貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

















第二章:呉の興隆 忠節の臣


その後、奮揚はひそかに随を脱出し、混乱を極め
る郢に潜入を果たした。


郢は燃えていた。燃えかすの間を歩くのは呉の
兵ばかりで、楚の国人に行き当たることはなかった。


彼らは四散したのであろうか。それともすべて死
に尽くしたのか。


財物は漁られ、美女たちは犯され、男たちは殺さ
れ、子供は奴隷とされ……尽きぬ悪意を想像する
と、奮揚の心は砕け散りそうなほど痛んだ。  


いったい、人の心の奥底にどれほどの悪意が眠っ
ているというのだ。 実際にその現場に居合わせた
わけではないが、注意深く観察すると、燃える建物
の影には遺体が転がり、風に舞う千切れた女の衣
服があったことは確かである。  


ここはほんの数日前、いや、ほんの数刻前までは、
まさに地獄であったのだ。  


廃墟の中を闊歩する呉兵たちの目に入らぬよう身
を隠しながら、奮揚は郢の城内を彷徨さまよった。


その目的は、生き残りの楚人と接触し、なんらかの
情報を得るためである。しかし、それは非常に難儀
なことであった。


なぜなら、彼らも呉兵たちの目に触れぬよう、隠れ
ていたからである。  


しかし、ひとり残さず殺し尽くすなど……いくら呉軍
が強勢とはいえ、できるはずもない。 生き残りの者
は、どこかにいるはずである。


なぜなら、どんな凄惨な戦いでも、必ず生き残った
者が存在し、その存在によって、その戦いの凄惨
さが伝えられてきたからだ。伝わらない戦いという
ものは、奮揚の知る限り存在しない。  


おそらく彼らは城壁を越え、山中に身を潜めてい
るのだろうと考えた奮揚は、城内をくまなく観察した
あと、城壁を越えて北側の山林を目指した。そこで
楚軍の生き残り部隊と合流することになる。  


