貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

















※……曽野綾子


「日本人は甘ちゃんなのに、恥ずかしいほどの
利己主義者である」


日本には有能でありながら、”魂”の教育が足りて
いない人が多いと感じている


最近の日本の様子に危機を感じ、将来を憂
う人はあちこちにいるのだが、時々その人たち
の議論を聞いていると、不思議な感じに囚わ
れることがある。


省庁の編成を変えることや、金融破綻(はたん)
を乗り切ることはもちろん差し当たり大切なこと
に間違いないけれど、


どうしてこういう社会になったか、という基本の
部分については、あまり考えないらしく、議論
にも出ない。


私がその理由だと思っているものは、日本人
が本を読まなくなったから、でもいいし、哲学
がなくなったから、と言っても差し支えない。


親と住まなくなったから老病死がひとごとになっ
たのもその理由かもしれないし、あるいは道徳
教育を切り捨てたからかもしれない。


私はアフリカに行く度に、日本人は何と貧困や
飢えを知らないのだろうと思う。


しかし何よりも、日本人は貧しい人は必ずいい
人だと思うような甘ちゃんで、そのくせ、いささか
恥ずかしいほどの利己主義者である、と言っても
いいかと思う。


こういう状況がすべて人生の基本を考えない
理由になる。


※…魂の教育を怠った社会


つまり私は、日本にはこれだけの有能な人物が
いながら、どうしてもっと筋の通った濃厚で意識
的な悪も善もできないのかと不思議に思い続け
ていたのだが、それは魂の教育を怠ったからだ
としか思えない。


