貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

















角田正和(すみだ・まさかず)(40)は、
ひきこもりの人の自立支援をうたう業者
が運営する施設で、約半年間働いた
経験を持つ。


「『救いたい』なんてうそ。彼らがやっている
のは犯罪だ」。「引き出し屋」と呼ばれる
業者の内実を告発



※…「全国回復センター」


(東京)で働くうちに疑念を抱くようになった
角田正和(すみだ・まさかず)(40)は、ある日、
寮に入所していた男性の脱走を手助けし、
自宅まで車で送り届けた。  


男性の母親は当初、センター代表の黒木重之
(くろき・しげゆき)を信じ切っていたが、角田が
黒木らの人権を無視した行為や、支援の実態
がないことを打ち明けると、後悔を口にした。  


一方、角田もその場で母親から契約書を見せられ、
驚いた。黒木らは自立支援を名目に、3カ月間
で約550万円という法外な契約料を支払わせて
いたのだ。


自宅から連れ出す際の交通費や宿泊代、
本人の散髪代などは別途支払うとの項目
まであった。  


センターでは、入所者の携帯電話を取り上げ、
親にも「(連絡を取るのは)子どものためにな
らない」と言い、電話番号を変えさせるなどした。


その一方で、子どもたちの写真をメールで
親に送り、職業訓練などを行っていると見せ
かけ、安心させていた。  


「職員採用の仕組みにもからくりがあった」
と角田。寮の職員の多くは障害者手帳を
取得し、「障害者トライアル雇用」という制度
で採用されていた。


障害者を継続雇用すると国の補助金がもら
える仕組み。角田自身も手帳を持つ障害者だ。  


「補助金が欲しいだけじゃない。障害者なら
犯罪行為に気付かないし、気付いて訴えても、
誰も信じないと思ったんだろう」。


医療や福祉、教育分野などの専門的な知識
や経験を持つ職員は1人としていなかったという。  


「ひきこもり解決します」「子どもを助けます」。


インターネット上には、センターのような業者
のサイトがあふれる。だが業者の実態は国も
自治体も把握できていない。  


こうした業者を頼らざるを得ない状況に追い
込まれた親自身も、揺れ動いている。  


角田が逃走を助けた男性の母親は「ひきこもり
の息子を何とかしたい」と必死で、黒木のことを
“救世主”のようにすら思っていた。


だまされていただけだと気付き、本人が望まぬ
環境に置いてしまったことを今も悔い、自分を
責め続けているという。  


一方で、黒木に感謝する親もいる。


息子(31)を託した九州地方の母親は、
記者にこう言い切った。  


「長い間、仕事にも就いていなかった子が
やっと働き始めました。黒木さんのことを
悪く思うことなどありません」


(敬称略、文中の人物、団体は仮名)












