貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・THEライフ


















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「団地」といえば、住民の高齢化が大きな課題
だが、横浜市内には高齢化にもかかわらず、
介護が必要なお年寄りが他の地域より少ない
団地があるという。


いったいどんな団地なのか、


都心から電車とバスで約1時間。平日の午前
9時、横浜市旭区の横浜若葉台団地に着くと、
樹木に囲まれた公園で70人以上の高齢者が
グラウンドゴルフを楽しんでいた。


その隣のテニスコートでは、20人ほどがプレー
する。笑い声やかけ声が飛び交い、にぎやかな
雰囲気に包まれていた。  


「とにかく元気なお年寄りが多いんだよ」  


団地に10ある自治会を束ねる「若葉台連合
自治会」の山岸弘樹会長(71)は胸を張る。  


同団地は1979年に入居が始まった。都心
などで働くサラリーマン世帯が中心だった
人口は、ピーク時の約2万人から約1万
4000人に減少。


65歳以上の割合を示す高齢化率は47.8%
にのぼる。介護が必要になりがちな75歳以上
の割合は21.4%で、全国平均より7.4ポイント
高い。


にもかかわらず、団地には元気な高齢者が多い。
市によると、介護が必要な高齢者の割合を示す
「要介護認定率」は、同団地では12.2%。
全国平均より5.8ポイント低い。  


神奈川県住宅供給公社などが昨年、団地の
高齢者を調査したところ、「スポーツの会に参加
する人」の割合は46.7%、「趣味の会に参加
する人」の割合は56.7%と、いずれも横浜市
の平均より約17ポイント高かった。


報告書は「団地の環境や施設、住民のつながり
を広げる活発な活動が、要介護認定率の低さ
に結びついている」と分析している。  


グラウンドゴルフを楽しんでいた 我妻あがつま
文朗さん(80)は約10年前から、週に3回、活動
に参加している。


「体を動かしながら大きな声を出し、仲間と冗談
を言い合うのが楽しい」と話す。今年4月からは
老人クラブの会長も務める。カラオケや映画観賞
などのサークルにも参加し、「現役時代より忙しい」
と笑う。  


我妻さんは仙台市出身の元会社員。都内で社宅
暮らしだった30歳代の頃、分譲広告を見て応募し、
79年に家族4人で入居した。  


団地は90ヘクタールの敷地に10か所の公園や
プールがあり、スポーツに親しみやすい環境だ。


入居当初は、最寄り駅までのバス便が少なく、
増便を働きかけるために住民が結束したという。


「不便な“陸の孤島”だったからこそ、住み心地を
良くするために住民活動や交流が盛んになった」
と連合自治会の山岸会長は振り返る。  


連合自治会と住民で作るNPO法人が運動会、
文化祭などを開催。同法人が太極拳や卓球、
中国語などを学べる教室も開いている。


同団地で高齢者の相談を受け付ける「若葉台
地域ケアプラザ」の池田智恵子所長は、「仲間
とつながり、スポーツや余暇活動をすることが、
自然と介護予防につながっている」と話す。  


団地に一人で暮らす女性(84)は「つながりがない
と、さみしい」と、グラウンドゴルフを楽しみ、公園
の清掃ボランティアにも加わる。  


買い物は団地内を無料で走るコミュニティーバス
に助けられている。ただ、重い荷物を手にした
帰りは利用するが、健康のため行きは徒歩だ。


1日3000歩を目標に室内でも歩くよう心がけて
いるという。女性は「元気であれば、この団地で
仲間と笑いながら暮らし続けられる」と話す。  


住民同士のつながりと街への愛着を育むことが、
健康な街づくりに必要なようだ。  


※…[記者考]潜在的な力  


建物が老朽化し、高齢者ばかりが暮らす“限界
団地”。そんなイメージを抱いていたが、歩いて
みると、今の住まいに愛着を持つ人にたくさん
出会えた。  


入居が始まった半世紀前は、地縁や血縁の
ない人々の寄せ集めだったかもしれない。でも、
子育て時代のつきあいや掃除などの共同作業
を通じて、他人同士の結びつきが生まれやすい
場所でもあったはずだ。  


高齢化が進み、家族に頼れない人が増える中、
他人同士の助け合いがますます重要になる。


住み慣れた地域で暮らし続けたいという住民
の願いをかなえるためには、弱まりつつある
つながりを結び直すことが必要だ。


住民の努力と、ちょっとした下支えがあれば、
それはできる。団地が持つ潜在的な力を
感じた。…


author:社会保障部・粂文野、野口博文













睡眠は一種の「仮死」といってよいだろう。
人びとは、毎夜に死んで、翌朝に生き返る。


生きるためには前夜の死が必要というわけだ。
何とおもしろいではないか。 そして、生きもの
の営みとは、何と矛盾をふくんでいることだろう。


生きるために食べ、眠り、食べつつ生きて、
確実に、これは本当の死を迎える日へ近づ
いてゆく。


おもしろくて、はかないことではある。


それでいて人間の躰は、たとえ一椀の味噌汁
を味わっただけで、生き甲斐を おぼえるよう
にできている。


何と、ありがたいことだろう。
ありがたくて、また、はかないことだ。



※…人は何で自分をみがくか。


それは、「人間は死ぬ...・・・・・」 という、この
簡明な事実をできるだけ若いころから意識
することにある。


もう、そのことに尽きるといってもいい。 何かに
つけてそのことを、ふっと思うだけで違ってくる
んだよ。


自分の人生が有限のものであり、残りはどれだ
けあるか、こればかりは神様でなきゃわからない。


そう思えばどんなことに対してもおのずから目の
色が変わってくる。


そうなってくると、自分のまわりのすべてのものが、
自分をみがくための 「みがき砂」だということが
わかる。


逆にいえば、人間は死ぬんだということを忘れて
いる限り、その人の一生はいたずらに空転する
ことになる。


仕事、金、時間、職場や家庭あるいは男と女の
さまざまな人間関係、それから衣食住のすべて
についていえることは、


「人のみがき砂として役立たないものはない.....
ということです。 その人に、それらの一つ一つ
をみがき砂として生かそうという気持ちさえあれ
ばね。


※…(男の作法/新潮文庫f)


人は死を意識したときだけ、生について真剣
に考える。


いつか死ぬ、ということを忘れている人間は、
生を鮮やかに生きることができない。


「酔生夢死」という、ただ生きているだけのぼん
やりした一生を終えることになる。


「めしを喰って、静かに息をついていたら、いつの
間にか日が暮れて、気がついた時は墓場の中」
(相田みつを)


森信三先生は、「一日は、一生の縮図なり」と
いった。


すべてのできごとは自分の磨き砂…


author:池波正太郎氏の心に響く言葉…








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