貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問




















※…
「ほう。これは立派な木だ。さぞかし高い値で
売れる事だろう。


さて、どうやって切り倒そうか?」  


すると、もう一人の木こりが言いました。
「よし、お前切れ。わしが掛け声をかけて、
拍子をとってやるから」


「それなら、拍子を頼むぞ」  


そこで一人はまさかりを打ち込み、もう一人
が後ろで切り株に腰をかけながら、


「よいしょ! よいしょ!」 と、掛け声で拍子
を取りました。  


こうして、大きな木は切り倒されたのです。  


そして二人は、その木を木商いの旦那の
所へ持って行くと、旦那は結構な額で木を
買い取ってくれました。


「思ったよりも金になったな」
「ああ、もうかった。もうかった」
「さあ、金は山分けにしよう」  


掛け声をかけた木こりがそう言うと、木を
切り倒した木こりが嫌な顔をしました。


「何で山分けなのじゃ? 


木を切ったのはおれで、お前は掛け声を
かけていただけだろう」


「何を言う。掛け声は大事や役目だぞ。
だからおれにも半分くれ」


「いいや、半分もやれん。おれは汗水流し
ていたのに、お前は切り株に座って、のん
びり煙草を吸っていたじゃないか」


「いいや、山分けだ。どうしても半分もらうぞ」
「いいや、半分もやれん」


「それなら、裁判をしてもらおう」 と、言うことに
なり、二人は代官所へと行きました。  


そこでお代官に判断を下してもらおうとした
のですが、お代官もこんな判断は初めてな
ので、どうして良いのかわかりません。  


そこで今度は、名奉行と名高い、南町奉行
の大岡越前守(おおおかえちぜんかみ)に
お裁きをお願いしたのです。  


事情を聞いた越前は、二人の木こりに尋ね
ました。


「まずは、お前が木を伐ったのだな」
「へい、わしがまさかりで、『カーン、カーン』
と木を切り倒しました」


「うむ、すると、もう一人のお前が、掛け声を
かけたのだな」


「へい、わしが、『よいしょ、よいしょ』と、拍子を
とってやりました」


「うむ。お前が『カーン』で、お前が『よいしょ』か」
「へい」 「へい」


「そうか。それで、木商人からもらったお金は、
どこにあるのだ?」


「へい、わしが持っております」
「うむ、それではここに出してみなさい」


「へい。これです。五十文もくれました」
「よしよし、確かに五十文だ」  


越前はそのお金を受け取ると、それを
庭にばらまきました。  


するとお金が、チャリーン、チャリーンと、
心地よい音を立てます。  


それを見て、不思議そうな顔をする木こり
たちに、越前が言いました。


「拍子を取った木こりよ。その方、今の
お金が鳴る音を聞いたな」


「はい。確かに聞きましたが、それが?」
「うむ。お前の仕事は音を出すだけだっ
たのだから、その代金も音だけで十分で
あろう」  


この判決を聞いて、木を切った木こりは
喜んで頷き、掛け声の男もしぶしぶ頷き
ました。


「へい。ありがとうございます!」
「・・・へい。わかりました」


「うむ。これにて、一件落着!」 …













※…
ある書道の時間のことです。


教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい
女子生徒がいました。


傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうと
した私は 咄嗟にその言葉を呑み込みました。


彼女の右手は義手だったのです。


「大変だろうけど頑張ってね」と自然に言葉
を変えた私に 「はい、ありがどうございます」
と明るく爽やかな答えを返してくれました。


彼女は湯島今日子(仮名)といいます。


ハンディがあることを感じさせないくらい勉強
もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。


もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。
三年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒に
ダンスに出場していました。


一メートルほどの青い布を左右の手に巧みに
持ち替えながら、 音楽に合わせて踊る姿に
感動を抑えられなかった私は、彼女に手紙
を書きました。


「きょうのダンスは一際見事だった。


校長先生もいたく感動していた。 私たちが
知らないところでどんな苦労があったのか、 
あの布捌きの秘密を私たちに教えてほしい」
という内容です。


四日後、彼女から便箋十七枚にも及ぶ手紙が
届きました。


ダンスの布については義手の親指と人差し指
の間に 両面テープを張って持ち替えていた
とのことで、


「先生のところまでは届かなかったかもしれ
ませんが、 テープから布が離れる時、ジュッ
という音がしていました。  


その音は私にしか聞こえない寂しい音です」
と書かれてありました。


「寂しい音」。 この言葉に私は心の奥に
秘めた 人に言えない彼女の苦しみを見た
思いがしました。


十七枚の便箋に書かれてあったのはそれ
だけではありません。


そこには生まれてから今日まで彼女が生き
てきた道が綿々と綴られていました。  


彼女が右手を失ったのは3歳の時でした。


家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて  
手が焼けてしまったのです。 


切断手術をする度に腕が短くなり、最後
に肘と肩の中間の位置くらいから 義手
を取り付けなくては  ならなくなりました。  


彼女は、小学校入学までの3年間、事故や
病気で 体が不自由になった子供たちの
施設に 預けられることになりました。


「友達と仲良くするんだよ」と言って去った
両親の後ろ姿を ニコニコと笑顔で見送っ
た後、施設の中で3日間泣き通したといい
ます。  


しかし、それ以降は1度も泣くことなく、仲間
とともに3年間を過ごすのです。  


そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅に
ある大きな銀杏の木に ぽっかり空いた洞
の中で、園長先生が彼女を膝に乗せて  
このような話をされました。


「今日子ちゃんがここに来てから もう3年
になるね。  


明日家に帰るけれども、帰って少しすると 
今度は小学校に入学する。  


でも今日子ちゃんは3年も ここに来ていた
から 知らないお友達ばかりだと思うの。 


そうするとね、同じ年の子供たちが周りに
集まってきて、今日子ちゃんの手は1つしか
ないの? なにその手? と不思議がるかも
しれない。  


だけどその時に 怒ったり泣いたり隠れたり
しては駄目。  


その時は辛いだろうけど笑顔でお手々を
見せてあげてちょうだい。  


そして『小さい時に火傷してしまったの。  


お父ちゃんは私を抱っこして ねんねする時、  
この短い手を丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛
いとなでてくれるの』 と話しなさい。いい?」  


彼女が「はい」と元気な 明るい返事をすると、  
園長先生は彼女をぎゅっと抱きしめて 声を
ころして泣きました。  


彼女も園長先生の大きな懐に飛び込んで
3年ぶりに声を限りに泣いたそうです。  


故郷に帰って 小学校に入った彼女を待っ
ていたのは … 


案の定「その手、気持ち悪い」という 子供
たちの反応でした。  


しかし、彼女は園長先生との約束どおり、腕を
見せては 「これは丸ちゃんという名前なの」と
明るく笑いました。  


すると皆うつむき、それから誰もいじめる子は  
いなくなったといいます。  


私が教室で愛語について話した時、彼女は
「酒井先生は愛語という言葉があると 黒板
に書いて教えてくれたけど、 園長先生が私
にしてくれたお話が まさに愛語だったの
だと思います」 と感想を語ってくれました。  


彼女はその後、大学を出て「辛い思いをして
いる子供たちのために  一生を捧げたい」と 
千葉県にある肢体不自由児の施設に就職。  


いまでも時々、 写真や手紙などを送って
くれています。…








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