貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・THEライフ


















日本の高度経済成長に合わせて全国に建設
された団地が、住民の高齢化や建物の老朽化
など様々な難題に直面している。


JR赤羽駅から徒歩20分、東京都北区の都営
桐ヶ丘団地に入ると、時が止まったように感じる。


4、5階建ての古い団地が並び、閉鎖された保育
園の近くをお年寄りがゆっくりと歩く。


1954年から76年にかけて146棟5020戸が
建設され、一部で建て替えも進む。現在、団地
一帯の高齢化率(65歳以上の割合)は50%を
超える。  


東京オリンピックがあった1964年に入居した
女性(81)は、4階建ての2階に1人で暮らす。


足が悪く、右目は見えない。自分の部屋から、
ごみの集積所まで5分かかる。階段の手すり
にしがみつき、一段一段下りるのは一苦労だ。


家族で入居した時は20歳代後半で、周囲も
子育て世代ばかり。「昔は階段を駆け上がっ
たものだけど――」  


あれから半世紀。子どもたちは自立し、夫は
20年前に他界した。


今は、週2回のデイサービスでの食事が楽しみだ。
隣県に暮らす50歳代の長男は、週1回は食事に
連れ出してくれるし、ヘルパーも買い物を手伝っ
てくれる。


それでも女性は、「だんだん寂しくなるだけね」
と漏らす。


一緒に各地の温泉を旅した近所の女友達が、
昨年亡くなった。


週に2度ほど、誰ともしゃべらず、クロスワード
パズルを解くだけの日がある。体調が悪ければ
それも難しく、ソファに横になって過ごす。  


特に夜が不安だ。


午後10時まではテレビ、布団にもぐりこんだ後は
ラジオをつけっぱなしにしている。「孤立死したく
ないから」と、枕元には警備会社につながる緊急
通報ボタンが置いてあった。


※…  
国土交通省によると、全国の公営住宅は約216
万戸。障害者や生活保護受給者も利用し、60歳
以上の入居者が約6割にのぼる。  


桐ヶ丘団地一帯の高齢者の相談を担う地域包括
支援センターの海老原澄子さんは「ここは、都心
の高齢化を10年先取りしている」と話す。


独り暮らしの不安を訴えるお年寄りが連日、
センターを訪れるが、支援を求めず、孤立する
高齢者もいる。


そうした異変を察知するには、近隣住民の「おせっ
かい」が頼りだが、それも難しい現状がある。  


同団地で自治会役員を45年務める岩渕宮雄さん
(89)は、「自分も見守られたい側だよ」と苦笑い
する。


宮城県出身の岩渕さんにとって団地は「第二の
故郷」だ。


「こどもの日」の餅つき大会、8月の盆踊り大会、
月2回のカラオケ大会。精力的に住民活動をし
てきた。  


だが今では自治会メンバーも70~80歳代が
中心。開催できるイベントの数も減った。5月には、
70歳代の男性が、死後1週間ほどたって発見
されたばかり。近所づきあいのない人だった。  


同団地では老朽化による建て替えが進むが、
高齢者にとってはリスクにもなる。


昨年5月、徒歩10分ほどにある新しい団地に
移った認知症の女性(78)は、自分の部屋が
分からなくなり、他人の部屋を開けようとして
トラブルになった。転居後、近所づきあいもでき
なくなったという。  


同区と連携し、認知症の相談などを受け持つ
河村雅明医師は、「団地はもともと地縁や血縁
の少ない人が集まった場所。


認知症の人だけでなく、誰もが暮らし続けていく
には、高齢化で弱くなった地域のきずなを作り
直すことが必要になる」と話す。


かつては憧れの的  


一般的に複数の集合住宅が集まる「団地」は、
戦後の高度経済成長で大都市圏に集中した
人たちの住まいを確保するため、1955年設立
の日本住宅公団(現・都市再生機構)や、都道
府県住宅供給公社などが大量に建設した。