彼らは皆、疲れた様子を見せていた。長らく続いた
潜伏の日々が、彼らを憔悴させ、飢えさせていた。
だが、奮揚には彼らを救う手段がない。


「早くこの状況を打開することだけが、君たちを救う
唯一の方法だ。指揮官はどこだ。申包胥は、何処
にいる?」  


兵たちはそれぞれ泥に汚れた顔を見合わせ、示し
合わせたように目配せをした。やがて彼らを代表
する人物のひとりが口を開いた。


「申将軍は、ひとりで秦国にお向かいになられました」


これを聞き、奮揚は内心で驚愕した。 秦国へ向かっ
ただと……何を考えているのだ、包胥どのは。


「何を目的に彼は秦へ……?」  その代表の男は
話した。「太后さまが秦の公家のご出身であられる
ことを頼りに、その協力をとりつけるおつもりなのです。


なんでも現在の秦公と太后さまは異母兄妹の間柄
にあるとか……。その秦公の情を動かし、世界は人
の情で動くことを証明したいのだ、と申しておりました」


なるほど、包胥どのならば言いそうな言葉だ。世界
は人の情で動く、とは……。


「しかし、それが成功するまでには、かなりの時間
がかかる。こちらはこちらで動かねばなるまい。


この中に、呉軍の内情を知っている者はいないか。
どんな些細なことでもいいのだ」  奮揚は聞いて
回り、全員の反応を待った。


その中のひとりが言う。 「呉王闔閭には弟がいるが、
今回弟は軍の指揮権を与えられず、一兵卒として
この戦いに参加している、とのことです。


かつて呉に旅し、その内部をくまなく観察してきた
という私の友人が、伝えてくれました。残念ながら、
その友人はすでに死にましたが……」


「それだ。その呉王の弟にどうにかして接触しよう。


彼を焚き付けて呉に帰らせ、王の不在を理由に
政権を掌握させるのだ」 「呉で政権を転覆させる
のですか」


「そうだ。多分失敗するだろうが、呉王闔閭が楚地
から撤退する理由とはなるだろう。


その弟なる人物には、失敗したときには楚へ亡命
してくれれば厚遇すると約束すればいいだろう。


その弟の名は?」 「夫概というそうです」  奮揚は、
再び郢の城内に侵入した。鎧兜を身に付け、呉の
兵士となりきったのである。


※…
秦国は四方を山々に囲まれた盆地の中にある国で、
西の彼方にある。江南の楚からは遠く、若干ながら
言語も異なる。


このため包胥の秦国訪問は、いろいろな意味で苦難
の道であった。  


それでもようやく宮殿の前まで辿り着いた包胥であ
ったが、このとき彼は秦公によって、中へ入れても
らえなかった。


「追い返すがよい。楚と呉の争いに、我が国が何の
関わりがあろう。それにそもそも楚は無道の国だ。
かつて楚の平王は、我が姉君を太子の妻とすると
しながら連れ去ったが、あろうことか自分の妻とした
のだぞ。いくら姉君が美しいからといって……」  


秦公はそう言いながら、側近に包胥を連れ去るよう、
手振りで示した。  


だが包胥は宮廷の衛士たちの制止も聞かず、庭先
まで歩を進め、そこに座り込んだ。そして延々と自国
の窮状と、秦の救いの手を求める依頼を繰り返すの
である。


「やむを得ぬ。ただし放っておけ」  秦公は、包胥
を相手にしないことにした。


一日目。包胥は膝を地に付け、ひたすらに救いの
手を求める。 「我が楚と貴国とは、姻戚関係を結ん
だ義兄弟の間柄。かつて貴国の公女であった喜さ
まは、今や迫り来る呉軍の襲撃に怯え、宮殿を離れ
て国内を彷徨っているありさまでございます。


どうか、あのお方の危急をお救いください。それが
肉親の情けというものではないですか」  


夜になった。包胥はその訴えを、まだやめない。
「あなた方があのお方の窮状を知りながら、見て
見ぬ振りをなさるおつもりならば、天下はその無道
を見逃しはしません。どうかあなた方のためにも、
楚を救い、あのお方をお救いください」  


秦公は捨てぜりふをはいた。


「姉君のことばかり言いおって……。どうせ助けて
ほしいのは自分であろう」  


庭先の松明がすべて消された。包胥は、闇の中に
ひとり取り残された。  


二日目。朝日が昇ると同時に、包胥の訴えは始ま
った。 「しつこい男め」  秦公は取りあおうとしなか
った。だが、包胥の一方的な主張は続く。


「楚は確かに荘王の時代に覇権を握り、周王を
相手に『鼎かなえの軽重を問う』など、臣下である
にもかかわらず主君を軽んじる態度を示したこと
のある無道の国です。


しかしだからといって国民のすべてが無道であると
は言えません。どうか秦公には、楚という国を救う
のではなく、その地に住む無数の人々の命をお救
いになられますよう、お願い申し上げます」  


包胥の願いは、しかし秦公には届かない。


「姉君のことが通じないと知ったら、今度は民衆を
救えと言ってきたか。建前ばかりの奴だ。自分の
ことはどうでもよいとでも言うのか」  


夜になった。再び松明の火は早々に消され、包胥
は闇夜にひとりとなった。  













※…、
「死」について病院のベッドの上で考えていた。


他人事ではなくなってしまった、「死」を。 そう書くと、
すごくネガティブにとらえられてしまいそうだけど、
どうせ間違いなく人間は死ぬのだから、今まで目
をそらしていたその事実を、真正面から考える勇
気が湧いたというのは、私からしたらものすごく
ポジティブだ。


いつ死ぬかは、自死でもしない限り自分では選べ
ないが、自死するつもりは今のところない。


ただ、「死に方」には、ある程度、選択肢がある
ように思える。


なるべく周りに迷惑をかけず、自分もできるだけ
納得できる形での「死に方」をするための努力も、
できるのではないか、と。


死に方がわからない 私が病院のベッドの上で、
そんなふうに考えていたのは、少し前にwebで
連載していたライターの門賀美央子さんの「死に
方がわからない」を読んでいたからだ。


