貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・一考編
















※…
朝早く友達と通学路を歩いていると、いつも
は静かなごみ捨て場に人影を見つけた。


一人はおばあさ んで、もう一人は僕の学校
の高等部の先輩だった。


少し面倒くさそうな予感がしたが、やはり二人
はカ ラスに荒らされたごみ捨て場の掃除をし
ていた。


高校の先輩は学校のちりとりを持っていたの
で、一度 学校に行き、戻ってきたようだ


僕はためらったが、そのまま横を通り過ぎる
わけにもいかないので、友達と「手伝います」
と声をか け、掃除を手伝った。


その日の朝の会で、僕たちの行動が紹介
された。名前こそ出されなかったが、お ばあ
さんが学校へ連絡をしてくださったそうだ。


僕は少し恥ずかしかったが、あそこで通り過ぎ
ずに掃 除を手伝った自分をほめたいと思った。


カラスによるごみ荒らしは決まってのことなの
で、今度は僕が友達を誘ってごみ捨て場の
掃除をする ことにした。


友達も快く引き受けてくれた。そうして僕たち
は、毎朝の掃除を習慣として続けていた。


すると、その活動に学校の近所の誰かが気づ
いてくれたようで、また朝の会で紹介された。


同級生の間 でも話題になっていたようだ。


いろいろな人から、「すごいな」「えらいじゃん」
とほめられた。 しかし、僕はあまりいい気がし
なかった。


「本当にこれはほめられるようなことなのか」
と思ったの だ。


はじめ、ごみ捨て場の掃除を手伝ったときは、
ためらいはあろうと、「するべき」と思ったから
手 伝いをした。


しかし、今、僕のしている行動は、ほめられ
たいだけの上 うわ っ面 つら だけの行動で
はないか。い わゆる「偽善」なのではないか、
と思ったのだ。


そして、そのときから、僕はごみ捨て場の掃除
をしな くなった。


掃除を止めた週、いつもより一本遅いバスで
登校するとごみ捨て場に人影があった。


友達が掃除をし てくれているのだろうと思った
が、それだけではなかった。


そこで友達と掃除をしてくれていたのは、 今
まで見たことのない顔の人たちだった。


次のごみの日には、また違う人が二人ほど、
そして翌週にな ると近隣の小学校の先生
まで手伝ってくれるようになった。


僕たちの行動が周りの人たちの気持ちを動
かしたのだと思った。


僕は自分が悩んでいることが、どうでもいい
ことだと気づいた。


善だろうが偽善だろうが、僕たちが 行動を
起こしたことに意味があるのではないか。
偽善を気にせずやってのける「勇気」が
大切だったの ではないか。


そう思いながら、掃除を手伝った。


今、僕の背中の通学カバンには、45リットル
のごみ袋が入っている。


学校がくれるようになったの で必要ではない
のだが、いざというとき、きっとこのごみ袋が
僕に勇気をくれる。


そして、その「勇気」 が、僕や周りの人たちの
気持ちをつないでくれると信じている。 …













※…
「人間というものは、 何か人のために 尽くす
ことによって、 大いなる力を得ていく ものな
のでしょう」


ご婦人がおっしゃるには、あるスポーツの選手
だった息子さんが 大きな大会で事故を起こして
首の骨を折り、 首から下がほとんど動かない
状態になってしまわれた。


絶望した息子さんは、電動車イスで病院の屋上
まで上がり、 飛び降り自殺を図ろうとしたけれど
も、体が思うように動かず思い止まったのだと。


しかし、お話を聞いていて驚きました。


その息子さんはそこから大学に復帰し、さらに
一人暮らしを始めたというのです。


ご婦人は「私はあの子が転んでも 絶対に
起こしてあげないんです」 とおっしゃいました。


体が不自由な子が転べば、すぐにでも手を
差し伸べたいのが 親というものでしょう。


しかし、ご婦人は自分が先に亡くなった時、
息子さんが一人で生きていかなくて はいけ
ないことを分かっておられたのです。


息子さんにもその思いが伝わったのか、
「自分は母のために生きるんだ。 


自分が暗くなれば、お母さんがいつまでも 
辛い思いをしてしまう。 だから、頑張って
生きるんだ」。そう言っていたそうです。


その言葉のとおり、彼は一所懸命勉強して
運転免許を取得し、 いま地方公務員として
立派に自立しておられます。


ご婦人は私にこう言われました。


私はいろいろ 苦しんで悲しんで、 泣くだけ
泣きました。 


でも私が子供にできる ことはたった一つ。  
一日一日を明るく生きること。それだけです。  


もし私が辛い顔をしていたら、息子は母が
悲しむのは  自分のせいだと自分を責め
てしまう。 


だからこれからも明るく生きていくの」


もし、お二人が自分のことばかりを考えて
いたら心は 折れていたかもしれません。


しかし、息子さんは母のために生きよう、
ご婦人は息子に辛い思いをさせたくない
ために明るく生きようと、


それぞれに思いを貫いて生きておられます。


人間というものは、何か人のために尽くすこと
によって、 大いなる力を得ていくものなの
でしょう。


菩提心の発現ともいえるこの母子の姿から
そのことを 教わる思いでした。…


author「願いに生きる」








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