貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・特別編


















※ 性格の不一致


どこからか、だんだんとパパとのズレを感じるよう
になってきていた。


まずは、雄太の不登校(十七歳)からだったか、
何気に言ったパパの一言が私の琴線に触れた。


「甘やかして育てたからな」 そう言ったパパが
赤の他人に見えた。一瞬時間が止まったように
感じてその後、血が逆流するような感覚になった。


そのまま「ふざけんな!」って怒鳴ろうかと思った
けど妙に冷めた感情がわいてきて、「そうだね、
私が一人で産んで一人で育てさせてもらいました」。


淡々と言ってその場から立ち去った。


その後、パパがどんな顔をしていたかは見て
いなかったから分からないけれど、そのセリフ
を二度と聞くことはなかった。


その時の話をすることもなかったから、どんな
風に感じたかは知らないままでいる。


どうしていいか分からず苦しんでいる雄太を
見ていたから、何とかしてやりたいと焦っていた。
雄太が高校三年の六月だった。


その時は雄太の事しか頭になくて卒業の単位、
進路と後々大変なことになる、なんてことは全く
頭に浮かんでいなかった。


早く何とかしたくて、病院へ行ったりカウンセ
リングを受けたりと右往左往した。 もちろん
将太やパパの事は、ほったらかし。
雄太しか見えない。


将太は仕方がないとあきらめていたようだが
パパはそうはいかず、いい加減にしてくれと
言わんばかりで冷たい空気を醸し出していた。


こんな時に、甘やかして育てたなんてセリフ
言う? 何なんだよ! 一緒に考えてくれない
の? 私の気持ちが不信と不安でいっぱい
になった。


パパにとってはワガママ、根性がない、甘っ
たれてる、そんな考えが強くて雄太に寄り
添ってやれなかったんだと今なら少し理解
ができる。


今の時代と私達が子供の頃とでは、環境も
情報も違っていて、パパには雄太の気持ち
が疲れて悲鳴を上げているのが理解でき
なかったんだと思う。


それが少しずつすれ違っていく始まりだっ
たかな



※…将太の進路でまたすれ違う


喧嘩をしたりすることはなかったが、距離が
ドンドン広がっていくようで、ぎこちなくなっ
てきたパパとの関係が息苦しく感じるように
なってきていた。


考え方の違いは話し合ったから何とかなる、
というものでもなく感情的になって泣きわめけ
ば仕方なく折れてくれたかもしれないが、根本
的に考えが違うわけだから、そんなことをして
も解決にはならなかっただろう。


将太とパパの間ではキチンと話し合いができ
ていたようで、私だけが空回りしていた。


進学をすすめる私に「勉強もしたくないし借金
もしたくない」と最後通告のような言葉を将太
から突き付けられギブアップした。


これが決定打というわけでもないが、少し
パパから離れたいと考えるようになって
「離婚しない?」と言ってみた


。ハアーというような顔をして「嫌だね」と
言ってきた。 「じゃ別居は」と聞くとそれも
嫌だとなって「何がしたいんだ」と聞いてきた。


「何ってまだ考えてないけど将太も就職が
決まったし、雄太の大学の学費と生活費の
心配だけしてもらえれば私は自分のことは
何とかするからどうだろうか?」。


しかし全く取り合う気もなく「俺は嫌だから」
で終わってしまった。


その後離婚の話が出ることはなかったが、
すれ違った気持ちはそのままだった。


芸能人が離婚するとき性格の不一致とか、
すれ違いとか言って「何なんだ、それって
嫌いになっただけだろう!」と思って突っ
込みを入れていたが「これだな、性格の不
一致っていうのは」と分かった気がした。


パパの良いところも分かっているし、嫌いと
いうわけでもないけれど、解放されたいような
気分だった。



※…雄太が大学の授業を受けていない


その直後、雄太の大学から授業を受けてい
ないことが分かって呼び出され、パパに行っ
てもらう事になった。


私では感情的になってキチンと対応できそう
もないからパパにお願いした。


雄太とは高校の時から対立していたので、
どんな結論を出すか不安だった。


「もし退学させるようなことになったとしても
一年間は面倒を見てやって欲しい。一年の
間にどうするか決めさせてやってもらえないか」。


そう言ってもらえないかとお願いして行って
もらった。帰ってくるまで心配でハラハラしな
がら待っていた。


帰ってきたパパに「どうなった?」と聞く言葉も
出なくて涙ぐんでしまった。


泣いてる私に「教授は、もう辞めたほうがいい
のでは、私なら辞めさせますよって言った。


だけど雄太が辞めたくないって言ったんだよ。
だから本人が続けたいと言っていますので続
けさせてやりたいと、そう言ってきた」と。


もうもう我慢できなくて号泣してしまった。


パパは私を抱きしめて頭をポンポンとタッチ
して「後は俺がやるから心配するな」、そう言
ってくれた。


やっぱり私のパパだ!