門賀さんは私と同い年、独身、子ども無し、
きょうだい無し、彼女自身は関東で、親は
大阪に住んでいる。


順当に行けば、親より長く生きる。そうして彼女
自身が亡くなったら、どうするのか。 自分が死ん
だら後のことなんて、どうでもいい!という人もい
るだろう。


私は、そうじゃないし、門賀さんだとてそうだ。
「死に方がわからない」と感じた門賀さんが、
きれいさっぱり死んでいくために、


さまざまな制度やサポート団体などを調べ取材し、
「死に方」を模索するエッセイで、同い年だから
こそ興味深く読んでいた。


今回、入院して改めて「いきなり死んだら、後始末
が大変だ」というのを身に沁みて、門賀さんの連載
を思い出していた。


それがやっと、9月15日に本になり、読み返してみた。


最初にwebでこの連載を読んでいた頃は、私は
自分が病気だという自覚もなく、とはいえ「そろ
そろそんなことを考える年齢だな」というくらいの
感覚だった。


救急車で運ばれ死にかけた今となっては、参考
書だと思っている。


トイレする時と死ぬ時は人間一人 ときどき「孤独
死したくないから、結婚したい」という人がいるけど、
不思議に思う。


だって結婚してても、同時には死なない。どっち
かが取り残される。 子どもがいたって、自立して
家を離れてる可能性が高いし、自立してもらわ
ないと困る。


私は子どものいない既婚者だが、もしも子どもが
いても、なるべく子どもの世話にはならずに死に
たい。


親の介護や亡くなったあとのややこしいアレコレ
で苦しんでいる人、たくさん見てるから。 夫は
私より6歳上だ。


順当に行ったら、私のほうが取り残される。ただ、
今回、入院して自分の心臓が丈夫ではないこと
がわかってしまったので、また悪化して私が先に
死ぬかもしれない。


どっちみち、お互い、ひとりになり、「孤独死」する
可能性が強い。


ふたりとも人づきあい苦手で友人も少ないから、
なおさらだ。


そんな話をすると、夫はいつも「俺が死んだら、
道端に捨ててくれたらええで。迷惑かけたくない
し」などと言うけれど、


現実問題、そんなことをしたら私が死体遺棄で
逮捕されてしまう。大迷惑だ。


すべての人間は、必ず死ぬし、孤独死する可能
性が高い。


そこはどうしようもできないにしろ、生きている間に
「死ぬ準備」をある程度はできる。


しないといけない、するんだよ! あなたより若い
かもしれないけれどいつか死ぬ 「死に方がわか
らない」を、読むと、行政によりさまざまなサービス
をしているところもあるし、


サポート団体だってある。 そりゃあ、そうだろう。
少子化、結婚しない人たちが増え、離婚も増えて、
「おひとりさま」がこれだけ溢れているのだもの。


私の実家のように、大家族で、家の近くにお墓が
あって、誰かが墓守をできる「家」は、これからど
んどん少なくなる。


そういううちだとて、子どもが全員、家を出ているの
で、将来的にはどうなるかわからない。


私自身は財産もたいしてないので、そちら方面の
心配はしてないのだが、遺産の事できょうだいが
揉めて絶縁する話などは、よく耳にする。


家族を揉め事に巻き込まないためにも、お金の
ことも生前にきちんとするべきだろう。


50代で、「死に方」の話をすると、年上の人から
「まだ若いんだから」と言われることがある。


いや、あなたより若いかもしれないけれど、「死」
はまだまだ先の話ではない。


私が倒れる少し前、知人が「最近、50代で突然死
する知り合いが何人がいた」と言っていた。別の
知人も、同じようなことを口にしていた。


その「死」は、事故であったり、自死であったり、
病死であったり、さまざまだ。


でも、確かに、自分が倒れて改めてニュースや、
周りの人たちの話を聞いても、「50代の死」は、
珍しいことではない。


今年に入ってからも、身近な人が若くで亡くなった
報をいくつか耳にした。


入院する前は、「若いのに、かわいそう」ぐらいの
感覚だったが、自分が倒れた今となっては、その
たびに恐怖を感じる。


今回は助かったけれど、そう遠くない未来に死ぬ
かもしれないと。 もう今は、「人生はまだまだ長い
んだから」なんてふうに、考えることはできなくなった。
だから常に、「死」の準備のつもりで、生きている。


ポジティブに死を考える


死にたくはないし、死なないような努力はしている。
でも、残された人たちになるべく負担がかからない
ように、自分自身も悔いが残らないようにするには、
どうするべきかと、「死に方」について、ずっと頭の
中にある。


「死に方」を模索することは、これから「どう生きるか」
を考えることでもある。 つまりは、とても前向きに自分
の生き方を探っているのだ。


だから私は、入院する前よりも、今のほうが、ずっ
とポジティブになれた気がしている。。…








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