貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

















第三章:呉越相撃つ・ 喪中を討つ  


楚王軫は協議の上、国都を郢から鄀じゃくに
移した。


より北上した形であり、南方からの呉の攻撃を恐
れてのことである。


「楚はしばらく、これでいいだろう。新しい都を
作るにも国や民も懸命となるだろうから、我々
にとってしばらく脅威はない。


仮に彼らの心に復讐心が宿っていたとしても、
それを形にする余裕は、今の彼らにはない
はずだ」  


孫武は伍子胥を相手に、そう話した。しかし伍子
胥には疑問が残る。


彼らの心に宿る復讐心を我々が消すことができ
るのか。そうではないとしたら、我々はいずれ復
讐される運命にあるのか……。


「時の流れが、それを薄める。社会を改善させる
手段が戦うこと以外にない以上、それを期待する
しかない。


それに世の中の人々が、すべて子胥、お前の
ような考え方をするわけでもない」 孫武は伍子
胥の疑問をやり込めるような形で封じた。


そのとき伍子胥には釈然としない気持ちが残っ
たが、すべてを俯瞰する役目が彼にある以上、
反論すべきではなかった。  


そして南では何度か越の部族と戦い、北では晋
や斉に睨みをきかせ、東では楚の動きを監視し
て数年を過ごした。…


※…
孫武と伍子胥の謀りごとは成功し、天下に呉の
覇権を認めない者は存在しなくなった。


これにより、闔閭は覇者となり得たのである。  
しかしそれを覆そうとした国があった。越である。  


越の国都は会稽(現在の紹興市)にある。
允常は王としてこの地を長年支配してきた。  


彼らは古代の夏王朝の君主であった禹うの二十
代のちの子孫だと称してきた。それがなぜ会稽
という沿岸の、しかも当時の文化の中心地から遠
く離れた南の地に流れ着いたのか、という疑問が
わくが、これはある時期に封建されたのだという。


だが、このようなことは北の犬戎族などに代表さ
れる北狄なども同じようなことを言っている。


要するに、信憑性はない。彼らは北狄と同じ
ように、かつては南蛮と呼ばれる存在であった。


蛮人として扱われ、中央から蔑視されてきたが、
それには実際に著しく文化の違いがあったから
だと言われる。  


彼らは全身に刺青をし、素潜りによる漁を主たる
生活の糧としてきたという。


稲作を中心とし、安定的な生産を重ねることによっ
て発展した江南の文化とはひと味違う。また、黄河
の灌漑技術によって発達した中原の文化とも大き
く異なる。生産は不安定であり、そのため文明は
発達しなかった。  


允常はそれを見事改革したのである。  


※…允常はそれまで一般的でなかった稲作を
国内に広め、それを生産の中心に定めた。


これにより国民の生活が安定し、人口が急速に
増えたのである。そしてその多くを戦士とする強
兵策をとった。


もともとあった漁船を作る技術を応用して戦艦
を作り、他国に向けての脅威とした。  


そして何度か隣国の呉へ出兵し、その実力を垣間
見せ始めたのである。


闔閭や伍子胥が生きたのは、そのような時代で
あった。  


しかしその時代もひとつの分岐点を迎えた。


※…越王允常が病により逝去したのである。  


これは、かつて越が闔閭の不在時を狙って呉中
を荒し回ってから十年のちのことであった。


このことを恨みに思っていた呉王闔閭は、これ
を良い機会だと考え、越に出兵すべく臣下の前
で下問した。


「積年の恨みを晴らす時が来た。越ではいま、
国中が允常の死を悼み、喪に服している最中
だという。叩くならこのときしかない、と余はみる
が,お前たちはどう思う」  


この問いに孫武は即座に反応した。


「積年の恨みなどと言っていては、始まりませぬ。
もはや十年も前の出来事ではありませんか。


この機会ですから弔問の使者を派遣して、彼らと
友好的な関係を築くべきです。それが覇者の度
量というものでしょう」  


しかしその答えに闔閭は苦々しい顔をした。それ
を見た伍子胥は、とっさに語を継いだ。


「仮に王さまが越に対して憎々しく思っていられる
ということであれば、今回は我々の武威を見せつ
けて彼らを心服させることを目的とするべきでしょう。


やみくもに喪中にある軍を討つことは、あまりに礼
を失する行為だと言わざるを得ません。たとえ相
手が南蛮であろうとも」


「貴公らは余がなにを思ってこの十年を過ごして
きたのかを理解しようともしない。余は、非常に
不愉快だ。この天下の覇者たる闔閭が、蛮人に
対する恨みを捨てねばならぬというのか。