しかし今、子供たちに本を読ませようという運動
も起きないし、道徳教育を始めようという機運も
ない。


新しい公務員の倫理規定のようなものの内容を、
私はまだ正確には知らないのかもしれないが、


倫理規定を作らねばならないというのは、大人
に幼稚園の児童用のお行儀を教えているような
もので、ほんとうは恥ずかしいはずだろう。


もし一人一人が、公務員としてのあるべき姿を
わかっていたら、そんな規則はなくても済んだ
はずなのだが、


相変わらず公務員は成績上は秀才でも、大人
になっていないから、常識的な判断力も哲学も
持てないので、更に厳密な規則を作る必要が
出てきたのである。


※…
不幸は「バーチャル・リアリティ」で楽しむもの


これだけの大きな揺り返しが来ても、銀行の
債務や省庁の再編成をどうするか、という話
ばかり盛んなのは、


シワの出た顔にどういう化粧品を使ったら年を
誤魔化(ごまか)せるかという、おしろいを更に
厚塗りする話のような気がする。


健康状態をよくして肌の張りを取り戻すか、どう
してもだめなら、せめて美容整形の手術を受け
るぐらいの勇気はいるだろう。


※…
日本人は、とうの昔に人生を愛する心をなくし
ているような気がする。


その人生とは、当然のことながら紛れもない実
人生で、寒暖の差もあれば別離の悲しみも病苦
や貧困の苦悩もあるものであるはずなのだが、


多くの人たちには不幸は「バーチャル・リアリティ」
(仮想現実)で楽しむものになり、事実存在感が
希薄である。


※…人は常に新しい堕落の種を見つける


インドが核実験をした後、日本の新聞は、
ガンジーの無抵抗主義を見習え、と書いた。


来世を信じている人なら、あるいは殺されても
いいかもしれない。


来世には、仏か神がいて、その行為を嘉(よみ)
するから、現世では必ずしも報いられなくていい
のである。


しかし日本人の多くは知的だから、自分は無神
論者だと言う。死ねばゴミになるのだと言う人が
多いのだ。


とすれば、この世がすべてである。そのたった
一度の生涯を、ガンジーは無抵抗だったから
殺されてしまった。


「あんたは殺されても平和主義者でいられるの
かね」とインド人は言うだろう。


「殺されたくないから、実験をしたんだ。あんた
は他人にガンジーのように死ねと言うのかね」と
言う声も聞こえそうである。


日本人は、「背後にあるもの」も見えず、
「底にあるはずのもの」も感じなくなっている。


漢方薬を使ったり運動をしたりして体質を変える
ことなど全く考えずに、とりあえず今苦しんでいる
熱や下痢を抑えることだけを望んでいる。


そういうやり方をしていると、バブルの付けが終わ
っても、制度を替えてみても、幼稚園の子供に
対するような倫理規定を作ってみても、


また次の難関が来たら、それを受けきれずに別
の堕落(だらく)の仕方をするだろう。


もっとも堕落のない社会などないのだ、と言うこと
もできる。人は常に新しい堕落の種を見つける。
だから退屈しなくて済んでいる。…


author:『幸福は絶望とともにある。』













※…
私は都内のある中学校で.3年生を相手に
命の尊さについて お話しする機会があり
ました。  


皆からみっちゃんと呼ばれていた 中学一年生
の女の子のお話です。


※…
みっちゃんは中学に入って間もなく  白血病を
発症し、入院と退院を繰り返しながら、 厳しい
放射線治療に耐えていました。  


家族で励まし合って治療を続けて いましたが、
間もなく、 みっちゃんの頭髪は薬の副作用で  
すべて抜け落ちてしまうのです。  


それでもみっちゃんは少し体調が よくなると、
「学校に行きたい」  と言いました。  


不憫に思った医師は家族に カツラの購入を勧め、  
みっちゃんはそれを着用して 通学するようになり
ました。  


ところが、こういうことに  すぐに敏感に気づく
子供たちがいます。  


皆の面前で後ろからカツラを 引っ張ったり、
取り囲んで 「カツラ、カツラ」 「つるつる頭」  
と囃(はや)し立てたり、ばい菌がうつると靴
を隠したり、悲しいいじめが始まりました。     


担任の先生が注意すればするほど、いじめは
ますますエスカレート  していきました。  


見かねた両親は 「辛かったら、行かなくても
いいんだよ」  と言うのですが、みっちゃんは  
挫けることなく毎日学校に  足を運びました。  


2学期になると、クラスに一人の 男の子が転校
してきました。  


その男の子は義足で、歩こうとすると体が
不自然に 曲がってしまうのです。  


この子もまた、いじめっ子たちの 絶好の
ターゲットでした。  


ある昼休み、いじめっ子のボスが、その歩き方
を真似ながら、ニタニタと笑って男の子に 近づ
いてきました。  


またいじめられる。誰もがそう思ったはずです。    
ところが、男の子はいじめられっ子の  右腕を
グッと掴み、自分の左腕と組んで並んで立った
のです。  


そして 「お弁当は食べないで、1時間、一緒に
校庭を歩こう」。


毅然とした態度でそのように言うと、いじめられっ
子を校庭に連れ出し、腕を組んで歩き始めました。  


クラスの仲間は何事が起きたのかと  しばらくは
呆然としていましたが、やがて一人、二人と外に
出て、ゾロゾロと後について 歩くようになったの
です。    


男の子は不自由な足を 一歩踏み出すごとに
「ありがとうございます」 と感謝の言葉を口に
していました。    


その声が、仲間から仲間へと伝わり、まるで
大合唱のようになりました。  


みっちゃんは黙って教室の窓から この感動的
な様子を見ていました。  


次の日、みっちゃんはいつも学校まで 車で
送ってくれる両親と  校門の前で別れた直後、  
なぜかすぐに車に駆け寄ってきました。  


そして着けていたカツラを車内に 投げ入れると、
そのまま学校に  向かったのです。  


教室に入ると、皆の視線が一斉に みっちゃん
に集まりました。  


しかし、ありのままの自分を  さらす堂々とした
姿勢に圧倒されたのでしょうか、


いじめっ子たちは 後ずさりするばかりで、囃し
立てる者は誰もいませんでした。


「ありがとう。 あなたの勇気のおかげで、自分を
隠したり、カムフラージュして 生きることの惨めさ
が分かったよ」。    


みっちゃんは晴れやかな笑顔で 何度も義足の
男の子に御礼を 言いました。  


しばらくすると、クラスに変化が見られ始めました。  


みっちゃんと足の不自由な男の子を中心として、
静かで穏やかな 人間関係が築かれていったの
です。    


みっちゃんに死が訪れたのは その年の
クリスマス前でした。  


息を引き取る直前、みっちゃんは静かに
話しました。


「私は2学期になってから、とても幸せだった。  
あんなにたくさんの友だちに 恵まれ、あんな
に楽しい時間を 過ごせたことは本当の宝でした」








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