大好きな私のパパだと思った。雄太の気持ち
を一番に考えてくれたことに感謝でした。


雄太との関係が冷え切っていて「自分の子供
が可愛くないの!」なんて毒づいたこともあっ
たけど、雄太を、私を愛してくれていたのが
この時ばかりは嫌っていうほど伝わってきた。


あの時の頭をポンポンは今でも思い出す。


優しく温かくて私の気持ちを包んでくれた
ようでした。 …


つづく











i以前、藤田さんはテレビで時のナントカ大臣が、
とある小学校を視察しているニュースを見ていた。


一人の児童がその大臣に「何のために勉強
するんですか?」と質問していた。


大臣は「う~ん、難しい質問だなぁ。おじさん
にも分からないよ」と答えた。  


確かに唐突にそう問われても、短い言葉で
小学生に分かりやすく説明するのは容易で
はないだろう。  


ある日、藤田さんは小学2年生の娘さんの
宿題に付き合うことになった。


子どもが道徳の教科書を声を上げて読む。
それを横で聞いてあげるのだ。  


娘さんが読み始めたのは、詩人まど・みちお
さんの『朝がくると』という詩だった。


※… 


朝がくると とび起きて
ぼくが作ったものでもない
水道で顔をあらうと
ぼくが作ったものでもない
洋服をきて
ぼくが作ったものでもない
ごはんをむしゃむしゃたべる
それから ぼくが作ったものでもない
本やノートを ぼくが作ったものでもない
ランドセルにつめて背中にしょって
さて ぼくが作ったものでもない
靴をはくと
たったか たったか でかけていく
ぼくが作ったものでもない道路を
ぼくが作ったものでもない学校へと
ああ なんのために
いまに おとなになったら
ぼくだって ぼくだって
なにかを 作ることが
できるように なるために


※…


藤田さんは言う。 「これを聞いたとき、
目からウロコが落ちる音が聞こえた」   


なるほど、何のために勉強するのかを
考えたとき、この詩は大きな光を与えて
くれるだろう。  


では、なぜ学校に行かねばならないのか。


勉強なら自分のやりたいことを好きなところ
でやればいいではないか。…  


佐久間勝彦著『学びつづける教師に』の中に、
ノーベル賞作家・大江健三郎さんの話が載っ
ていた。  


大江さんの長男・光(ひかり)さんには知的な
障害があった。光さんは音に非常に敏感な
少年だった。


7歳になって小学校の特殊学級に入学した。
ある日、大江さんは息子の教室を覗いた。


光さんは両手で耳をふさいで、体を固くして
過ごしていた。大江さんは思った。  


「光はなぜ学校に行かねばならないのか。
障害は一生治らないのだ。


野鳥の声を聞き分け、鳥の名前を親に教え
るのが好きなのだから、自然の中で親子3人、
暮らせばいいではないか」   


しばらくして光さんは、自分と同じように騒が
しい音を嫌う生徒を教室の中に見つけた。


光さんはその子に寄り添うようになった。
休み時間には一緒に耳をふさいだ。


運動能力が自分より低いその子のために
トイレに付き添ってあげるようになった。  


自分が友達のために役立っている。


それまで母に頼って過ごしてきた彼にとって
『新鮮な喜び』として感じられたのだろう」と
佐久間さんは綴っている。  


その後、光さんは音楽と出会い、13歳のとき
から作曲をはじめ、作曲家になっていくのだが、
その音楽のことを大江さんは《言葉》と表現し
ている。  


「光にとって音楽は…自分が社会につながっ
ていくための、一番役に立つ言葉です。


国語も理科も算数も体育も、自分をしっかり
理解し、他の人たちとつながってゆくための
言葉です。


そのことを習うために、いつの世の中でも
子供は学校へ行くのだ、と私は思います」と。  


勉強するのは当たり前、学校に行くのも当たり
前、多くの人はそう思っているが、


その当たり前のことをちょっと疑ってみると、
実に奥深い言葉に出合える。 …











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