第一章 そして母になる


※…・幼児期第一の壁:離乳できない


一歳半で卒乳を試みた。事前に本人に了承
を得たはずだったが、その時になると「断固と
して嫌です」という態度。


おっぱいくれないなら食事を食べないという
ハンガーストライキに入られ、親が根をあげ、
二歳まで延期。二歳も同じことを繰り返した。


これじゃ、歯医者に怒られるよ。歯医者は
「二歳までの虫歯はお母さんの責任(離乳
しないとだめ)、


二歳からの虫歯はジジババの責任(甘いおやつ
をあげるから)」 と言っている。


歯が生えてきたら、夜間授乳の母乳の糖分が
虫歯のもとという根拠に間違いはない。


しかし、二歳頃の卒乳を促してきた側の助産師
の私。上の子はさっぱり一歳半で卒乳。同じよう
にしているのに離乳できない。


しかも、ごはんはちゃんと食べている。そこに
おっぱいが入ったところで栄養になるわけで
もない。


さすがに四十五歳で数時間毎の授乳はきつく、
夫との甘い時間などなかった。


保育園ではおっぱいをほしがらず良い子で
過ごし、預けている時間も短かったから、母と
一緒にいる時間は上の子より長かった。


おむつは二歳で取れ、栄光のパンツマ
ンになった。


しかし三歳を過ぎてもまだおっぱいにぶら下が
っていた。そのうち吸われていても気にならな
くなった。


家事の間も、フライパンを振っていてもおっぱい
の下。


そんな時、出張保育で家に来てくれた年配の
保育士さんが、 「私も小学校五年生までおっ
ぱい吸っていたって母に今でも言われますよ」
と笑って教えてくれた。


「だけど今はもちろん、もう吸ってないですから」
と、そりゃそうでしょうね。ちゃんと六年生で離乳、
結婚し子ども三人を育ててきたベテラン保育士
からそう言われて、ま、きっといつか離乳する
のねと、気長に構えることにした。


なので、三歳以後何歳までおっぱい小僧だっ
たのか私も覚えていない。小学校入学時には
卒乳していた。


※…・幼児期第二の壁:転園


ある時、保育園の組織運営体制が変わり、担当
保育士も代わる落ち着かない状態で安心して
子どもを預けられなくなった。


転居で保育園が遠くなって転園を検討すると
幸い家の近くに良い保育園があった。ラッキー。


四歳になったばかりの次男、それなりに自我も
育っていたから転園は不安だらけ。


その保育園は、先生は若いが保育に意欲的で、
給食室が子どもたちから見えるのも魅力だった。


初日、次男は珍しそうに近づいてくる他の子ども
たちに 「俺に近づくなっ!」 と、玄関で叫んでいた。


その顔は恐怖の表情だった。


どうした、何があったんだ、私がびっくりした。
でも、そんなことは日常の保育士。ゆったり
した対応に、プロだなあ、と感心した。


きっとだいじょうぶ。新しい保育園生活が
始まった。



※…・保育園はファンタジーの国!


新しい保育園に慣れ始めた次男、保育園で
過ごす時間も多くなった。


園行事の機会も多くなった。遠足、運動会、
お祭り、生活発表会など、保育園の様々な
行事は、季節感てんこ盛りで、忘れていた
子ども時代を思い出す。


四歳で転園した保育園。少しずつお友達同士
で遊べるようになった。


ある春の日、タンポポが咲く公園にお散歩に
行った時、子どもたちがタンポポの花の下に、
「何かの抜け殻」を見つけた。


最近、この辺りで「こびと」が発見されていると
いうので、その脱皮殻かもしれないねえ、と子
どもたちと先生も興味津々。


持ち帰って小人さんにお手紙を書くことにした。


「おようふくをひろいました。とりにきてください」
お手紙をおいて帰った。


朝になると、「マリーちゃん」と名乗る小人さんから
「見つけてくれてありがとう」という手紙がきた。


「楽しそうだったから運動会までみんなといっしょ
にいたいな」という内容だった。


子どもたちはみんな大騒ぎ、大喜び、マリーちゃん
はどこにいるのだろうと捜すけれど、見つからない。


そこで、子どもたちはマリーちゃんと文通すること
に。跳び箱や縄跳び、障害物競走、竹馬に乗れ
たよ、マリーちゃんに教えたくて一生懸命。


マリーちゃん運び障害物レースも考えた。


頑張った子どもたちに、運動会の終わりに、
「マリーちゃんから手紙が届きました!」 と
いう園長先生。


子どもたちは 「きゃあ~!マリーちゃん~!」
と歓喜の声で集まる。


「今日はみんなすてきだったね。かっこよかっ
たね。マリーはとても感動したよ」 というマリー
ちゃんのお手紙。


「やったあ、やったあ」、 五歳児全員が踊っ
て喜んでいた。とても感動的な光景だった。


ある日、マリーちゃんからお別れの手紙が
届いた。 「もうすぐ冬になるので私は暖かい
ところに行かなくてはなりません、


みんなのこと忘れないよ」。


マリーちゃんは現れなくなった。ところが、
年長さんに上がった日、クラスに一番のり
で登園した子が「先生、何これ~?」と。


子どもたちが次々とやってきては大騒ぎ。
誰のかわからない黒タイツが落ちていた。


「これ、もしかしたら、ピーターパンの影?」 …








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