貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問




















ある日、村人たちが大勢で、お伊勢参りへ
出かける事になりました。  


孫四郎も誘われたのですが、家が貧乏だっ
たので誘いを断ると、いつもの様にみぞう沼
へ行って岸の草を刈っていました。  


すると突然、沼から美しい女の人が現れて、
孫四郎にこう言ったのです。


「お前さんが、毎日そうやって岸の草を刈っ
てくれるので、本当にありがたく思っており
ます。何か礼をしたい思うが、望みの物は
ありませんか?」


「はい、わたしはお伊勢参りがしたいのです
が、お金がなくて、それが出来ません」  


孫四郎が言うと、女の人はにっこりして、
「それは、たやすい事。 わたしが、お伊勢
参りに行くお金をあげましょう。  


しかし、一つ頼みがあります。  


途中、富士山のふもとに青沼と言うのがある
から、そこへ寄って来てもらいたいのです。  


その沼へ行って手を叩くと、沼から女が出て
きます。 それはわたしの妹ですから、妹に
手紙を渡して下さい。  


さあ、これはお伊勢参りのお金と手紙です」  
そう言って沼の女は、孫四郎にお金と手紙
をくれました。  


孫四郎は大喜びで村に戻ると、お伊勢参り
に参加して、みんなと一緒に旅立ちました。  


さて、一行が富士山の近くに来た時、孫四郎
はみんなと別れると教えられた青沼を探す事
にしました。  


途中で六部(ろくぶ→六十六ヶ所のお寺を
まわる巡礼の人)に出会ったので、孫四郎が
青沼の場所を尋ねてみると、


六部が不思議そうに尋ねました。


「青沼ですか? 知ってはいますが、なぜ青沼
へ行くのですか? なにしろあそこは、怪しい物
が住んでいるとのうわさですから」


「怪しい物? いや、そんなはずはありません。
そこには親切な沼女の妹が住んでいるはず
ですから」  


孫四郎は沼女の事を話して、沼女にもらった
手紙を六部に見せました。  


すると六部がその手紙を読んで、 「これは
大変だ!」 と、言うのです。


「何が、大変なのですか?」  字が読めない
孫四朗が尋ねると、六部が手紙を読んで
くれました。


《この男は、毎日わたしの沼の草を刈って、
わたしの隠れる場所をなくしてしまう。  


取って食おうと思うけれど、そうすると沼に
わたしのいる事が人間たちにばれてしまう。  


そこで、お前の所へ寄らせるから、代わりに
食べておくれ。  みぞう沼の姉より》  


それを聞いた孫四郎がまっ青な顔で震えて
いると、六部がにっこり笑って言いました。


「心配ない。わたしが手紙を書き直してあげよう」  


そして六部は、筆を取り出すと、 《この男は、
毎日わたしの沼の草を刈ってくれるので、
何かお礼をしたい。  


そこで、お前の方でお礼の用意をしておくれ。  
金を生む馬をやってくれると、ありがたい。
みぞう沼の姉より》 と、手紙を書き直して
くれました。  


そして孫四郎はその手紙を持って青沼へ
行き、パンパンパンと手を叩きました。  


すると美しい女が沼から現れたので、孫四郎
は手紙を渡しました。  


手紙を読んだ沼女は、しばらく不思議そうな
顔をしていましたが、 「ふーん。あの姉が、
人間にお礼をねえ。・・・


まあいいわ、それでは沼の中へ来てください」
と、言いました。


「あの、沼の中へ来いと言っても・・・」 孫四郎
が困っていると、 「わたしにおぶさって、目を
つぶりなさい」 と、沼女が言いました。  


孫四郎が言われた通り、沼女におぶさって
目を閉じると、間もなく、 「さあ、もう目を開け
ていいですよ」 と、沼女が言いました。  


孫四郎が目を開けてみると、そこはとても
美しい家の中です。 金びょうぶ、銀びょうぶ
がたってあって、床の間には美しい宝石が飾
ってあります。  


孫四郎はしばらくの間、そこで泊まる事になり
ました。  毎日毎日、大変なごちそうが出て、
女中たちが琴やしゃみせんで孫四郎をもて
なしてくれます。  


あっという間に数日間が過ぎ、孫四郎は沼女
に言いました。


「あの、そろそろ帰らせてもらいます」 すると
沼女は馬屋から一頭の馬を連れて来て、
孫四郎に言いました。


「これは姉に良くしてくれたお礼の馬です。
この馬は一日に一合の米をやれば、金を
一粒産みます」  


そして沼女は孫四郎と馬を背負うと、再び沼
の外へと送ってくれました。  


孫四郎は沼女にお礼を言うと、馬にまたがっ
て言いました。 「さあ、とにかく、お伊勢参りに
行かなくては」  


すると馬が、ヒヒーン! と、いななくと、不思議
な事に孫四郎と馬は、もう伊勢神宮へ来ていた
のです。


「うひゃー、何て足の速い馬だろう」  孫四郎
はお伊勢参りをすませると、再び馬にまたがっ
て、 「さあ、今度は村に帰らないと」 と、言い
ました。  


すると馬がヒヒーン! と、いなないて、孫四郎
と馬はもう村の入り口に来ていたのです。  


それから孫四郎は、馬に毎日一合ずつの米
をやりました。


すると沼女の言った様に、馬は一粒ずつの
金を産み落としたのです。  


一粒といっても金ですから、大変な価値があり
ます。 孫四郎はたちまち、村一番の長者に
なりました。  


さて、孫四郎には、なまけ者で欲張りな弟がい
ます。


その弟が、 「貧乏だった兄さんが長者になっ
たのには、何かわけがあるに違いない」 と、
