貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・THEライフ















「“いい父親”だった時期が長かった分、壊れ
てしまった父親を見るのが辛かった」。


20代の舞さん(仮名)の言葉には、痛みがにじ
んでいた。


小学生のときから、ある競技に打ち込んできた
舞さんは、中学生のときに、世界大会で優勝ま
でしている。


毎日練習に付き添ってくれたのは父親だった。
でもその父親は、舞さんが高校生のとき、すっ
かり変わってしまった。


アルバイトをいくつも掛け持ちしてきたが、最
近やっと給付型の奨学金を受けられるようにな
った。大学院に通いつつ就職活動も始めたとい
う舞さんに、家族のなかで見てきたものを、語
ってもらった。


真面目で人当たりがよく、みんなに好かれてい
た父親 初めてその競技に触れたのは、小学校に
入る少し前だった。


「楽しい」と思い、父親にねだって道具を揃え
てもらった。以来、毎日のように練習を重ねた。


世界大会に二度出場し、中学のときには総合優勝
までしている。


もともと日本のレベルが高く、世界大会は国内
大会と同レベルというが、それにしても簡単な
ことではない。


練習場には、いつも父親が車で送り迎えしてく
れた。会社はそのために早退をしていた。


「子育てが趣味」のような父親だった。


勉強もスポーツもできる舞さんを、父親はいつ
も応援していた。舞さんは、この幸せな日々が
ずっと続くと思っていた。


でも、高校2年の終わり頃、父親は変わり始めた。
会社で信頼していた部下や同僚に裏切られたらし
く、もともと好きだったお酒の量がどんどん増え
ていった。


舞さんは、父親の異変にすぐには気づかなかった。


この頃、競技はスランプが続き、父親との考え方
の違いも感じるようになり、やや距離をおいてい
たからだ。


「なんか、おかしいな」と気づいたのは、高3の
夏頃だった。


父親は転職先でも人間関係に悩み、際限なくアル
コールを飲むようになっていた。


うつの症状も激しく、「もう死にたい」とたびた
び口にする。次第に、多重人格のような症状も見
せるようになった。


父親は、何度も自殺予告を繰り返した


「一日に大体、2、3人格くらい見ました。子ども
のようにワンワン泣いたり、暴力をふるったり、
ひたすら謝り続けたりして、誰かに操られている
のかな? と思うくらい、今まで見たことのない
ような父親がたくさん出てくる。


もともとすごく真面目で、人当たりもよくて、み
んなから好かれる父親だったからこそ、なんかも
う信じられないというか。本当にそのショックが
大きかったのを覚えています」


舞さんも毎日泣くようになり、受験勉強にも支障
が出た。この頃、舞さんは2回家出をしている。


一度目は母方の祖母の家に身を寄せたが、残った
母親と弟のことが気がかりで家に戻った。


二度目は小学校からの親友の家に、一週間ほど泊
めてもらった。


父親は、何度も自殺予告を繰り返した。


「何線の、何時何分の電車に飛び込む」と言われ、
母親は職場に行けなくなり、舞さんも学校に行け
なくなる。


でも幸い、実行には至らず、父親はいつも「が
っかりしたように」家に帰ってきた。


舞さんは学校に行っても、教室にいるのが辛かっ
た。同級生らが笑い合う明るい空間に、身を置く
ことが耐えられない。保健室に行ったり、空き教
室を用意してもらったりして、なんとか勉強を続
けた。泣きながら先生に話を聞いてもらうことも
あった。


忘れられない場面がある。


ひとつは、父親に包丁を突き付けられたときだ。
「いやな、怖い記憶すぎて、たぶん頭の中で消そ
うとして、微かにしか覚えていないんですけれど。
あの頃、母親はお酒のことで毎日のように父親と
喧嘩をして。弟が私の部屋に避難していて、母親
も避難してきた。


そこへ父親が『自殺する』と言って、包丁を持っ
て入ってきて。私たちが止めようとしたら、『来
るな』みたいな感じで、包丁を向けられた。


その様子を小4だった弟ががっつり見てしまった
ことが、一番胸が痛かったです」


父親が自殺をはかる場面も、3回は目にしている。


いつも未遂に終わったが、目にした光景はなかな
か頭から消えてくれない。


見つけるたび母親に知らせ、母親が父親を止めに
入った。



※…競技にはもう戻れないと思った理由


ついに舞さんたちが家を出たのは、その年の10月
だった。父親がある宗教団体に入り、もはや状況
が変わる見込みはないと判断した母親は、子ども
たちを連れて別居を始めた。


