貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・漢の韓信シリーズ


















第二章:呉の興隆 呉中に危機あり  


嬴喜を伴い、包胥は領地である申の地へ
帰った。奮揚と紅花はそれに同行した。


彼らがこの地を訪れるのは、四年ぶりのことで
ある。久しぶりとなる帰郷に紅花は胸を躍らせた。


「見て!」  紅花は馬車の上で奮揚の袖を引き、
左前方を指し示した。


「ああ、変わらないな。ここは、いつ訪れても美しい」  
奮揚は顔をほころばせた。懐かしさと戻ってきた
安堵感が相まって、彼の気持ちを優しさが包み
込んだ。  


奮揚は紅花の手を握ると、 「太后さまに、この
ことを教えておやり」  と言い添えた。  


その言葉を聞いた御者が馬車を止めると、紅花
は前方を行く嬴喜と包胥が乗る馬車に駆け寄り、
「見て見て!」  と、まるで少女のようにはしゃぎ
ながら叫ぶのだった。


「まあ……」  紅花の指し示す方向に目をやった
嬴喜は、思わず声をあげた。  


そこには、川面に反射した日の光が、すべてを
黄金色に照らし尽くす光景があった。  


戦時であっても、美しい光は損なわれない。
それは人の営みとは関係なく、常にそこにある。


人はそれに、ときには無慈悲さを感じる一方で、
またあるときには愛を感じるのである。


「ここは常に美しい場所だ」  包胥は優しく嬴喜
に語りかけた。


「ここに来れば、心が洗われる。憎しみや怒りを
忘れさせてくれる場所だ。


ここにいる紅花も、ここで奮揚どのと愛を誓い
合った」 「! 


いきなりなにを仰るの。お兄さまったら」 突然の
話に、紅花は思わず顔を赤らめた。


「ふふ。……すまないな、紅花。しかし事実だろう」  


からかわれた紅花は、恥ずかしくなって奮揚の
いる馬車に走り去っていった。  


嬴喜はそれを目で追いながら言う。 「紅花は、
可愛いわね。


それにここの景色も素晴らしいものです……。
ここが気に入りました」  


包胥はそれに答えて言った。 「確かにこの場所
は美しい。だが、以前私が伍子胥とともに茶を飲
んだ店から見える風景も、これに劣らず美しかった。


高台にある茶店から見える渓谷の景色があまり
にも美しかったため、あのとき交わした伍子胥と
の会話が…


…逆にそれとは対照的で、深く私の記憶に刻まれ
ている」 「そのとき、伍子胥はなんと?」


「うん……彼はそのとき、『生まれ育ったこの楚を
つぶす』と言った。


今回私はそれがなされることを寸前で止めること
ができたわけだが……楚を捨てた彼が呉で幸福
な人生を送れればよいが」


「伍子胥の幸せを……あなた様は願っているの?」
「不幸だから争いが起きるのだ。


争いが起きぬためには、誰もが幸福であるべきだ。
だから私は、ためらわずに伍子胥の幸福を願う」  


もともと彼らは友人同士であった。敵味方に分か
れたからといって、その関係が失われたわけで
はない。彼らは、お互いを憎み合ったことなどなか
ったのであった。  



※…
戦いに勝ったはずの呉の城中が燃えていた。


その事実に闔閭も、伍子胥も衝撃を受けたこと
は確かである。だが、そのことにもっとも落胆した
のは、孫武であっただろう。


彼は、燃える呉中の町並みを目の当たりにして、
涙を流したという。  ――


我々は、何のために戦うのだ。彼は、自問を繰り
返した。  


世界全体の平和を願うのであれば、戦わないに
越したことはない。しかし、人というものは基本的
に自分自身の幸福を追い求めるものだ。


それが他者によって不当に妨害されていると思う
からこそ、その相手と戦う。戦って、自分たちの
幸福を得るために……。  


だが、戦いの後に残ったものは、ほとんどない。
すべて燃えてしまった。


幸福を得るために戦ったというのに、何もかもを
失ってしまって、どうするというのだ。自らの身を
削ってまで、他者からなにを奪い取ろうというのか。  


ああ、無駄なことだ。なにもかも無駄だ。そんな
戦いに意味はない。彼は、その後しばらく出仕
しなくなった。


邸宅に引き蘢り、誰とも顔を合わそうとしなくなっ
たのである。


「どうしたというのだ」  孫武のもとを訪れた伍子胥
は、何度もその言葉を口にした。


玄関先で待たされる間、その言葉を叫び続け、
ようやく中に通されたとき、最初に口にした言葉
が、やはりそれだったのである。


「どうもしやしない」  ひたすら問い続けた質問
の答えは、そのひと言でしかなかった。


予想されたことではあったが、伍子胥はそれに
落胆した。 「では、なぜ出仕しない。王さまは、
苦慮されておるぞ。


夫概に関しては楚に亡命したから事は片が
ついたが、越に対しては防御態勢を固めなけ
ればならないし、復讐の時期も定めなければ
ならぬ。


君の知恵が必要なのだ」
「復讐などして、なんになる。


この間の楚国攻撃は、君の復讐であった。


だがその結果は、ご覧の通り自らの土地を焼く
ことであった。次に攻撃するのは越国か? 


きっと王さまが復讐を望んでいるのだろう。
だがそれをすれば、今度も呉の地は焼かれる。
それをわかっていて言っているのか」  


孫武は口から唾を飛ばしながら言い放った。
その激しい勢いに、伍子胥は言葉に詰まった。


「……ひとたび戦いともなれば、誰だってその
ような危険は覚悟の上だろう。 それとも君は、
覚悟できないというのか」


「ああ、そうだ! そんな覚悟はできない!」
「なぜだ」
「なぜだと? 


