貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

















角田正和(すみだ・まさかず)(40)は、
ひきこもりの人の自立支援をうたう業者
が運営する施設で、約半年間働いた
経験を持つ。



「『救いたい』なんてうそ。彼らがやっている
のは犯罪だ」。「引き出し屋」と呼ばれる
業者の内実を告発



(敬称略、文中の人物、施設は仮名)



※…2016年冬。


マンション一室で、「全国回復センター」(東京)
幹部の面接を受けた。ハローワークで見つけた
「施設管理」のアルバイトだった。  


「本人だけじゃなく、家族も苦しんでいる。彼ら
を救いたい」「取材がもう何件も来た。来年には
『奇跡の回復』というテレビ番組になる」  


代表の黒木重之(くろき・しげゆき)はセンター
の意義を熱っぽく語った。50代の元警察官で、
探偵業なども営んできたという。


壁に飾られた警視総監や有名国会議員との
ツーショット写真が威圧する。  


アルバイトの主な業務は入所者への対応や
電話番といい、簡単そうに思えた。


時給千~1200円と好条件。だが実際の仕事
は説明と違い、角田は初日から面食らう。  


 ×  ×  ×     


採用連絡を受け、翌日午後10時に、黒木らが
「寮」と呼ぶ埼玉県内の民家にスーツ姿で来る
よう指示された。


黒木のほか男女の職員4人が、相手を後ろ手
にひねって拘束する術を何度も指導。練習が
終わると車に乗るよう言われ、高速を北上した。


その日は依頼者の子どもを連れ出す「実行日」
だったのだ。  


道中、黒木が説明した。「今日は8年間ひきこも
っている28歳の男性を連れて来る。


父親は本当に精神的に参っている。本人もこの
ままではだめだ。再生できるように手を貸して
ほしい」


「抵抗する恐れもあるので最初は強引でも連れ
出す。拘束術はそのためだ」  


夜明け前、福島県内の男性宅に到着。


場所だけ確認すると、近くのコンビニ駐車場に
移動した。弁当を支給され、拘束術を練習して
いったん仮眠。


午前9時、踏み込んだ。  


まだ寝ていた男性は見知らぬスーツ姿の集団
に取り囲まれ、おののいたが、抵抗せず車に
乗り込んだ。角田の緊張が少し解け、どっと
疲れが襲った。  


 ×  ×  ×     


角田の手元には1枚のメモがある。半年間に
連れ出された11人のリストだ。


金もうけのために弱者を餌食にする黒木ら
の手口をいつか公にしようと、記録を残して
いた。…





角田正和(すみだ・まさかず)(40)が勤務して
いた「寮」は、埼玉県内の静かな住宅街にある。


何の変哲もない古い民家。周囲には小学校も
あり、農地も残るのどかな場所だ。…


 ×  ×  ×    


黒木重之(くろき・しげゆき)が代表を務める
「全国回復センター」は、埼玉、千葉両県で
民家やアパートを借り上げ、ひきこもりとされ
る人たちを住まわせていた。


角田の勤務先は男性寮で、1階には台所や
リビング、2階に2段ベッドが備わる4畳半ほど
の部屋が四つあり、常時5人ほどが暮らす。


アルバイト職員が2交代制で常駐し、男性の
寮長も住み込んでいた。  


角田がいた半年間に連れて来られたのは
11人。ホームページを見て依頼する親が多く、
北海道から九州まで全国各地に迎えに行った。


子どもは20~30代が中心。


本当に外に出ることができない人もいれば、
自宅でネットを使ってお金を稼いだりして、
「自分はひきこもりではない」と訴える人もいた。  


黒木は入所の際、財布や携帯電話、身分証
を取り上げるよう職員に指示した。逃げ出す
手段を奪うためだ。


おとなしくしていればそのうち返却し、外出も
許可する。


職員は従順な入所者を陰で「模範囚」と呼んだ。  


センターは「入寮後は社会性を身に付けるため
の訓練や職業訓練を行う」と約束しながら、一切
行っていなかった。


入所者のためのプログラムは何一つなく、
自立支援とは名ばかりだった。  


3カ月ほどたった頃、入所者の逃走が相次ぐ。  


関西出身の30代男性は、「ここにいる理由は
ない」と繰り返し、私物を取り上げられたままで
逃げ出した。


1週間後、公園で野宿しているところを不審者
として通報された。警察署で事情を説明したが、
警官は「親から預かっている」という職員の言葉
を信じ、取り合ってもらえなかった。  


男性は角田に「公園の水しか口にすることが
できず、自殺も考えた」と漏らした。


今度は寮のベランダから飛び降りて救急
搬送され、その後行方が分からなくなった。


数週間後には別の男性が4回も脱走を試みる。  


黒木らは窓に内側から開けられない特殊な鍵
を付け、玄関も二重に施錠するなどし、入所者
の外出の自由を奪った。


やがて職員に“常時監視”を命じるようになる。 
(敬称略、文中の人物、団体は仮名)