受験や進学の費用が心配だったので、舞さんは塾
をやめ、絞り込んだ大学だけを受験した。


結果、第一志望に無事合格することができ、胸を
なでおろした。


「ずっと一緒に勉強していた友達がいたんですが、
2人とも母子家庭で。その子たちが話を聞いてくれ
たりして、支えになってくれました。


そういう友達が近くにいたのが、運がよかったかな
と思っています」


大学に入った舞さんは、家を出て一人暮らしを始め
た。学費や生活費はバイトを3、4つ掛け持ちして、
なんとか賄った。


父親は離婚を拒み、よりを戻したがっていたが、
母親は応じなかった。


それから数年は、何度も記憶に苦しめられた。
「なぜ自分ばかり?」と思ったし、


「昔に戻りたい」とも思った。


町でたまたま会った父親の変わり果てた姿に、
悲しくなったこともある。


泣いてばかりいた時期も長かった。落ち着いてき
たのは、時間のおかげだと舞さんは言う。忘れた
い気持ちが強かったせいか、あの頃のことは、も
う思い出せなくなった部分もある。


競技からは、離れたままだ。またいつか関わりた
いと思っていたが、高3のときにスタッフとして
大会に参加した際、「今日は、お父さんは?」と
みんなに聞かれた。


事情を話すのは「父親にとってもかわいそう」だし、
みんなもショックを受けるだろうと思い、言葉を
濁した。今後も同じことを聞かれると思うと、も
う近づく気になれない。


「私は父がいたから、あの競技で成果を残せたと
思うんですけれど。でも逆にそのせいで、父の立
場を悪くしたんじゃないかなって責任を感じちゃ
うところもあって。毎日私の練習のために早退し
ていたから、会社の人間関係を損なってしまって、
そういう積み重ねで、うつ病を発症してしまった
んじゃないかなって」


でもそれは関係ないよ、と思った。お父さんはむ
しろ、舞さんと過ごした日々に救われていたので
あって、舞さんが負い目を感じる必要などまった
くない。


「私がほかの人と違うなと思ったのが、楽しかっ
た時期が長かったところ。


“ふつう”だった父親をずっと見てきたぶん、
壊れちゃった父親を見るのが辛かった。今でも
『いい父親だったな』と思います」



※… 
今回の取材は、舞さんが打ち込んできた競技の話
から始まった。舞さんはとても楽しそうに、それ
がどんなものか、目を輝かせながら話してくれた。


でも父親が壊れてしまったときの話になると、表
情は一変した。Zoomの画面越しにも、悲しみが伝
わってきた。


でも、弟の話をするときは、またちょっと顔が明
るくなった。 「いま弟は思春期で、お肌のことを
気にしているんです。


スキンケア(用品)とかいろいろ買ってあげたら
『こんなに、ごめん』みたいに、家のお金のこと
を気にしてくれて。 私は大学のとき、友達と遊ぶ
のとかいろいろ我慢したので、やっぱり弟にはそう
いう思いをさせたくないなって。


弟は小さいときに辛い思いをした分、これからは
自分の好きなことができるような人生を歩んで行
ってほしいな、って思います」


それを言うなら、舞さんだって同じなのに。せつ
ないのに、ちょっと微笑ましい。


弟にいま自分ができることをしてやれることが、
舞さんの喜びにもなっている。


そんな舞さんにこそ、これからは自分の好きなこと
をしていってほしい。…










※…
私は妊娠7カ月のお腹をかかえ、パートとして
そば屋で働いていました。


お昼どきはさすがに混み合い、とても忙しく、
みんな待ち時間の長いのにイライラの様子。


私はそばをお盆にのせ、お客様へと運んでいま
した。


その時、そばを目の前へ置こうとしたとたん、
急に手がすべってどんぶりを落とし、 お客様
(60代くらいの男性)のズボンに、 そばと汁
が飛び散ってしまいました。


どんぶりも割ってしまったため、調理場へもあ
やまりに行かねばと思いつつ、 お客様へは
「すみません、すみません」とタオルでふき
ながら、謝るだけ。


このお客様に何て言われるか怖い! そう思っ
ていた矢先、 「たまには床にもそばを食わせ
ないとな。床も喜んで食ったべ。  


おれなズボンなのさしつかえない。それより
あんたの体は大丈夫だが?」 と逆に、大きな
声で私をかばってくださいました。


後で思いましたが、大きな声は、店側の人にも
「私を怒るな」と制してくれたような気がします。


またお客様側にしても、それまで全員の目が私
に向けられていたのが、 スウ―ッと消えていく
のがわかりました。


私のこわばっていた体もスウ―ッと、ときほぐ
されたように感じました。


混んでいるさなかに、しかもお腹が空いていた
お客様に、 とても優しい言葉でかばっていた
だき、私も気持が楽になりました。


帰りには、あったかい笑顔で 「ごちそうさん!」
と言って、お店からのクリーニング代を受け取
りもせず、お帰りになりました。


言葉に消しゴムは使えない。 だから、思いやり
のある優しい言葉こそが、本当の真心の親切な
のだと、 教えられた思いでした。…






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