この不毛さが君には理解できないというのか。
越の国力が高まって、危険だと思うのなら、
今のうちに使者を派遣して外交関係を築け。


仲良くやっていけるよう努力しろ。お前たちは
きっと……そんなことを言う私を笑うに違いない。
子供のようなことを言っていないで現実的に考
えろ、と。


だが、平和を築く努力をせずに、戦ってばかり
いるからこそ人々は苦しむのだ! 


憎しみは憎しみを生み、復讐は結局終わるところ
を知らない! 不毛そのものではないか!」  


孫武の発言の鋭さに、伍子胥はまったく反論
することができなかった。


彼はすごすごと退散するような形で孫武の屋敷
を去り、自宅へと戻った。   …













※…
入院9日目、新刊発売日。 朝起きて、新刊の
写真をupして「発売日です」と、SNSにあげる。


病院で宣伝ができるなんて、SNSってありがたい。
もっともどれだけ効果があるかわからないけど……。



※…
ところで、これだけ寝たきりの生活をしている
のに、腰痛にならないことに気づいた。


普段、家でちょっと寝すぎたら痛くなることが
多いのに。 リクライニングベッドのおかげだ
ろうか。マットもきっといいやつなのだろう。


確かにリクライニングベッドは便利だし、退院
して買おうかなと、ネットで値段を見たが、そこ
そこする。入院費がいくらかかるかわからないし、
買うのは躊躇った。結局、購入はしていない。


iPadで読書はできるけれど、ちょっと読書疲れ
もしてきた。iPhoneのイヤホンがあればYouTube
見たり音楽聴いたりできるのにと、夫に頼まなか
ったのを少し後悔した。


でも、イヤホン、普段は家で使わないから、私
自身も購入はしたものの、どこに置いてあるか
わからない。


同室のAさんやBさんは、電話も鳴らし放題で
思いっきり音を出しているが、私にはそんな
勇気はない。


なので、仕方なく、読書に戻る。それしか時間
をつぶす方法がない。



※…自分でやることが増え続ける


この日から、体重と血圧は自分で測ってくだ
さいと言われた。


それまではベッドのところまで看護師さんが
来て測ってもらっていたのだ。


血圧計と体重計は、病室の外、ナースステー
ションの前にある。自分で朝晩2回、歩いて行
って計測して記録することになった。


こうして日々、自分でやることが増えていくのは、
回復している証拠なのだろう。でも、めんどくせ
ぇななんて思ってしまった。


入院して、何から何まで人にやってもらって、
ご飯も上げ膳据え膳で、すっかり怠惰になっ
てしまった。 だって楽なんだもん。


主治医と話して、「回復してるけど、風邪にかか
っても心臓への負担が大きいので、退院しても
気をつけて」と言われて、どよんとする。


確かに、風邪で咳が止まらないなんてなったら、
ものすごくしんどいことになりそうだ。


ましてやコロナウイルスに感染なんて、重症化
して死ぬかもしれない。


そう、私は「新型コロナウイルス感染、重症化
リスクある人」になってしまったのだ。


コロナはただの風邪!どうせかかっても無症状
や軽症だから!と、気にしていない人は、私の
周りにもいる。


でも、コロナに感染して亡くなった人も、周りに
何人かいる。高齢だったり、やはり何らかの重症
化リスクの病気を背負った人たちだ。



※…お前らは平気かもしれませんが


「コロナにかかっても平気! ただの風邪! 
マスクなんてしない!」な人たちは、自分が
そんなリスクある人たちに感染させる可能性
があることを、どう思っているんだろう。


人が死んでも、それはリスクあるからしょうがない
ということなのだろうか。 それって、死ねってこと? 
なんて、考えてしまう。


私自身が、重症化リスクを背負い、「コロナは
ただの風邪」なんて、絶対にいえない立場に
なってしまった。


だから、「コロナなんて平気!」な人には、
近づきたくない。


お前らはいいかもしれないが、伝染されて死ん
だり重症化するのは私だ。


お前らは平気かもしれないけど、私は平気じゃ
ない。でも、「平気」な人たちに移されて私は
死ぬかもしれないのだ。


心臓に病を抱えて生きなければいけないこと
を考えると、怖くて泣きそうになる。 …



※…唯一の希望は


主治医に「月曜日、心臓カテーテル検査をする
ので、その日の朝はご飯抜きで。終わったら、
すぐ昼ご飯食べてもいいから」と告げられる。


食べ物しか楽しみがない中で、一食抜かれる
のは悲しい。


昔、親戚の小さい子が、検査で食事抜きと言わ
れ悲しくて泣いていたことがあったが、あの気持
ちがわかる。


朝ごはんは、パンと、お惣菜少しと牛乳と、
それだけなんだが、悲しい。


でも「心臓カテーテル検査で異常無ければ、
火曜日には退院できる」と言われて、「やった! 
希望が見えてきた」と嬉しくなる。


おそらく喜びが表情に出ていたのだろう。
「何もなければですよ」と、釘を刺された。


書店さん用の新刊のサイン本も、作らねばなら
なかった。 私はもう火曜日に退院できるもの
だという前提で、「火曜日の夜着で、サイン用
の本を送ってください」と編集者に連絡をする。


書店用以外でも、知人にサイン本を10冊頼まれ
ていたので、その手配もした。


頼むから、検査で異常が見つかりませんよう
にと祈るしかない。


夫にも連絡はするが、その日は会議があるの
を知っていたので、「ひとりでタクシー使って
帰るから」と伝える。


迎えに来てもらうほどの距離でもないし、車も
ないし。 とにかく、「退院」という希望だけが、
今の心の支えだ。…








×

非ログインユーザーとして返信する