貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・特別編

















※…働き盛りでがんになる。


あなたは想像したことがあるだろうか。国立
がん研究センターの統計によると、


2016年にがんと診断された約100万人中、
20歳から64歳の就労世代は約26万人。
全体の約3割だ。



※…診断後の肝臓がん「余命半年」


2020年2月、建設会社の松下産業で働く寺川
達也さん(54)は、激しい腹痛に耐え切れず夜
間の救急外来に飛び込んだ。


「食べても戻すようになり、やがて胃が痛くて
我慢できなくなったんです。


病院は歩いて行ける距離なんですが、痛くて
タクシーで行きました。


最初の診断では『大丈夫。胃薬を出します』
と言われました」 だが、胃薬を飲んでも痛み
はおさまらない。


2週間ほど我慢を重ねた後、今度は救急車を
呼んで駆け込んだ。


超音波(エコー)検査もしてもらったが、再び
「問題なし」の診断。


寺川さんは処方された胃薬が全然効かない
ことや、先月から飲み食いがほぼできないこと
などを訴えた。


腹水(胃や腸の間にある体液)が異常にたまっ
ているとわかり、ようやく入院が決まった。


再度の超音波検査で、肝臓に影があると判明。


その後、成人男性の握りこぶし大の肝臓がん
とわかった。


3月には腹水もがんの圧迫による影響の可能
性が高く、肺への転移もあり、手術では完全に
取り切れないステージ4で余命6カ月と告知された。


「その大きさの悪性腫瘍を、超音波検査で2回も
見落とすのか?という疑問はありますが、今さら
どうこう言っても仕方ない。


余命半年と言われて死を覚悟しました。


主治医から手術はできないが、新しい抗がん剤
があるので、それを試してみますか?と聞かれ
ました」


それが効いてがんが小さくなれば切除できる
かもしれない。寺川さんは腹をくくった。



※…会社側との面談時の、突然の心境変化


寺川さんが次に考えたのは家族のこと。当時22
歳の長男は社会人になって家を出ていて、同じ
く21歳の長女も再来年に卒業予定と、親元を離
れつつあった。


一方、心配なのはルーマニア人の妻のことだった。
妻は日本語が得意とは言えず、今後必要になる
手続きは早く始めておくべきだと考えた。


寺川さんは「万が一に備えて、妻に必要な手続き
について説明してもらえないか」と、会社に相談。
自宅最寄り駅前のレストランで話し合いが持たれた。


「手続きの話はとりあえずいいです」 自身が依頼
した席で、なぜか寺川さんはそう切り出した。


隣で妻は当初から泣いていた。彼は当時の心境
の変化を振り返った。


「会社に電話した時点では死を覚悟していて、
今できることをしなければならないと手続きの説
明をお願いしました。


家族が路頭に迷うわけですから」 だが、面談
当日の寺川さんは直感した。今その話をしたら、
きっと自分も妻も心が折れてしまう。


今する必要はない、妻をもっと悲しませるだけ
だ、と。 「諦めるのはまだ早い。できるかぎり頑
張ってみて、それでもダメならそのときに考えよう。


今はまだ妻や家族に悲しみを背負わすわけに
はいかない」 寺川さんは自分のことより、妻や
子供たちのことを最優先に考えていた。…



※…全社員が使える「よろず相談所」


寺川さんとの話し合いに同席したのは、同社の
社員が困りごとを相談できる「ヒューマンリソース
センター(HRC)」の担当者。


病気の場合は病院探しから家族の相談支援
まで対応する。 病気に限らず、若手なら資格
取得や子育て支援、中高年なら親の介護や
マネープランの相談にも乗り、社外の社労士
やFP(ファイナンシャルプランナー)、弁護士
とも連携する。


