貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・THEライフ





















住民の急激な高齢化で住民同士の支え合いが
難しくなる団地は多い。独り暮らしの高齢者が
気軽に立ち寄り、ちょっとした不安や体の不調
について相談できる場所を作ることで、新たな
交流や支え合いを生み出す動きが各地で広が
っている。  


「1人で食べるよりにぎやかでいいわね」
「いつもはこんなにゆっくり食べないわよ」。
東京都新宿区の都営団地「戸山ハイツ」。


団地内の商店街の一角にある「暮らしの保健室」
で、高齢の女性たちが昼食を楽しんでいた。  


保健室は、7年前に空き店舗を改装してオープン。
住民の健康や生活の困り事相談などを受けてきた。


運営は区内のNPO法人が行い、平日の日中、
看護師や住民ボランティアなど30人が交代で
常駐する。


月2回の昼食会のほか、マッサージやヨガ教室
も開かれる団地のたまり場だ。  


同団地は35棟に約3400世帯が暮らし、65歳
以上の割合を示す高齢化率は54.7%に達する。
世帯の4割を占めるのが独り暮らしだ。  


「ここがあるからやっていける」と話す安達恵子
さん(74)もその一人。40年以上前に家族で
入居した後に離婚し、息子2人が自立した。


※…同じ棟のご近所と声をかけあって暮らす。


保健室との出会いは3年前。通りがかりに
声をかけられて立ち寄った。


当時はマンション清掃の仕事が忙しく、「元気
だから相談事もない」と思っていたので、たま
に足を運ぶ程度だった。  


ところが昨年、足の病気で歩けなくなり、仕事
を辞めざるを得なくなった。  


「これからどうすれば」 気落ちして保健室に
相談に行くと、看護師やボランティア、ここで
知り合った顔なじみが励まし、病院や福祉制度
の情報も教えてくれた。  


「不安になったら相談すればいいと思い、
安心できるようになった」と笑顔を見せる。


今は幸い歩けるようになり、4月からは週1回、
保健室の清掃ボランティアとして支える側に
も回るようになった。


※… ◇  


急激な高齢化と独り暮らしの増加を迎える団地
では、徐々に人間関係が希薄になりがちだ。


高齢期は健康や生活面での不安も増えるため、
家族に代わって相談を受ける場や、住人同士
が出会うきっかけを作ることが大切になる。  


保健室を運営する看護師の秋山正子さん(67)
は「医師の診察や訪問が必要になるもっと前から、
病気や生活のことを相談できる場所が必要。


そうした場所を増やせば、地域での生活を支え
ることができる」と話す。


住民の相談を受け付けるだけでなく、在宅
医療や介護の勉強会も開く。  


保健室ができてからも住民の高齢化は進み、
自治会の清掃活動ができなくなるなどの課題
も増えた。  


ただ、住民の団地への愛着は強い。


東京家政大女性未来研究所が2015年に
同団地の住民に行った調査では、回答した
1069人のうち7割弱が、「高齢化で共同で
の清掃作業ができなくなった」などの困り事
があると回答したが、「ずっと住み続けたい」
と回答した人は約9割いた。  


調査結果を受けて、今年5月、住民自身が
手がける新しい介護予防事業が始まった。


週1回、団地内に集まり、体操教室を開く。
運営には調査を担当した同大の松岡洋子
准教授と保健室も協力する。  


松岡准教授は「住み慣れた地域で暮らし続け
たいという思いは、古い団地の住民だからこそ
ある。


住民を支える側、支えられる側に分けず、
みんなで元気になるきっかけづくりをする
ことで、団地は住みやすい場になる可能性
がある」と話している。


医療や介護の拠点に  高齢者が多く住む団地
を拠点に、医療や介護を含めて、その地域全体
の高齢者の生活を支援しようという動きが広がっ
ている。  


UR都市機構が管理する東京都板橋区の
「高島平団地」では、2016年から区医師会
や地域包括支援センター、訪問看護ステー
ションが共同で拠点を作り、療養相談などを
行っている。


東京都健康長寿医療センターも連携し、昨年
からは認知症の人や家族などが集える居場所
も運営している。  


1970年代前半に入居が始まった多摩ニュー
タウン(東京都多摩市など)でも、商店街に
2016年10月、「見守り相談室」ができた。


高齢者の介護相談を受け持つ同市の地域
包括支援センターも併設され、住民が立ち
寄って気軽に生活相談ができるようになっ
ている。


高齢者のいる約5000世帯を訪問して生活
状況を把握し、必要な場合には、住民ボラン
ティアによる見守り活動も行っている。 …













より… 心の不健康は、「他者を責める」か
「自分を責める」か、そのどちらかによって
生まれます。


他者を責めれば、攻撃的になり、時には人を
殺したり、傷つけたりします。


自分を責めれば、うつ状態になります。


そのどちらも、現象を否定しているところから
始まり、やがて、「なぜ?」「誰のせい?」と問い
かけるようになります。


聖書の中に「汝(なんじ)、なぜかなぜかと問い
かけることなかれ」という言葉があります。


よく相談や質問をされる方は、「なぜ、なぜ」
とおっしゃいますが、問いかけた瞬間に、
問いや相談の形をとって、その現象を否定
しているのです。


自分の身に降りかかってくることについて問い
かける必要はありません。 それはそれでよし、
と思い、「夕行・たんたん ナ行・にこにこ ハ行
・ひょうひょう マ行・もくもく」で生きていくと
ラクです。


例えば、不登校の子どもがいたときに、「これは
誰のせいか」と追及し始めてしまうとキリがなく
なります。


夫が怒鳴っているから、夫婦関係が悪いから、
甘やかして育てたから・・・・・・。 原因を求めて
も問題は解決しません。


誰も責めず、現象を否定せず、「風に吹かれて、
川に流されて」生きていけば、 それでいいのです。
「淡々と生きる」ということです。


好きだから、嫌いだから、という生き方の他に、
三つめの生き方として「やるハメになったらやる」
というのがあります。


それが「風に吹かれて、川に流されて」という
意味です。


『神さまに好かれる話』知的生き方文庫


人は肯定的になったときだけ、元気が出る。
夢を見ることができ、冒険的になれる。


しかし、否定的になったとき、力がなくなる。
他人のことを許容できなり、守りに入る。


肯定には、「笑い」や「許し」がある。 そして、
面白がったり、楽しんだり、喜んだり。


否定には、「不機嫌」や「不寛容」、「怒り」がある。
そして、物事にとらわれ、執着し、責める。


否定の対極にあるのが、「行雲流水」という言葉。


空を流れる雲や、川を流れる水は、一箇所に
とどまることはないし、常に表情を変え、変化
している。


流れる雲や水のように、物事に執着せず、
自然のなりゆきに任せて行動すること。


また、雲水(うんすい)とは、この行雲流水の略
だが、諸国を修行してまわる禅僧のことをいう。


ひとつところにとどまらず、行脚(あんぎゃ)する
さまを言う。


行脚は、根無し草のようにただフラフラと歩き
まわることではなく、何事にも、飄々(ひょうひょう)
として、こだわらず、淡々と生きることだ。


author:小林正観さんの心に響く言葉…








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