奉行さまにお預けした通り、六本だけ
です」


「では、仁兵衛に尋ねる。お前が落としたのは、
七本であったな」 「はい、七本です。


それなのにこの男は六本しか返さず、一本を
ネコババしたのです。そこで仕方なく、お金で
ゆずってやると言っても承知しないのです」  


仁兵衛が、胸を張って言いました。


「そんな、ネコババなんてしていません!お奉行
さま、銀のさじは六本しかなかったのです。信じ
てください!」


「何を言う、この盗人め!品物を返さないのなら
代金を払う。当然の事だろう!」


「おら、盗人じゃねえ!」 「いいや、この盗人め!」  
二人はとうとう、言い合いを始めました。  


二人の態度を見ていると、越前には仁兵衛が
うそをついているのは明らかなのですが、証拠
がない以上、うそと決めつけるわけにはいきません。  


しばらく考えていた越前は、二人に言いました。
「ともかく、二人とも黙れ! 


いいか、お前たちはわたしに裁きを求めて来た。
どんな裁きであろうと、反論する事は許さぬぞ」


「はい」 「はい」 五郎は、もしかすると自分がお金
を支払わなければならないと思うと、心配でたまり
ません。  


一方、仁衛兵の方は、最悪でも落とした銀のさじ
が自分の元に戻ってくるし、うまくいけば余分に
お金をもらえると余裕です。  


越前は、そんな二人にこう言いました。


「仁兵衛が落としたのは、『七本のさじ』。五郎が
拾ったのは、『六本のさじ』である。


よって、五郎の拾ったさじは、仁兵衛の物では
ない。仁兵衛は、自分が落とした『七本のさじ』
が出てくるまで、待つがよい。


そして五郎の拾った『六本のさじ』は、持ち主が
現れないものとして、拾った五郎の物とする。


よいな!」  


それを聞いて、仁兵衛はびっくりして、 「そ、そん
な馬鹿な。お奉行さま、あのさじはわたしの物です。


実はあのさじは、最初から六本・・・」 と、言いかけ
て、慌てて口を押さえました。  


それを見て、越前は怖い顔で仁兵衛に言い
ました。 「ほほう。最初から六本と言う事なら、
あのさじはお前に返してやろう。


しかし、おかみに嘘をついた罪として島流しを命
ずるが、それでも良いのだな!」


「・・・いえ。わたしの落としたのは七本のさじなの
で、五郎が拾った六本のさじは、五郎の物です」  


仁兵衛は、泣きそうな声でそう言いました。  


越前は、そんな仁兵衛をにらみつけると、にっこり
笑って五郎に言いました。


「五郎よ。聞いての通り、お前が拾った六本のさじ
は仁兵衛の物ではない。落とし主が分からぬゆえ、
遠慮なく貰って帰るがよいぞ」


「はい。お奉行さま。名裁きをありがとうございます」  


こうして六本の銀のさじは正式に五郎の物となり、
五郎は大喜びで家に帰って行ったのです。


「うむ。これにて、一件落着!」…













子どもとともに時間を過ごしていると、…


”こんなことができるようになったのか””なんて
感性が豊かなんだ”と驚かされることがよくあり
ます。


「親バカ」と言われようが、できることならば、子ど
もの得意なこと、好きなことを見つけて、そこを伸
ばしてあげたいと考えるのが、親というものだと
思います。


偉人の中には、幼少期にかけられた親の言葉
をじっと心に留めて、その才能を伸ばしたという
ケースも少なくありません。


漫画家の手塚治虫さんは、『鉄腕アトム』『ジャン
グル大帝』『リボンの騎士』『火の鳥』『ブラック
・ジャック』など数多くのヒット作を世に送り出し
ました。


どの作品も時代を越えて愛されており、「漫画
の神様」と呼ばれるにふさわしい功績を残して
います。


アニメーションの制作においても革命を起こして
います。日本最初のテレビアニメ『鉄腕アトム』
の成功によって「テレビアニメ時代」が到来した
のです。


アトムは世界にも飛び出しました。アメリカでは
『アストロボーイ』と改名されて放映され、その後、
イギリス・フランス・西ドイツ(当時)・オーストラリア
・台湾・香港・タイ・フィリピンなど、世界40カ国以
上で放映されました。


ちなみに、アメリカでは、当時ニューヨークの
6時半から7時の時間帯で最高視聴率を記録
しています。


このように日本の漫画界に金字塔を打ち立て
た手塚さんですが、その才能を伸ばしたのは
お母さんです。


手塚さんの豊かな発想力に気づいたお母さん
は「民話」や「おとぎ話」、自作の「創作話」、時
には「漫画」を毎晩、情感たっぷりに手塚さん
に読み聞かせたそうです。


手塚さんが言っています。 「小さい子どもは、口
伝えで物語を聞かせてもらうとよく心に残るもの
です。


話を聞きながら、イメージで頭の中にその場面
とか、出てくる人間の姿とか表情を見ることがで
きるのです」


小学生になると手塚さんは、自分で話を作って
漫画を描くようになりますが、先生に見つかり、
こっぴどく叱られ、お母さんが呼び出されました。


帰宅したお母さんが手塚さんに言いました。


「どんな漫画を描いていたのか見せてちょうだい」
手塚さんのノートをじっくり見て、お母さんは言い
ました。


「治ちゃん、この漫画はとてもおもしろいわ。お母
さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンに
なりましたよ。


これからもお母さんのために、おもしろい漫画を
たくさん描いてね」


お母さんの言葉を受けて、ますます創作に励んだ
手塚さんは、その一方で大阪帝国大学付属医学
専門部(現大阪大学医学部)に通い、医師免許
を取得。


在学中から漫画家として活動していましたが、
やがて両立に苦しむようになります。


手塚さんがお母さんに相談すると、「あなたは
漫画と医学とどっちが好きなの?」と聞かれ、
手塚さんが躊躇なく「漫画です」と答えると、お
母さんはあっさりと「それなら、漫画家になった
方がいいわ」と言いました。


当時は漫画家の地位が著しく低い時代でした
が、お母さんは手塚さんの夢を後押ししてくれ
たのです。


手塚さんは後年言っています。 「母はいいこと
を言ってくれたと思います。母のこのひと言で
決心がつき、本当に充実した人生を送ることが
できました」


親の言葉は子どもの才能を育み、時に情熱を
さらに燃え上がらせるきっかけとなるのです。


こういう親の言葉の大切さは、偉人の家庭ばか
りでなく、一般の家庭でも同じです。 …








×

非ログインユーザーとして返信する