第一章 そして母になる だけどぽんこつ


ようやく私も子育ての不安や葛藤を理解し、
経験者の助言らしきことも新米ママたちに
言えるようになった。


特に、DVや離婚後の子育て、発達障害児を
抱える方に伝えられることがある。


臨床助産師から大学へ進学し、結婚、流産、
離婚、再婚、そして出産し、子育てしながら
博士論文を書いて教育学博士号を取得した。


自分で書いていても具合悪くなるほど忙しい
日々だった。それから、助産師教員として働き、
子育て支援の要である保育士と産科医療の
連携が必要と感じて、今度は保育士養成に
乗り出した矢先の退職、そして失業。


今の私は、助産師らしい活動は何もできて
いない。 二度の腰痛の手術の果て脊柱管
狭窄きょうさく症、更年期症状で手指が腫れ
ていてじゃんけんのグーもできない。


目も老眼、痔もひどい。習った整体と「トコ
ちゃんベルト」で、なんとか日常生活を送れ
ているが体はガタつき始めている。


携帯の待ち受け画面の、大好きなアイドル
グループのメンバーの「M・J」の笑顔に癒され、
なんとかホルモンを保っている。


そして、そのアイドルグループのファンだと
いうだけで、学生に親近感を持たれて、一緒
に盛り上がれるのが嬉しい。


※… 次男は「あかねこ」だった


三十三歳で長男を出産した後、いわゆる二人
目不妊で、第二子がなかなか授からず、妊娠
しても流産を繰り返した。


三十八歳からは不妊治療に通院する日々の中、
人工授精も何度も何度も試みたが妊娠に至ら
なかった。


四十二歳、もう体外受精に踏み切る体力も気力
もなく、妊娠を諦めようと思い、治療をやめた
一か月後のまさかの自然妊娠だった。


妊娠反応が陽性になった時の喜びは例え
ようがなく、とにかく嬉しかった。不妊治療の
末ようやく授かった子だ。


ただただ可愛い。 ぼく、「あかねこ」がいい!


次男が五歳の頃、『わたしはあかねこ』という
不思議な絵本を読んだ。


黒ねこと白ねこの間に、「あかねこ」が生まれる。
兄弟ねこは、みんな黒か白、白黒のぶち。


そこに突如、あかねこ。生物学的には遺伝の
法則で、同じ種でも異なる色や特徴のものを
かけ合わせていくと、必ず親とは全く違う特質
を持った特別変異種が現れるのは珍しいこと
ではない、一般的な学説だ。


たくさんの子どもが生まれる中、このような
変異種が生まれることは確率的に絶対ある。


私はこの絵本について、次男にどう思う?
と聞いたら、 「ぼく、あかねこがいい!」 と
元気に答えた。


あら、そうだったんだ。 「でも、兄弟も白黒しか
ないけど、寂しくないの?」 と聞くと、 「寂しく
ないよ、あかねこがいい!」 目をキラキラさせ
て笑顔で答えた。


そうなのか、親兄弟とまるで違う「あかねこ」。
これは、もう「あかねこ」育てるしかないよね、
この子は最初から突然変異の新種だったんだ。


発達障害児の育て方については、それから、
様々な本を読んだ。市の教育相談室にも
通った。


相談室の先生は子どもが安心できる初めて
の大人の男性だった。障害児教育の経験
豊かな優しい方で、この子をまるごと受け入
れてくれた。


子どもが信頼している様子に、私も安心して
相談できた。いっぱい助言をいただいて励
まされた。


安心できる大人たちの中では次男は落ち着
いて過ごせることもわかった。


次男は絵を描くことが大好きで、保育園や
相談室の先生に褒められてからというもの、
毎日何枚も絵を描き、五歳から絵を描かな
い日はない。


学校に行けなくても絵を描いて過ごせる時間
は彼にとって救いでもあった。


乳児期の「あかねこ」


次男の誕生は長男が十歳になる頃だったから、
一人子育てし終えて孫を育てる感覚。そして、
手がかからない子だった。


よく寝る、おっぱいはよく飲む、何より大きく
生まれたので少しくらい痩せても心配ないと
気楽にしていた。


不思議なことに、この子は寝ている時、「天上
天下唯我独尊」のポーズでお釈迦様みたい、
寝顔も神々しくそれだけで癒された。


それでも、数時間ごとのおっぱいにはさすが
にグダグダになった。 しかし発達が早く、上
の子が一歳過ぎにようやく歩いたのに対し
この子は一歳ではすたすた歩き、背負わせた
一升餅をものともせず歩いた。


離乳食も順調、アレルギーもなし、生後二か月
から保育園に預けていたこともあり、母以外は
絶対ダメということもなく、


人見知りも過ぎ、保育園でも手のかからない
良い子だった。 ただ、母親の直感、「この子
は何か違う」とは感じていた。


発達の異常はない。目と目を合わせると笑う。
しかし、離乳食の散らかし方がすさまじかった。


楽しんでいるかのように散らかす。もしこの子が
第一子だったら育児困難になっていたかと
思うほど。 …








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