では、何のための覇者か!」  


そう言われては、伍子胥も孫武も黙り込むしか
なかった。結局闔閭は越と戦いたいのである。


積極的にそう思っているのであれば、口を酸っ
ぱくしてその必要性のなさを理解させようとして
も無駄であった。


結局闔閭は、必要性があろうがなかろうが、
戦って越を滅ぼしたいのである。 …













※…入院10日目。


5時に目が覚めた。だいたい入院中は、この時間
帯に起きている。とても健全だが、朝ご飯が7時な
ので、それまで暇だ。


手足のむくみも無くなったし、両手の甲の点滴の
針の腫れも、まだ痛いけれど少しだけマシになった。


土日は検査がないので、ますます暇だ。そのせい
か、同室のAさんとBさんは、ずっと喋るか電話を
している。


個人情報垂れ流しなので、ふたりがだいたいどの
辺りに住んでいるか、Aさんにいたっては財産事情
まで耳に入る。


あんまりにも無防備すぎる。


高齢者がオレオレ詐欺とかに騙されるの、「なんで
?」って不思議だったが、警戒心がないのだ。


Aさんが娘らしき相手に電話で、「お父さんには
冷蔵庫の管理はできないから」と、何やら指示し
ている。


娘はよその家の冷蔵庫の管理までしないといけな
いなんて、忙しいな。「役に立たないお荷物の夫」
は、人に負担をかけている。


「男は外で働いて家族を養い、女は家庭を守る」
そんな価値観は、私たちの世代でも残っていたが、
年を取ってからこんな扱いをされるのだ。


Aさんの夫だって、何か言い分があるはずだ。


夫が家にいるから退院できないと医者に訴えて
いるAさんの様子を見ていると、Aさんの夫は害
になってるとしか思えず、なんだか痛々しい。



※…アイマスク買ってきてもらったらいいやん


Bさんは、この数日前から、「部屋がまぶしい」と
何度も訴えていた。


電気が明るすぎるから、休めない、と。 だから昼
でも部屋の電気を消したがる。


消して、看護師さんやお医者さんが問診や検査
に訪れて、「あれ、部屋が暗い。なんで電気が
消えてるんだ」と、電気をつける。その繰り返し
だった。


夜も消灯前、8時頃に電気を消す。 それに気づ
いた看護師さんが不審がり……というのを毎日
やっていた。


そのたびに、看護師さんがこちらにまで、ちゃん
と他の人の了承をとっているのかと気を使って
くるので、なんだか私までもが申し訳ない。


「この病院、明るすぎるわ! 


眩しくて休めへんわ!」とAさんに文句を言い続け
るBさん。


いや、私はあなたたちのおしゃべりや電話がうるさ
くて休めないんですが……と内心思っていたが、
もちろん何も言わない。


毎日娘に物を持ってこさせているみたいだし、
アイマスク買ってきてもらってつければ?とふと
思ったが、アイマスクという存在を知らないのか。


消灯後テレビを見るときに、イヤフォンを装着し
なかったのも、イヤフォンそのものの存在を知
らないのかもしれない。…



※…退院後の生活に思いを馳せて


この日は、再びシャワーを浴びることができた。
入院して二回目のシャワーは、最初のときほど
の感激はないものの、生理中でもあったから、
気持ち良かった。


シャワーを浴びて全身を洗うのが、こんな贅沢
なことだったなんて、初めて知った。



※…
明日は月曜日で、心臓カテーテル検査がある。
食事だけが楽しみの日々なので、明日の朝食が
検査のために食べられないのは悲しいなと思い
つつ、


これで何もなければ退院できると、退院後のあれ
これに想いを馳せる。


まず、しばらくは家で静養することになるし、食事
の用意も3食きちんとつくる気はなかったので、
塩分控えめの冷凍弁当を試してみようとネット
で購入する。


退院後の話をしていて「冷凍弁当試してみようと
思う」というと、栄養士さんがパンフレットを持っ
てきてくれていた。


あと、体重計と血圧計とパルスオキシメーターも
退院後に自宅に届くようにネット購入した。


体重が急激に増えたり、血圧の上昇は病気の
バロメーターだから毎日計るようにと主治医に
言われていた。


パルスオキシメーターは、新型コロナウイルス
に感染した際のためにもあったほうがいい。


そして退院後の食生活を改善しなければ
ならない。


栄養士さんから指導も受けていたが、kindleの
読み放題で、減塩食や野菜中心レシピの本を
ダウンロードしまくって、「これいいな」と思った
レシピは、手持ちの紙のノートにメモをする。


レシピをメモする作業は、なかなか楽しくて
気が晴れた。



※… あー 本があってよかった


小説に漫画、エッセイ、レシピ本と、つくづく、「本」
には助けられた。 本が無ければ、入院生活、耐
えられない。


AさんやBさんも、文句や愚痴ばっかり言ったり、
娘に電話しまくってるぐらいなら、本を読んだほ
うが時間もつぶせるし心も穏やかでいられると思
うのだが、年齢的に活字を読むのがしんどいのか、
そもそも読書の習慣がない人たちなのかもしれない。


たぶん、うちの両親たちも、そうだ。 若い頃から
、365日間、働いて働いて、子育てに追われ、70
を過ぎても農作業と自営の仕事を続けている。


休んでいるところを見たことないし、家族で旅行
などもしたことがない。


自営なので、通勤途中に読書というのもできない。
新聞は家でよく読んでいるけれど。 私はたまたま
本が好きで、本を読む習慣があり、本を書く仕事
に就いたけれど、みんながみんなそうじゃないと
いうのは、痛感している。


いずれにせよ、自分に読書習慣があってよかった。
入院中は、本に救われた。 本は魂の栄養だ。…








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