貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

















※…
青森との県境に位置し、太平洋を望む岩手県
洋野町。海の幸が豊かで、毎年夏に開かれる
「ウニまつり」は多くの観光客でにぎわう。
人口1万7千人ほどの小さな町だ。  


保健師の大光テイ子(だいこう・ていこ)(65)
が“異変”を感じたのは、町の健康増進課長
だった2011年。


がん検診の受診率を上げるため、担当者に
各家庭を調べてもらうと「検診どころか、長い
間家を出られない人がいる」との報告が相次
いだ。


翌年、40年近く勤めた町役場を定年退職し、
町が運営する地域包括支援センターの職員
として再就職。


認知症が疑われる高齢者宅を回る傍ら、気に
なっていた「家を出られない人」の家庭訪問を
始めた。 



※… 
ある日、センターに地元の病院から電話が
入った。


「介護サービスを使った方が良い人がいるの
で、話をしてほしい」。70代の両親と40代の
長男の世帯についてだった。  


大光は自宅を訪れ、事情を聴こうとしたが、
父親に断られた。  


「いいです。いいです。用事はない」
家の中が、雑然としている様子が気になった。  


3度目の訪問。大光が玄関口で父親と話をして
いると、中から「入ってもらったら」と声がした。
ベッドに母親が寝ていた。


聞き取りを進めると、父親は奥の部屋を指さし、
こう言った。  


「息子が20年間、布団をかぶって寝ている」  


父親は認知症、母親は重い病気だったが、
2人とも介護サービスを利用していなかった。


「息子が働いていないので、お金を残してやり
たい」。そんな思いがあることを知った。  


「銭っこがないなら大変だよね。あなたも、息子
も、奥さんも、3人まとめて応援するし。任せて
くれない?」  


明るくおおらかで、誰の悩みでも受け止める
大光。地元で長年保健師をしていた経験も、
家族からの信頼を得られた理由だった。  


父親と母親はともに要介護認定を受け、訪問
介護を利用し始めた。


長男はそううつ病と診断され、障害年金を受け
られるようになった。  


昨年、両親は相次いで亡くなった。


1人残された長男は、困ったことがあれば
センターに電話をかけてくる。


「もし何もしないままだったら、今頃どうなって
いたか…」  



大光は高齢者の相談に乗りながら、ひきこもり
の支援も続けている。


その活動の陰には、東日本大震災をきっかけ
に東京からやってきた1人の医師がいる。





※…
家庭訪問に同行するのは、精神科医の山科満
(やましな・みつる)(56)だ。


中央大(東京)で精神医学を教える傍ら臨床にも
携わる山科は、東日本大震災の直後、家族を失
った人のケアのため洋野町近くの地域に入った。


避難所の巡回の合間に、ひきこもりの人の元にも
足を運ぶようになった。  


ある男性は自宅から10年間出ていなかった。
津波が村を襲った後、自ら救援活動に加わっ
たが、状況が落ち着くと、再び元の生活に戻っ
ていた。  


山科は自宅を訪問し、「津波の体験を話して
ほしい」と頼んだ。震災の「語り部」になってもら
おうと考えたのだ。


東京から来た山科のために、ストーブに火を
入れ、静かに語る男性。


「話していただき、ありがとうございました」。
礼を言うと、男性は無言で玄関まで見送った。  


「震災という特殊な状況の中、自分の役割を
見つけ、人としての尊厳を取り戻したのでは
ないか」。


何度か顔を合わせるうちに、男性はがれき
拾いのアルバイトを始め、定職に就いた。  


漁業や農業が盛んで、老若男女が働くのが
当たり前の土地柄。


県外で働き、人間関係が原因で職場になじめ
ず、帰ってきた人も少なくない。


「『働かざる者、生きるべからず』との空気が
ある。無職でいることが本人たちを追い詰め、
ひきこもるしかなくなっている」  



※…
山科の活動に目を止めたのが、大光だった。
ひきこもりの人の中には心の病が見過ごされ
ているケースがあるが、受診には抵抗感が強く、
訪問してくれる医師もいない。


「支援の手掛かりを得るためには、医療と連携
が必要だ」と感じた。  


山科は家族の話に耳を傾けながら、本人が
病院にかかる必要があるかどうか判断する
役割も担う。


1~2カ月に1度、大光に同行。2人は5年余り
で約30軒を回った。  


大光は訪問の際、相手の状況を慎重に見極
める。本人が荒れていれば、つかず離れずで
様子を見たり、家族から急な支援の依頼があれ
ば、迅速に対応したりする。


その姿勢に、山科は共感してきた。  


「ひきこもりの人は地域全体で支えていく必要
がある。大光さんのような人が、どれだけいる
だろうか」(敬称略)…













※…
進学、就職、結婚などの大きな節目から、「コー
ヒーか、紅茶か」「残業するか、飲みに行くか」
といった日常的なことまで、


人生は「選んで行動する」ことの連続です。


そんなときにいちいち迷っていたら、なかなか
前に進めません。 なんにせよ、やってみなけ
れば結果がどうなるかわからないのですから、


「どちらを選んだっていい」のです。 どんなに
迷ったところで、後悔するときは後悔します。


むしろ迷いが多ければ多いほど、「あっちに
すればよかったかな」と後悔する要素を増や
すことになるでしょう。


ここは「後悔したくない」ではなく、「どれを選ん
でも、いいことはある」と考えましょう。 気持ちが
ラクになります。


迷う時間を減らせます。 同時に、「選んだ以上
は一生懸命やろう。どんないいことがあるかを
見つけよう」という気持ちになれます。


迷うことよりも大事なのは、やると決めたら、ほか
の選択肢は意識の外に置いて、それを一生懸
命やること。 そこにある喜びが必ず見出せます。


author: 『小さな悟り』知的生き方


※…
悩んだり、迷ったりする、というのは本来は、
どちらを選択してもいいということ。


しかし、だからと言って、それをコインかじゃん
けんで決める人は少ない。 そして、長い間、
悩み、迷うことを繰り返す。


つきつめていくと、どんな悩みも迷いも、二者
択一の選択になる。 やるかやらないか、右か
左か、上か下か、AかBか。 人生は選択の
連続だ、


進学、就職、転職、独立、結婚、出産、離婚と
いうドラマチックなものだけでなく、コーヒーか
紅茶か、ラーメンかうどんか、ドーナツを買うか
買わないか、というような日常における小さな
選択は数多くある。


迷ったとき、それをコインで決められないとした
ら、それは50対50の比重ではないということ。


たとえば、「では、Aにしたら」と言われて「Bなら
いいけど、Aはいや」と思うなら、Bにすればいい。


葉隠の中に「大事の思案は軽くすべし」という
言葉がある。


大きなことを決めるときは、むしろ軽くやれ、と
いうこと。 大事の思案を軽くできる人は、普段
から肚を練って、自らを磨いている人だ。


大事は思わぬときにやってくる。


急に言われて決めなければならないこともある。
そんなとき、うろたえず、速やかに判断し、決断
できる人は覚悟ができている人。


どちらを選んでも大差ないと思ったら、軽く決め
ること。


それを小林正観さんは、「迷ったときは、どちらに
風が吹いているか、川が流れているかを宇宙に
お任せしてみる」という。


それが「ご縁を感じたほうをやる」ということ。
迷ったときは「どっちでもいい」… すべての
ことは、やってみなければわからないのだから。


author:枡野俊明氏の言葉より…








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