貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・THEライフ


















 一卵性双生児二組の四つ子のお母さんである石原舞さん
(27)。19歳で妊娠がわかり、20歳で出産。現在は小学生
になった4人の子どもの育児に奮闘中だという。


四つ子ママ・石原さんインタビュー


石原 妊娠がわかったのは5週目の時でした。
検査薬で陽性反応が出たので、産婦人科に行って、
そこで妊娠が確定しました。  


妊娠7週目に病院に行った際に、「心臓が2つあるから
双子だね」と言われ、双子の妊婦になりました。


周りに双子の方はいらっしゃったんですか。


石原 私の親戚に双子がいました! 
「もしかしたら……」という気持ちがあったので、そこまで
驚くことはなかったですね。


ご家族に伝えた時はどんな反応でしたか。


石原 私たちは授かり婚で、当時はお互い社会人になって
間もない頃だったので、私の家族は心配に思って
いたようです。


「今回はやめといたら?」というつもりだったみたいですが、
私が双子を妊娠していることを話したら、


「それなら頑張りなさい」って。  


夫と話し合った結果、産むことを決断しました。
夫は昔から双子の女の子が欲しいって思っていたみたいで、
「まさかそれが現実になるなんて」と驚いていました。


「双子じゃなくて三つ子でした!」


それからは双子だと思って過ごしていたわけですよね。
石原 そうです。


でも、妊娠5ヶ月の時に胃腸が痛くて、会社を休んで診察
を受けに行ったんです。


結局胃腸炎だったのですが、 妊婦であることを知った
先生が念の為エコーで赤ちゃんの様子を見ておきましょうと。





産婦人科には毎月検診に行っていたので、「まじっすか!」
と驚いてしまったんですが、内科と産婦人科のエコーの種類
が違ったので、見え方も違っていたんだと思います。


病院から出ると会社から電話が来ていたので、
「双子じゃなくて三つ子でした!」と伝えました。


驚きすぎてみなさん笑っていましたね。
双子だったのにまさかの三つ子だったとは。


産婦人科の先生も気づいていなかったんですね。


石原 そうです。後日、かかりつけの産婦人科の先生に
そのことを話したら、最初は「うそだ~」と言っていたん
ですが、よく検査したら3人いることがわかって、三つ子の
妊婦になりました。


6ヶ月を過ぎてから急にお腹が出て、臨月と思われることも


周りの反応はいかがでしたか。
石原 夫は驚きすぎて笑っていました。


三つ子なんて想像もつかなかったので、よくわからないけど、
こうなったら2人も3人も変わらないよねって。  
私の両親は、驚いて声も出ていませんでした(笑)。


でも産むと決めたので、「頑張りなさい」って応援
してくれました。


出産前までは仕事の関係で長野に住んでいたんですが、
その時に通っていた産婦人科は多胎児出産は対応して
いなかったため、実家のある東京に引っ越して、多胎児や
ハイリスクな出産を専門とする産婦人科に通い始めました。


それが妊娠6ヶ月くらいの時です。


お腹の大きさはいかがでしたか。
石原 そこまで出ていなかったです。


もともとお腹にお肉が付いていた方だったので、人より
特別大きく見えるわけでもなく。でも6ヶ月を過ぎてから、
急にお腹が出てしまって。縦に出ていたので、横から
見るとすごいんですよね。  