2013年に取締役会直下の「よろず相談所」
として設置された。


松下産業社長の松下和正さんは、残業時間
の多さとメンタル不調対策は以前からの課題
だったと話す。


退職者が多い上司の個別指導や、人事考課
でのマイナス査定も実施したが、なかなか改善
は進まなかったという。


そこでHRCを設置したところ、プライバシーが
保護された環境で、ためらわずに何でも相談
できると、残業もメンタル不調問題も次第に
減っていった。


※…
現在、がん関連では治療と仕事の両立を目指
して出社か、在宅勤務の人が合計9人いる(20
22年5月末)。


社員数240人規模の中小企業の対応としては
手厚い。


「在宅勤務で治療中の人なら治療経過の報告
や、自身が担当する現場業務の進捗などを
共有できるソフトもあります。


在宅でも孤立感を与えず、現場からは個別に
励ましのメールなどを届けられています」


2020年10月、寺川さんは在宅勤務で復職。
本人によると体力面では従来を「100%」と
すれば「50、60%」程度。


往復約2時間の通勤を省けるのは体力面でも、
またコロナの感染予防の両面でありがたかっ
たと話す。


※…
「バージンロードを一緒に歩きたい」という手紙


寺川さんが入院中、21歳の長女から送られて
きた手紙の一部を紹介する。


「……私の結婚式のとき、つやがいないとバー
ジンロードも歩けません。私は一緒に歩きたい
です。


私は元々口数が少ないし、今まで親に対して
ツンツン生意気で、でもそのかわりに将来は
親孝行しようと思っていたから、私の親孝行も
受けて貰わないととても困ります」


つやとは寺川さんの通称。ルーマニア人の妻が
「達也」の「た」の発音が苦手で「つや」と呼んで
いて、長女もそれにならっている。


バージンロードのくだりは、抗がん剤治療で
入院中だった寺川さんの涙腺を何度も刺激
したはずだ。


寺川さんによると亭主関白ではなく、空気みた
いな存在。余命半年と伝えられて、家族は初め
て自分がいなくなった状態を想像したはずだと
いう。


「それまでは『頑固!』だとか、『同じことを何回
も言う』とウザがられていましたけど、みんな急に
優しくなりました。


まっ、父親ってどこの家でもそんな感じじゃない
ですかねぇ。在宅勤務で家にいる時間が増えま
したが、とても過ごしやすくなりましたね」…


寺川さん自身もコロナ禍での入院治療を通して
家族への感謝の気持ちが高まり、退院後はこま
めに「ありがとう」と伝えるようになった。


寺川さんは新しい抗がん剤が効果てき面で、
肝臓がんは当初の約3分の1に縮小し、肺の
がんも消失した。


結果、当初は無理だと言われた手術を2020年
8月に行い、肝臓のがんを全部摘出することに
成功。


がんの告知から2年以上が過ぎた今も定期検査
を受けながら、仕事を続けている。


ステージ4で余命半年と言われれば、誰でも
一度は絶望する。


だが、抗がん剤や放射線治療でがんが縮小
や消失すれば、切除できる可能性もある。


がん医療が進歩する今、知っておきたい事実だ。



※…人は諦めた時点で負けです、と寺川さん。


「決して希望を捨てず、心と知恵と知識と経験と、
時には神頼み。あらゆる手を尽くし事に取り組め
ば、いい結果が望めるものと思い続けて、頑張っ
て生きています。


家族の父親への愛情。
寺川さんの家族への感謝と責任感。
そして社員に寄り添う会社の支援。


人生最大の危機を打開した原動力だった。













※…
日本で最も難しいと言われる  司法試験を
見事突破し日本で3人目となる全盲の弁護士  
として活躍している大胡田誠さん。  


しかし、その歩みは、様々な困難・逆境の連続
でした。  


大胡田さんの、これまでの人生の歩みと 目標
を成し遂げる心の在り方を 語っていただいた
インタビュー  


(司法試験への挑戦は並大抵の ことではなかっ
たでしょうね。) (大胡田)  いろいろありました。    


まずは大学受験が大変で、点字の 参考書や
問題集がなかったので、 ボランティアさんを探
して  点字に翻訳してもらうところから  始めな
ければなりませんでした。  


それに、全盲の学生は 前例がないということで、  
多くの大学から受験を  拒否されました。  


結局、視覚障碍の学生がいる  慶應大学を
受験させてもらって、何とか補欠で入学すること
が できたんです。    


静岡の実家からは通えないので、下宿先を探す
ために母と一緒に 不動産屋を回った時には、  
段差があるからとか、 火が出たら危ないとか、  
遠回しに部屋を貸すことを  拒否されました。  


母は明るい女性で、それまで自分の 子供の
障碍を卑下するような 態度を取ったことは  
全くなかったんですけど、 … 


帰り道にポツリと、 「誠、本当にごめんね……」    
って言ったんです。  


母の気持ちを思うと何だか  私まで泣けてきち
ゃって、あぁこれから生きていく  社会っていうの
は本当に 厳しいなと痛感しましたね。  


※…大学時代も本当に いろんなことがありました。    


入学してすぐの哲学の授業に 出席したら、教授
から荷物を 持って前に出てくるように 言われました。  


君が点字でノートを取る時の 音がうるさいという
苦情が 出ているから、隅っこで授業を 受けなさい
と言われたんです。  


やっとみんなと同じ スタートラインに立てた喜びに  
胸を膨らませた矢先だったので、 もう本当に辛く
て、思わず涙が 出てきました……。    


ところが次の瞬間、他の学生が口々に、「席を
移る必要はない!」 と声を上げてくれたんです。  


大胡田君も仲間なんだから、好きなところで授業
を受けていい。  


うるさいと思うならその人が  席を移るべきだと。
あの時の仲間の声は  いまでも耳に残っています。
  …










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