貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歌物語













美空ひばりが歌うような歌は書かない、と言った阿久悠の
言葉は、旧態依然とした歌謡曲の世界への決別宣言の
ように見える。


しかし、別の見方をすればひばりへの憧憬、 いつか自分
の詞でひばりに歌ってもらいたい、そういう思いもあった
のではないか。


いくつかそう思わせる事実がある。


ひばりの歌を阿久悠は書いているのだ。
ひばりが病み上がりで「みだれ髪」をレコーディングした
のが1987年12月。その2ヶ月後にアルバム「不死鳥」を
レコーディングしている。


4月11日、東京ドームでの歴史的コンサートに向け、再起
をかけたアルバムだった。


そのアルバムの中に2曲、阿久悠作詞の曲が入っている。
2曲とも作曲は吉田正。


「花蕾(つぼみ)」「紅をささない くちびるは 愛の言葉に 
ふるえがち 抱いて語れば いいけれど それではからだが 
こわれそう 野暮な男が 目を伏せて 息をするのも 
苦しげに 切ない思いを 通わせる 咲かぬなら 咲くまで
待とう 花蕾」と


もう1曲は「人」である。


「人と夢とが寄りそって なぜに儚いと読ませるの 忘れ
られない ひとかけら 抱いて今夜も眠るのに 儚くなんか
させないで させないで」。


1番の歌詞は「人と夢」で「儚」
2番は「人と憂」で「優」
3番は「人と言葉」で「信」。
うまいな、と思わせる。


不思議なのはビクター専属の吉田正がコロムビアの
美空ひばりのために曲を書いたということだ。


当時はありえないことだったが、そこにひばり再起への
関係者の意気込みを感じる。


阿久悠の代表作になっている八代亜紀が歌う「舟唄」
(作曲:浜圭介)は阿久悠が美空ひばりを意識して書いた
詞であった。


スポーツニッポンに阿久悠が連載していた「実践的作詞講座」
の美空ひばり編の教材として書かれたものである。


歌にダンチョネ節を挿入したこの歌は作曲の浜圭介とともに
レコード大賞を狙った渾身の曲だった。


しかし大賞は取れず、翌年、八代亜紀、阿久悠、浜圭介の
同じトリオで作った「雨の慕情」「心が忘れたあの人も 膝が
重さを覚えてる 長い月日の膝枕」でレコード大賞に輝いた。


高倉健主演の映画「STATION駅」の中で、高倉健と
倍賞千恵子が居酒屋のテレビで紅白歌合戦を見ている
場面で八代の舟唄が流れる。


この歌を入れてくれるよう主張したのは高倉健だった。


大分県の知事を長い間つとめていた平松守彦氏の東京で
のご苦労様パーティだった。たしか三井倶楽部だったと思う。


料理をつまみながら一人佇んでいたら、だれかが近づい
てきていきなり話しかける。


「助六鮨をどうしてご存知なんです?」


何のことやらさっぱり分からない。助六鮨?その人のやや
平べったい顔をまじまじと見て驚いた。阿久悠である。


もちろん、初対面。僕がだれか確認するでもなく旧知の
人に話しかけるような雰囲気で阿久悠は言った。


「静岡の鮨屋ですよ」。


それで思い出した。島倉千代子の大ファンが静岡の鮨屋
にいて、その人の息子が「母が生きているうちに島倉さん
に耳元で東京だョおっ母さんを歌ってもらいたい」と
手紙を寄越した。