病院やバスで二度見されることもありました。
「もうそろそろ生まれるの?」って聞かれて「まだ6ヶ月です」
というとびっくりされました。


妊娠32週ごろ 胎動はいろんな方向にグイグイ動いていた  


多胎児妊婦は、子宮頸管縫縮手術は妊娠中に行われる
手術で、子宮頸管を糸で縫い縮めるもの。
子宮頸部がゆるむのを抑え、早産のリスクを減らすことを
目的としている・


三つ子だとわかった時には、その手術を受けられる期間
を過ぎていたので、とにかく安静にしていました。


体重も出産時はプラス12キロだったので、特別重いわけ
でもなくて。  ただ、胎動は激しかったです。いろんな
方向にグイグイ動いていました。


今考えれば4人もお腹にいたので当たり前なのですが(笑)。


あとはお腹が大きくて、下が見えなかったのはすごく
困りましたね。足元が全く見えないので、靴が履け
なかったり、少しの段差でつまずくこともありました。


ちょっと転んだ衝撃でもお腹には3人もいるので、
心配で心配で。その度に病院に駆け込んでいましたね。


絶対安静で入院生活を送ることになったんですね。


石原 トイレに行くのに部屋を歩いているだけで怒られました。
寝ているときは仰向けでなくてはいけないんですが、
それがかなりきつくて。


でも数週間安静にしていたことで子宮頸管の長さも伸び、
34週で計画出産をすることになりました。


出産は帝王切開だったんですよね。


石原 そうです。三つ子だと自然出産はできないみたいで、
帝王切開をしました。


全身麻酔だったのでしょうか。
石原 いえ、部分麻酔だったので意識がある中での
出産でした。


さすがに三つ子の出産なので、周りには15人くらい先生や
看護師さんがいて、心臓ばくばくでした。


無事に1人2人3人と先生が取り出してくれて、みんな健康体
で生まれてきたので、ホッとしていました。


でも、胎盤の処置をしていた時に先生が、
「石原さんごめんなさい! もう1人いる……」って。


当初は何も考えられなかった  


その時は、頭の上に付いてくれた麻酔科の先生と話し込ん
でいたので、状況が把握できなくて。「4人目です!」
と言われてやっと理解しました。


ただでさえいろんなお医者さんと看護師さんで賑わってた
手術室が、サプライズベビーのおかげで倍の人数に。


足りないものもあるわけで、看護師さんは叫びながら
走っていました。  


夫と私の両親は外で待っていたんですが、手術室の声が
ダダ漏れだったみたいで、夫は看護師の「もう1人いたって!」
って声で「もしかして?」と思ったみたいです。


無事に4人目も先生が取り出して、手術は終わりました。





手術室から出た時に両親から「ねえもう1人いたんだって? 
どうするよ」って言われて。


当初は双子の予定だったのにその倍の四つ子なので、
何も考えられなかったですね。  


でも4人とも元気でどこも異常がなく、保育器には入ったけど
自分で呼吸できていたので、それが何より嬉しかったです。


本当に奇跡だなと思いました。 …










松に古今の色無し 竹に上下の節有り


人は本来平等でありますが、身長体重が異なり、
性の違いがあり、処理が早い遅いの違いはあります。


どんな集団にもその集団内の秩序があり、
上下関係が構築されております。


今後、仕事をする上でも「情けなさ、置いて行かれた感」
を感じることがあるかもしれませんが、それは当然のこと
だと思います。


でも、あなたが仕事を習得して行く中で解消していく
ことも出来る筈です。 …


「江戸しぐさ」なるものが見直され、静かなブームになって
います。 江戸しぐさとは、「商人しぐさ」「繁盛しぐさ」とも
言われ、江戸に集まった商人が工夫をして築き上げた、
人間関係を円滑にするための精神を具体的な
パフォーマンスとして表現したものです。


いくつか例をあげてみましょう。


肩引き…狭い道ですれ違うとき、肩を引き合って胸と胸を
合わせる格好で通り過ぎること。


傘かしげ…雨のしずくが周りの人にかからないように、傘を
かしげ合って往来すること。


こぶし腰浮かせ…乗合い船では腰の両側でこぶしをついて
軽く腰を浮かせ、少しずつ幅を詰めて一人分の空間を作る
しぐさのこと。


うかつあやまり…足を踏まれたら「うっかりしていました」と謝る。
迂闊とは注意が足りず、うっかりしている様。
トラブルを事前に察知し対処できなかった自分の迂闊さ
を反省する。


時泥棒をしない…突然の訪問や遅刻で相手の時間を奪うの
は”時泥棒”である。


全国から様々な人が集まった江戸で商売を繁盛させるには、
知らない者同士が礼儀正しく、しかもプライバシーを 侵さず
に人間関係を保つノウハウが必要だったのでしょう。


江戸しぐさは、現代社会でいうマナーや作法とは違い、
人間は誰でも平等、互角の「相手尊重主義」の精神であり、
思いやりを態度に表現したものなのです。


現代の日本でも異業種からの転職者、派遣社員や
パート社員、時には外国人など、価値観や生活習慣
がまったく違う 人と一緒に仕事をすることが増えてきました。


そんな時は、初対面の人に「年齢」「職業」「地位」を聞いて
はいけない「三脱の教え」があります。


その趣旨は「相手に失礼にあたる」ということよりも、
余計な情報が入ると色眼鏡で見てしまうので、相手の
素顔や 才能が見えなくなることを戒めています。


江戸しぐさには、赤の他人や社内の水平関係にある人と
付き合うノウハウがいっぱいあります。


垂直関係、つまり上司・部下の関係。


「『おはよう』には『おはよう』」という上下関係の心構えも、
江戸しぐさにはあります。


現代社会では、目下が「おはようございます」と挨拶すれば、
目上は「おはよう」と返事をするのが一般的。


たとえこちらが目上でも、相手に「おはようございます」と
言われたら、「おはようございます」と、 同等の言葉で
返すのが決まりだったといいます。


なるほど…とは思いますが、はたして現実はどうでしょう。
年齢や社歴が自分よりもずっと浅い人が、上司として、
時にはトップに就任することがあります。


上下関係において地位と年齢が逆転すると、口先では相手
を尊重した挨拶をしても、腹の底から納得した接し方が
できるでしょうか。


まして、あなたから見て上司の人格が認められない、
どうしても受け入れられないタイプの人物だったら、
あなたはどのように接するでしょうか?


