貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問




















むかしむかし、夏になっても寒い日が続いて、
作物が育たなくなりました。  このままでは、
年貢を納めることが出来ません。  


困った村人たちは相談をして、役所へ年貢を
少なくしてもらえるように願い出ることにしました。  


その役目に選ばれたのが、伝助ととん兵という
名前の二人です。


「恐れながら、村の代表で参りました」  


役所へやって来た二人はふところから書き付け
を取り出すと、役人に差し出しました。  


役人がそれを見てみると、 《一、二、三、四、五、
六、七、八、九、十》 と、一から十までの数字しか
書いていません。


「これは、何だ?」  役人は首をかしげると、
伝助が言いました。


「恐れながら、おらが訳を話します。  


一は、いちいち語るも。  
二は、にがにがしい。  
三は、さんざんな。  
四と五は、仕事をして。  
六は、ろくなことがない。
七と八は、質にばち置いても。  
九は、食っていけません。  
十は、十分に作物が実らん。  


つまり、いちいち語るも、苦々しい。さんざん、
仕事をしても、ろくなことがない。質にばちを
置いても、食っていけません。それは、十分
に作物が実らないからです。 と、言う、年貢
をまけてもらうための願いです」  


それを聞いた役人は、この面白い書き付け
に感心しました。


(ほう、普通の内容では年貢をまけてもらえ
ないので、皆で頭をしぼったな)


「うむ。お前たちの願いはわかった。ちょっと
待っていろ」  役人は二人の目の前で、さら
さらさらと書き付けると二人に渡しました。


「これを持っていけ」  受け取った二人が、
その書き付けを見てみると、 《十、九、八、
七、六、五、四、三、二、一》 と、さっきと
は反対に、十から一までの数字を書いて
あるだけです。  


今度は二人が首をかしげて、役人に尋ね
ました。 「お役人様。これは、なんでしょうか?」  


すると役人は、にやりと笑って言いました。
「いいか、よく聞け。  


十は、十分に作物を収穫しておきながら。  
九は、苦情を言う。  
八は、いやな奴ら。  
七は、質に置くようなものは。  
六は、ろくでもない。  
五は、言語道断にて。  
四は、捕まえて縛ってやりたいが。  
三は、三千世界(さんぜんせかい→
この世との意味)の百姓は。  
二は、にくいけれども。  
一は、一度だけ許す。  


つまり、十分に収穫しておきながら、苦情を
言ういやな奴らめ。
質に置くようなものはないのに、言語道断。
捕まえて縛ってやりたいが、三千世界の
百姓は、憎いけれども、一度だけ許す」  


役人の説明を聞いて、伝助ととん兵は深々
と頭を下げました。


「ありがとうございます」  こうして村の年貢は、
今回一度だけまけてもらえるようになった
と言うことです。。…













生きがいとは、生きる意義・喜びを 見出す
心の張り合いで、次の2つがあります。


1つは、「他者との交流」
自分の子供・友人・知人との触れ合うことは
大きな生きがい。


2つは、「朝、目を覚ましたとき、自分の仕事が
待っていること」


自分の仕事があることは最高の生きがい。
「これは天職!」と信じてするのが本当の自分
の仕事です。


真の事業主は自分の仕事をするために独立
するのですから、仕事は天職であり生きがい
です。


野生の動物は巣立った後は、自分でねぐら
を作り、自分でえさを探し、時には自分の命
を狙う敵と戦いながら生き続け、動けなくなっ
たらその時点で静かに死を迎えます。


私たち人間も死ぬまで働くのが正しい生き方
であり、それが幸せな人生なのです。


江戸時代まで、日本人の90%は農林漁業・
商工業などの自営の仕事に家族ぐるみで
従事し、最期は家族に看取られながら亡く
なりました。


そういう一生が本当は最も人間的で幸せな
生き方なのです。


現在、サラリーマンの多くは、定年後はのんびり
余生を送るのが理想的と考えているようですが、
その生き方は余生の長い現在では通用しない
のではないでしょうか。


それに気付いた人は、いつかは昔の日本人の
ように自営の仕事に従事し、最期まで働き続け
る終身現役の人生を送ろうと、サラリーマンの
時から着々と準備をしています。


幸いにこれからはパソコン・スマホの発達で、
自分の専門力(存在価値)があれば、そのこと
をホームページやブログで広く世の中に伝達
できるようになりました。


そうすることで、自分の専門力を活用してくれる
マーケットを形成することができますから、定年
後も生きがいを抱きながら働ける時代がやって
きたのです。


《朝起きた時、自分の仕事が待っている。
これが真の生きがい》


※…
人生100年時代を生き抜くための大事な言葉
が2つある。


それが「キョウイク」と「キョウヨウ」。
もちろん、「教育」と「教養」も含まれるが、
他に大切な意味がある。


それが… 「今日行くところがある」、
「今日用事がある」こと。


「行くところがある」というのは、居場所がある、
認めてくれる場所がある、ということ。


「今日用事がある」とは、自分を必要として
くれる仕事がある、頼まれごと(用事)がある
ということだ。


つまり、いろんなところから声がかかり、
必要とされていることが実感できること。


これらは、特に人生の後半生に必要な考え方だ。
立命館アジア太平洋大学学長の出口治朗氏は、
これからの時代を生き抜くのに必要なものは、
「旅・人・本」だという。


これは、「キョウイク」と「キョウヨウ」と同じだ。


「旅」とは、今日行くところがあること。
「人」とは、他者との交流。
「本」とは、教育と教養。


人生の後半生に必要なのは「キョウイク」と
「キョウヨウ」。 「旅・人・本」という言葉を
胸に刻みたい。 …


author:田中真澄氏の心に響く言葉…








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