賃貸、分譲と様々な団地が登場した。  


ダイニングキッチン付きの間取りが戦後の洋風化
した生活スタイルを象徴し、団地暮らしは憧れの的。


そうした暮らしをする人を指す「団地族」という
言葉も生まれた。  


だが若いサラリーマンなど同世代が一挙に入居
したため、誕生から半世紀以上が経過した今、


高齢化や建物の老朽化などの課題が生じ、
街づくりの点からも再考を迫られている。  


特に公営団地の場合、民間のアパートに入居
しづらい単身の高齢者や障害者、生活保護受
給者が多く入居しているため、生活支援などの
課題が目立っている。…













ラジオネームが読まれるとガッツポーズ!
社会と繋がっているみたいで元気が出る


ラジオがなくても、スマホなどさまざまなデバイスで
聴けるようになり、ラジオの人気が高まっています。


1週間に1回ラジオを聴いている割合は、
若い世代は3割強ですが、60~69歳の男性では
男性65.9%、女性56.4%もあるとか。


年齢を重ね、ものを読むには目が疲れる…でも
情報も取りたい、そんなニーズもあるのかも
しれません。


初投稿のラジオネームは「草原のタンポポ」


初めてラジオ投稿をして以来、自身のラジオネー
ムが読まれると思わずガッツポーズが出てしまう。


これまで味わったことがない達成感だ。食事をし
ながら、家事をこなしながら、自分の投稿が読ま
れないかと耳は常にダンボ。


きっかけは些細なことだった。 ラジオ番組のパー
ソナリティが、「運動会といえば皆さん何を思い出
しますか。明日までに教えてくださいねー」と言った。


ビビッときた。タブレットで調べると思いのほか簡単
に投稿ができる。孫の成長を知らせるため息子が
4年前に買ってくれたものだ。


それを使って早速書き込みをした。


何度も手直しをして緊張しながら送信ボタンを
押す。記念すべき初投稿に「草原のタンポポ」
というラジオネームをつけた。


6年生が紅白に分かれて綱引きをしていました。
一進一退の末、白組がやや形勢不利になった
その時、突然ランニングシャツ姿のお爺ちゃん
が現れ白組に加勢をし始めたのです。


児童と一緒に必死に綱を引っ張るお爺ちゃん。


慌てて放送席から飛んでいく教頭先生。思わぬ
事態に会場は大盛り上がりとなりました。


結局白組は負けたのですが、大きな拍手に包ま
れました。退場を促されたお爺ちゃんには「お爺
ちゃんコール」まで起こり会場は歓喜の渦に。
小さな町ならではの、いい運動会でした]


翌日この話はラジオで紹介され、大爆笑を誘った。
胸のトキメキがおさまらず、すっかり味をしめた私
は、「よし! 毎日投稿するぞ」と拳を上げた。


古い小型ラジオがキッチンで輝き始めた。


そして息子が買ってくれたタブレットは投稿手段
として必須アイテムとなった。


しかし都合のいいネタはそう転がっていない。
まずは聴きたい歌をリクエストしよう。


そう思って聴き始めたのが、平日の朝8時から始
まる音楽情報番組だ。


日課のウォーキングを番組開始までに済ませる
ため、何十年ぶりかに早寝早起き。そして、ドキ
ドキしながらタブレットに向かう。


採用ならば嬉しいが、不採用だと気分が悪い。
コロナ禍の生活に思わぬハリとトキメキが生まれた。


一人暮らしの私を心配していた子どもたちも喜ん
でくれている。


「みんなで盛り上がる曲」を募っている時は、「マツ
ケンサンバ」をリクエスト。ラジオネームは「腰元
ダンサーズ」にして見事採用された。


毎回違うラジオネームを考えるのに、頭はフル
回転だ。懐かしい曲に癒やされながら、時には
身振り手振りで歌い出し、他人のエピソードに
涙を流す。


社会と繋がっているみたいで元気が出る


「今日はラジオネーム『水色花束さん』のエピソー
ドをご紹介します」。水色花束とは私のことだ。


採用されたと気づく瞬間だ。茶碗洗いの手を止
めて耳をそばだてる。息まで止める自分がおかしい。


[子どもの頃、近所に住む3歳年上のケイ君とその
お母様にずいぶん可愛がってもらいました。


ケイ君は学校を卒業すると美容師を目指し横浜へ。
もともと真面目で聡明なケイ君はその後の努力が
実を結び、やがて雑誌に掲載されるほど立派に
なりました。


お母様と私は大喜び。 そんなケイ君が久しぶり
に帰省をした時のこと。


私を見つけると『元気だった?』と声をかけて
くれました。キラキラした眼差しと都会で流行り
のロングコート。長身のケイ君は洗練されて眩
しく輝いていました。


それに比べ化粧っ気もなく、地元で地味に暮ら
す私は言葉もありませんでした。


しばらくしてケイ君は結婚。お母様が『港が一望
できるとっても素敵な教会だったのよ』を繰り返し
話しました。


その度に遠ざかっていくケイ君の顔が浮かび
ました。あれから何十年も経ったのに、今でも
この曲を聴くとあの日の光景が蘇ります]


イントロが流れ、絶妙なタイミングでリクエスト曲
がかかる。甘酸っぱいトキメキでいっぱいだ。


フルコーラスに全身で聴き入ってしまう。


曲の終わりの雰囲気に合わせたパーソナリティ
の話し方も絶妙だ。自分で文章を書きリクエスト
しておきながらジーンとした。


ご褒美の景品として生ラーメンのセットをいた
だいたのは、「あなたの一発大逆転を教えて」
だった。


[40代の頃なぜか選ぶ洋服が黒ばかりでした。
周囲からは、まるでカラスねと陰口を叩かれて
いたようなのです。


ある日、叔母が忘れていった黒のキャップを被っ
て学校行事に参加。


キャップを取るとママ友が、『これってヨウジヤマモ
トよね』と驚いていました。


翌日から私の黒コーデは『ヨウジヤマモトらしい』
と噂に。本当は違うんですが面倒なので、フフッ
と笑って何も言いませんでした。


「一発大逆転やっちゃいました]


この話はうけた。パーソナリティだけではなくリス
ナーからも、「あるある話」として共感の声が届いた。


ナイショにしていた昔話をラジオが拾い上げて
くれた。社会と繋がっているみたいで元気が出る。


これからもチャレンジ精神とトキメキをラジオの中
で磨いていきたい。


リスナーと投稿の二刀流で、今日も明日も頑張
らねば!…








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