僕は「島倉千代子という人生」のエピソードで使えると思い、
静岡まで行きましょうと島倉を誘ったのである。


鮨屋の2階、ラジカセで曲をかけ、島倉千代子は息子の
母親の手を握りながら歌った。それが「助六鮨」
だったのである。


つまり阿久悠は僕のその本を読んだのだ。


読んだということをおくびにも出さず、話しかけてくる。
いま考えればこれ以上の好意はない。


それにしても阿久悠はなぜ助六鮨を知っていたのか。
聞けば阿久悠は静岡の海岸べりに住んでいて、
この鮨屋へ何回か行ったことがあるのだという。


突然、目の前に現れ、ずっと昔からの知り合いのような
雰囲気で語りかけられ、いろいろな話で意気投合した。
ただ、助六鮨以外のことはまったく思い出せない。


別れ際に彼はこう言った。「近く声を掛けますから、
必ず会いましょう。約束しましたよ」。


それからどのぐらい待っていただろうか。
次の知らせは訃報だった。


阿久悠は「美空ひばりが歌うような歌は絶対に書かない」
を頑迷固陋なイデオロギーのような信念を抱き続けてきた。


だからいわゆる演歌とはひと味もふた味も違う歌がたくさん
生まれた。作詞の量と幅の広さでは星野哲郎なみだと思う。


ポップス系のピンクレディや山本リンダの曲などは除いて、
いわゆる演歌系でもいい歌はたくさんある。


独断と偏見で上げるとまず「北の宿から」
「あなた変わりはないですか 日ごと寒さが募ります」


「北の螢」(歌:森進一作曲:三木たかし)
「山が泣く 風が泣く 少し遅れて雪が泣く」


「津軽海峡冬景色」
「上野発の夜行列車降りた時から」


「舟唄」
「お酒はぬるめの燗がいい 肴は炙ったイカでいい」


「ざんげの値打ちもない」
「あれが二月の寒い夜 やっと十四になった頃」。


… いい歌がたくさんある。


「さらば友よ」
「この次の汽車に乗り遠くへ行くと あの人の
肩を抱きあいつはいった」と


「時代おくれ」
「一日二杯の酒を飲み さかなは特にこだわらず」


時代おくれはおそらく阿久悠がこう生きたいと考えての
歌だろう。


阿久悠の記念館が明治大学の駿河台にあるらしい。
いつか行こう。


それにしても阿久悠、満70歳で亡くなったのは早過ぎる。


必ず会おうと言ったのは、何かを言おうとしたのだろうか。











音楽は身心の健康に良いものです。
聴くのも良し、歌うも良し、演奏するのも良し。
その健康効果は、科学的にも検証されています。


音楽を聴くだけで良いです


好きな音楽を聴くだけでも良いのです。
音楽を聴いて心が動くと、自分では意識されなくても
脳や体にはさまざまな生理学的な変化が起きます。


聴くことはたいていその人の好きな曲ですから、
リラックスしたり、ストレスの軽減させたりします。 認


知症の高齢者に音楽療法を施したところ、免疫力の
指標になるNK細胞が増えたという医学的な検証結果
もあります。


クラッシック(特にモーツアルト)の曲が、精神と身体
の両面の健康を維持させる音楽療法に適している
と説いている医学者が多数います。


論理的な思考をつかさどるのは左脳です。


そのため、普段の日常生活や仕事においては左脳
の仕事量が多く、疲れやすいそうです。


左脳を酷使し続けると血流が悪化して神経が衰弱し、
うつ病になったり、悪化したりするリスクが高まります。


厚労省所管の独立行政法人が複数のうつ病患者
に対して行った調査によると、うつ病が不調な時期は
左脳の血流が低下している傾向が強いという結果
が示されています。


歌詞が付いていれば、聴くとその歌詞の意味を
無意識に理解しようとするため左脳が働きます。


しかし、歌詞のないクラシック音楽を聴くと右脳が
刺激される一方、左脳は休まるのです。


もちろん、歌詞のある歌が左脳を使うためストレス
解消にならないかというと、決してそうではありません。


好きな歌であれば、演歌もポップスも気分転換になるし、
身心を休めるのに役立ちます。


楽器ができる人は、楽器演奏も良いストレス解消に
なるでしょう。


ただし、仕事で演奏するや反復練習のときは、
過度に緊張したり、うまくいかなければストレスになって
しまうこともあるでしょう。


趣味で楽しく演奏すると良いですね。


歌うことも良いです


カラオケで歌うとストレスが発散される経験があるかも
しれません。 これも様々な実験や研究で科学的根拠
は証明されています。


ある実験では、60歳以上の数十名に、カラオケで好きな
曲を3曲歌ってもらった前後で唾液の量、唾液に含まれる
「コルチゾール」(ストレスホルモンとも呼ばれる)の量、
気分の変化を調べました。


その結果、唾液の量は増え、コルチゾールが減っり、
気分が明るくなり、「緊張」や「抑うつ」といったネガティブ
な感情も改善したそうです。


唾液の量は健康度のバロメーターとも言われます。


膵液は、ストレス、筋力の低下、服薬、加齢などによって
分泌量が減りますが、心身ともに健康な人は年を取っても
減らないそうです。


口の周りの筋肉を鍛えると唾液の分泌も増えてきます。
歌うことで、口の周りの筋肉は自然に鍛えられるのです。


アルコールなどと違って、体へのダメージもなく、
ストレスを解消し、唾液を増やしてアンチエイジングも
期待できます。


上手い下手を気にせずに、楽しく、一人でも仲間と
いっしょにでも、気軽に歌える習慣がつけば良いですね。


author: 中井俊已






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