考え、そっと孫四郎の家に忍び込むと中の
様子を見張りました。  


すると奥座敷に馬が一頭隠してあって、それが
毎日一合の米を食べては、一粒の金を生んで
いるとわかったのです。


「なるほど、兄さんが長者になったのは、あの
馬のおかげか。  


しかし、毎日一合の米ではもったいない。  


おれなら一升(いっしょう→一合の十倍)の米を
食わせて、十粒の金を手に入れるのに」  


そこで弟は孫四郎が留守のすきに馬を盗み
出すと、自分の家に連れて行って一升もの
米を馬に無理矢理食べさせたのです。


「さあ、食え食え、どんどん食って、金をどっ
さり産んでくれ」  


すると馬は、とても元気になって、 「ヒヒヒーン!
ヒヒヒーン!」 と、いななきながら家を飛び
出して、陸中の国(りくちゅうのくに→岩手県と
秋田県の国境)のある山の上へ飛んで行っ
てしまいました。  


今では駒ヶ岳(こまがたけ)と言われている山が、
その馬が飛んで行った山だそうです。 …













※…
教え子のミッちゃんが、あるホームセンターの
玩具売場で 母親に置き去りにされたのは4歳
の時であった。


混み合う日曜日の売場で、おもちゃのオル
ゴールを買ってもらい、 うれしそうに箱を抱
えて、ミッちゃんはトイレに行ったはずの 母親
を待っていた。


“ここを動かないでね”のひと言に、にっこり笑っ
て頷いたのは 夕暮れ時だったが、陽が落ちて、
客足が減り、 閉店の9時になっても母親は戻っ
て来なかった。


ひとり残された少女は、店員の通報によって
警察で保護。 その後、自分の身に起きたこと
が理解できないまま、 児童養護施設に送られ
たミッちゃんは、なおも母親を待ち続けたが、
願いが叶うことはなかった。


そして、暗い施設の中で、いくら泣いても叫ん
でも、 再び戻ることのない母親の幻に向かっ
て「私はゴミじゃない」と、泣き叫んだという。


そんなある日、 彼女を迎えに来たのは母方
の祖母であった。


ミッちゃんの両親はすでに3年前に離婚して
いて、 重なる親の不始末に責任を感じた祖母
が、 その後、ミッちゃんを引き取って育てた
のだった。


やがてミッちゃんは高校へ。


自らもアルバイトを重ねてきたが、決して楽では
ない暮らしの中で、 祖母は“せめてもの償い”と、
保険会社の勧誘員、 そしてスーパーのパート
を両立させながら、必死の思いで、 ミッちゃん
を短大まで通わせてくれたのだった。


孤児であるがゆえに嫌がらせも受け、耐え難い
屈辱を 味わったが、ミッちゃんが道を誤らなか
ったのは、 祖母のひたすらに働らく後姿があっ
たからだという。


何も言わずに黙々と育てあげてくれた祖母。


彼女の中で決っして拭うことのできない傷を、
時間をかけて癒し続けてくれたのが祖母で
あった。


ある日、短大で“自分の体験談”を語る時間
に、ミッちゃんはこの話をし始めた。


最初は驚いたが、彼女が人の前で辛い生い
立ちを語れるということは、 心の整理がつい
ている証だと思い、聴いた。


ゼミ終了後、彼女はさらに深い胸の内を私に
明かした。


「どうして皆の前でこの話を?」と聞くと、


「自立のための、決意宣言のつもりでした」と、
きっぱり言った。


ちょうど就活の時期でもあり、彼女は今はじめて、
自分の進路に明確なものを見い出したという。


それは、保育士になることだった。 当初、普通
の企業に就職するためにこの短大を選んだが、
自分の生い立ちを踏まえ、熟慮の末に進路変更
を決意したのだった。


だが、目的を果たすためには一旦今の短大を
卒業した後、再び、 保育の専門学校に入学
する必要があった。


そんな回り道を してでも保育士になるという
彼女の決意は固かった。


ただ、もうこれ以上祖母に迷惑はかけられない。
2年間の専門学校を、3年かかる夜間部にして
昼間は就労。 更に、土曜・日曜を返上して別
のアルバイトをこなすことにした。


「からだは大丈夫?」と聞くと、 「山村先生だっ
て昼夜働き、自分の決めた道を進んだんでしょ。


先生の話を聴いて、私も保育士になることを
決断したんです」 と笑顔が返ってきた。


確かに“子供にとって何が必要であるか”を
一番知っているのは彼女であった。


“昔を思い出すから、子供の顔を見るのが恐い
と思ってきたけれど、 私はもう逃げない”とも
彼女は言った。


ミッちゃんなら、きっといい保育士になるに
違いない。


私はその後、彼女が保育士の道に進むため
のあらゆる力を貸した。


卒業式の日、彼女は真先に駆け寄り、 「先生、
ありがとう」と言って、私の胸で崩れるように
泣いた。


「さあ、これからは子供達に愛され、誰からも
必要とされる保育士に なるのよ。


うれしい涙はおばあちゃんのために残して
おきなさい」 と、私はそっと彼女の背中を
押した。


あれから何年経っただろう・・・。


先日、ミッちゃんから手紙が届いた。 『先生、
結婚して、かわいい女の子が生まれました。


保育士を続けながら、 “この子をしっかり育て
ます”』と、力強い文字で記されていた。


遠き日のあの出来事を乗り越えて、今、母親
になった彼女の幸せを、 祈らないではいられ
ない。 


蝉の声繁し日に、うれしい便りが届く・・・
ペンを置く。…  


author:随筆「筆のしずく」








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