貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・森羅万象



















※…
親からの独立、離婚、配偶者との死別など…
長い人生、いつかは一人になることを考えて
不安に思う人も多いのではないでしょうか。


「人間は誰も中年、老年、それぞれの年代に
おいて一人になる可能性がある。


曽野綾子さん。夫、三浦朱門さんが亡くなって
からはじまった一人暮らし。


曽野さんは、一人暮らしについて「人間にとっ
ては群れで暮らす体制の方が異常だ」と言い
ますが…?



※…一人に備える


別に男性、女性の差はない。 一人になる可能性
に備えることは実に重大な任務だ。


備えねばならないのは、経済と心と、二つの面
である。


一人暮らしの新生活を用意するには、なにがしか
の出費も要る。 だから、主に老後に備える貯金も
必要なのだ。


しかし心の部分の方がもっと難しい。


家族の人数が減るか、自分一人になる状態を
受け入れることは、心を裂かれ血を流すほど
厳しいことだが、多くの場合、それは人間の務
めなのである。


なぜなら生きるというのは変化そのものだからだ。



※…一人になる方も、それなりに辛い


子供が初めて友人の家に「お泊まりに行った」
日のことさえ記憶している親は多い。


もちろん親は、子供がその小さな冒険を楽しみ、
順調にその家庭のしきたりに馴染んで一日を過
ごして帰って来ることを望んでいる。


しかし他人の生活に溶け込むということは、とりも
なおさず親に対する一種の裏切りだ。


親にとって理想の子供とは、親の心情を理解して、
いつまでも一緒に暮らすものなのだ。



※…一人になる方も、それなりに辛い。


家族の人数が減るということよりも、完全に一人
で暮らさねばならなくなるということは、大きな
試練である。


その試練なるものが、その人の悪い行為の結果
や罰でなくても、そういう状況になることもまた
人生の複雑さだ。


子供の独立を願えば、親は一人になる他はない。
どんなに仲のいい夫婦でも、一生二人でいられ
るわけはない。どちらかが先に死に、一人が残る。


結婚してから長い間、一人暮らしの現実を忘れ
ていた女性が、再び一人で生きるようになるのだ。



※…一日の時間を自由に使える


一人暮らしをするのは、多くの場合10代の末か
20代の初めからのことである。


その後、何十年という結婚生活の後に、改めて
一人で暮らさねばならない時、それに順応する
生活技術と、その意味を納得することは、至難
の業なのである。


しかし、仲が悪いか、夫が気難しい性格だった
かで、夫の死後、解放されたように生き生きとし
ている女性は多い。


夫が何も家事をしない人だったので、彼の死後
は「本当に夢のように楽になった」と言う人もい
れば、「夫はいいところもあったけど、それでも
今の一人暮らしは素晴らしい」と言った人もいた。


好きな時に旅に出られる。自分の願うような配分
で、お金と時間を使える。


一日の時間をどのようにも自由に使える。


「忘れていたけれど、それが本当の人間の生き
方だったのだ」という感激もあった。


すると、そこにいた別の一人が「そうかしら。人間
の暮らしは、必ず誰かから何かの制約を受ける
もんじゃない? 


だから自由に動けることの意味もわかるんじゃ
ないの?」と言った。


考えてみれば、教育、就職、結婚といった制度
はどれもそこにいささかの制約が附属すること
を意味している。



※…人間にとっては群れで暮らす方が異常


親からの独立、離婚、配偶者との死別などで、
人間は再び一人暮らしに戻ることも多い。


共に食事をする相手もなく、病気や災害の時、
相談をする相手もいなくなる。


しかし本来、人間は一人で暮らすのが原型なの
であろう。 猿や羊は必ず群れを作るが、人間に
とっては群れで暮らす体制の方が異常だ。


幸いにも人間には言語があるので、一人でいて
も他者の生き方を参考にできる。


話をしたり、本を読んだりすることで、知人や
書物から、体験や知恵を学ぶことができる。


そのような形で限りなく一人で生きる個に還る
ことが可能なのである。


妻であり母であった女性が、中年や老年に再び
一人暮らしを始めるのは容易なことではない。


心の有りようが一人で生きる姿勢になっていない
からだ。


しかし、もし女性が、男性を基準とする人類の中
の「特別な種」ではなく、あくまで人類の一種で
あるなら、一人で生きられる能力が、存在の基本
であることは間違いない。…















※…
 禅の研究と著述に96年の生涯を傾注された
鈴木大拙博士が、こういう言葉を残されている。


「人間は偉くならなくとも一個の正直な人間
となって信用できるものになれば、それでけ
っこうだ。


真っ黒になって黙々として一日働き、時期が
来れば“さよなら”で消えていく。このような人を
偉い人と自分はいいたい」


平明、しかし深遠な一つの幸福論である。


幸福論の言葉で真っ先に思い出す人に、
作家の故三浦綾子さんがいる。


三浦さんの人生は難病の連続だった。24歳で
突然高熱に倒れたのが発端である。


それがその後、13年に及ぶ肺結核との闘病の
始まりだった。当時、肺結核は死に至る病だった。
入退院の繰り返しの中で、三浦さんは自殺未遂
も起こしている。


さらに悲惨が重なる。


脊椎カリエスを併発。ギプスベッドに固定され、
動かせるのは首だけで寝返りもできず、来る日
も来る日も天井を目にするのみ。


排泄も一人ではできず、すべての世話はお母
さんがした。そんな生活が4年も続いたとは想像
を超える。


そこに一人の男性が現れて結婚を申し込む。
光世さんである。


その日から薄皮を剥ぐように快方に向かい、
二人は結婚する。綾子さん37歳、光世さん
35歳だった。


そして綾子さんの書いた小説『氷点』が新聞社
の懸賞小説に当選、作家への道が開ける。


しかし、その後も病魔はこの人を襲い続けた。
紫斑病。喉頭がん。三大痛い病といわれる帯状
疱疹が顔に斜めに発症、鼻がつぶれる。


それが治ったと思ったら大腸がん。そしてパー
キンソン病。この二つを併発している時に、本誌
は初めてお会いしたのだった。


次々と襲いかかる難病。それだけで絶望し、
人生を呪っても不思議はない。


だが三浦さんは常に明るく、ユーモアに溢れ
ていた。


「これだけ難病に押しかけられたら、普通の人
なら精神的に参ってしまいますね」という本誌
の質問に三浦さんは笑顔で答えた。


「神様が何か思し召しがあって私を病気にした
んだと思っています。 神様にひいきにされて
いると思うこともあります。


特別に目をかけられ、特別に任務を与えら
れたと……。


いい気なもんですねえ(笑)」


誰の人生にも絶望的な状況はある。だが、心が
受け入れない限り、絶望はない。


同様に、誰の人生にも不幸な状況はある。
しかし、心が受け入れない限り、不幸はない。


三浦さんの生き方はそのことを教えてくれて
いるように思う。


その三浦さんがこんな言葉を残している。


「九つまで満ち足りていて、十のうち一つ
だけしか不満がない時でさえ、人間はまず
その不満を真っ先に口から出し、文句を
いいつづけるものなのだ。


自分を顧みてつくづくそう思う。


なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
感謝すべきことを先に言わないのだろう」 …








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