態度は服従していても内心は反発している”面従腹背”の
上下関係は、多くの組織に存在します。


上司・部下共に持てる力が発揮されない不完全燃焼の状態で、
何とかして解消したい問題です。


企業の組織は、年齢としての上下、社歴による新旧、
職種による重さと軽さ、そして職位の上下関係など、
さまざまな 人間模様が絡み合って形成されています。


複雑な人の問題を解決するには、どうすればいいのでしょう?


そんな時に先人の教えが役に立つのです。
まずは、先人の声を敏感に感じる感性を磨き、
深く理解する心を養いましょう。


先人達は、江戸しぐさにとどまらず、和歌や俳句、ことわざ
などを通じて、今を生きる私達のために大いなる知恵と
生きる勇気を与えてくれています。


竹が強いのは節目ごとの空間があるから


禅語の中にも複雑な人間関係をひも解くヒントがあります。  
松無古今色 ~ 松に古今の色なし ~


松には古い葉、若い葉(古今)があってそれぞれ交替
するが、春夏秋冬を通じ、 また幾歳月を経ても常に
青々としてその色が変わることはない。


つまり、古葉も若葉も”一色平等”であることを教えています。


「松に古今の色なし」とは若い社員もベテラン社員も、
年齢や社歴の違いはあっても、 その役割や命においては
みな平等であり、そこに差別はないという意味に理解
できるでしょう。


人間尊重の精神を見事に言い表している言葉だと思います。


ところが「松に古今の色なし」は、これで終わっていません。
対句があるのです。


竹有上下節 ~ 竹に上下の節あり ~


松には、古い葉、若い葉(古今)が歴然としてあるが、
竹には、上下の節がはっきり存在し、 上下の区別がある。


節操の無い平等社会は、大自然の営みに調和しない。


家庭には親と子の関係が歴然として存在し、
社会においては長と幼の節目の関係があって調和する、
そんな意味の教えです。


若く経験の乏しい経営トップがやってきたとしましょう。


長幼という関係では、あなたが上位に位置します。
つまり、若竹が土中から生えてくるように、若い人は常に
先人の下に存在するわけです。


よって年上のあなたは人生の先達であり、職場経験の
先輩としての案内役ができなければなりません。


ところが竹に節目があるように、それぞれの「役割」における
上下の区別は厳然と存在します。


経営トップは、どれほど若くても会社全体に対する責任を
負う最上位の役割があり、 経営幹部はトップの方針に
沿い ながら、トップを下から支えるという役割があるのです。


竹は根っこから先端まで一本の繊維でつながっていますが、
節目を境にしてそれぞれに空間をもっています。


それは、上からの圧迫に屈せず、下からの影響も受けない、
独立した空間なのです。


竹が強くてしなやかなのは、節目を境に「区別」があり、
そこに独立した空間が存在するからなのです。


上下の関係に「区別」はあるが、「優劣」はない 組織の
人間関係で勘違いしてはならないことがあります。


組織における上下関係とは、上下の「区別」であって
「優劣」ではないのです。


上に立つ人が優秀なのに越したことはありませんが、
優秀だから人の上に立っているとは限りません。
そういう「役割」をいただいた、にすぎないのです。


下に位置する人は、下から人を支えるという「役割」
をいただいた訳で、優劣の結果ではないのです。


ですから、劣等感を抱く必要はまったくありません。


後継経営者のうち、親(先代経営者)の存在を乗り越え
られずに悩む人が少なくありません。


それは、経営者の上下関係を「優劣」で見つめると劣等感
が深まるばかりですが、 上下の「役割」として考えると、
親との関係は乗り越える対象ではないことが分かります。


日本人の心の荒廃をつくり出した原因の一つに、
平等な人間関係や個性を重視した戦後日本の
教育のあり方があるというのです。…


「水平や平等な人間関係ばかりを強調し、未熟な者が
経験者に学ぶという本来あるべき垂直軸を 通すこと
を怠った」 その結果として、 「水平軸の横並びの関係
は嫉妬感情を助長させ、人々の心の中に殺意を
蓄積させるようになった」                        


(西京都政経文化懇話会:京都新聞より)


近年になって親が子を、子が親を殺めるという凄惨な
事件が後を断ちません。


このような社会現象は、本来は強い上下関係であるはず
の親子の絆が、だらだらと横並びになって しまっていることが
原因しているのかも知れません。


企業においても上司と部下、師匠と弟子、ベテランと若手
といった垂直の関係を”強固でしなやか” なものに作り直す
時期がきているのではないでしょうか。


江戸の人達は、自分を磨き、己の見識を尊重し、
相手を思いやることを第一義としたという。


そして、相手を尊重し、身分や血筋にとらわれず自由な
発想が出来る人間を「江戸っ子」と呼んだ。


江戸時代という封建制にも拘束されず、自由闊達に生きた
江戸っ子の生き様が輝いてみえます。 …






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