貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・特別編














65歳の女性。夫が家で急逝し、娘が隣県に
いるが一人暮らし。


関わっていた民生委員から地域包括支援セン
ターに、急に一人暮らしとなり、強い不安を
抱える60代の女性が日常生活に困っている
ようだと連絡があった。


保健師が女性に会いに行くと、机に顔を突っ
伏して「これから一人でどう生活すればよい
かわからない……」と言う。


生活の中での困りごとを聞くと、「食事は
近くのお店でパンなどを購入して食べてい
るが、今は気分的に料理や洗濯ができない」
と言う。


そして「人がいなくて寂しい」と何度も訴
えたため、介護保険サービスを利用する方が
良いと考え、介護保険サービスの提案をした。  


介護保険サービス利用には主治医の意見書が
必要だが、65歳になったばかりで、短時間
の仕事をし、定期通院もないため、主治医は
いなかった。


認知機能の確認のため、改訂長谷川式簡易知
能評価スケールを実施したところ、問題はな
かった。  


本人と話を進めていくと、ヘルパーサービス
とデイサービスに関心があり、総合事業の介
護予防・生活支援サービス事業対象者の制度
(基本チェックリスト項目に該当すれば、主
治医の意見書がなくても一部のサービスを利
用可能)が利用できると考え、話をした。  


本人から「今すぐ利用したい」という希望が
あり、基本チェックリストを地域包括支援セ
ンターの三職種(主任ケアマネジャー、社会
福祉士、保健師)で確認したところ、うつ症
状の項目が多く該当した。


そのため、ケアマネジャーと保健師が一緒に
訪問し、精神面を診てくれる病院受診を提案。
デイサービスやヘルパーサービスについて説
明すると、「悪いところはないので病院には
行きたくない」と拒否されたが、「デイサー
ビスには行ってみたい、ヘルパーサービスも
利用してみたい」と言う。


また、「娘さんにも、受診を含めてご相談し
てはどうか」と提案したが、「娘にはこれ以
上迷惑をかけたくない、連絡しないでほしい」
と言う。  


本人の希望やチェックリストの状況から、デ
イサービスの利用回数を増やしたかったが、
制度上の回数の限度があり、週1回での開始
となった。


本人は、「とても楽しい。毎日でも行きたい」
と言うようになった。一方で「一人が寂しい。
人がいる所に行きたい」と訴えが増えていった。


そのため、比較的安価なケアハウスの入居も
考えられることを話しつつ、病院受診も勧め
ていった。


本人は誰かと暮らせるということで施設入居
の希望を表明したが、ケアハウスへの入居に
は娘さんへの相談が必要と伝えると、「娘に
は知らせないでほしい」という言葉を繰り返
すばかりであった。  


地域包括支援センターに勤める保健師が、
精神面での懸念があるなかで、家族と連絡
をとらなくてよいという本人の意向や希望
をどう実現し、支援していくか悩んだケー
スです。



※… 「誰かがそばにいてほしい」  


保健師は、本人と話をしていくなかで、
「誰かがそばにいてほしい」という願いが
あることを強く感じたと言います。


夫がずっとそばにいたのですが、急逝し、
その支援がなくなってしまいました。一時
は娘さんの家で同居した時期もあったので
すが、娘の配偶者との折り合いもよくなく、
本人は一緒に暮らすのが難しいと考えてい
ました。


本人は、判断能力はありますが、精神面の
懸念もあったので、訪問するたびに娘さん
に連絡がとれるかどうかについて、話をし
ていきました。  


自宅内には、家族から贈られたお誕生日を
祝うメッセージカード等が飾られていまし
た。子育ての思い出話やご本人が好きな手
芸の話をするなかで少しずつ心がほぐれ、
何回目かの訪問の時、連絡をとることを了
承しました。  


娘さんは電話で「母は、昔から父親に依存
しており、難しいことは一人でできない」と
話がありました。


こちらから「一人暮らしに不安を抱えており、
精神面も考慮すると、ケアハウスなどへの入
居も一つの選択肢」とお伝えすると、「まだ
母は65歳で若いんだし、がんばれるから」
と言うのです。


保健師は、うつ症状があり心配していること
を伝え、精神科を受診したほうがよいと思っ
ているが、本人が拒否されていること、今後、
万が一入院になった際は家族の協力が必要で
あることを説明すると、「仕事で管理者をし
ていて忙しいので、週末に様子を見にくるの
が精いっぱい」との返答であった。


本人が話していることや毎日の生活、様子に
ついて、できるだけ詳しく説明していきました。


自殺念慮で精神科受診を勧めるも、娘は「急
ぐ必要ない」その後、民生委員の協力も得な
がら定期訪問を週1回程度行っていたが、保
健師が訪問したある日、「あそこの川に飛び
込んでしまいたい」という発言が初めてあった。


そのため「同行するので精神科の受診をしま
しょう」と提案しましたが、「行きたくない。
娘に怒られる」と言う。


もう一度、娘さんに連絡をとり、精神科の
受診が必要で同行したいことを伝えると、
「母は怠けていて、しっかりしていないだけ。
そんな病院なんて、そこまで急ぐ必要ないん
じゃないですか」と言う。  


保健師は、「川に飛び込みたい」という発言
があったことをとても重く受けとめていること、
命の危険があると強く危惧していることを何
度も説明し「本来は今からすぐにでも病院に
行きたい。明日受診となった場合は、今日だけ
でも家に泊まり、お母さんのそばにいてもら
うことはできないか」と相談しました。  


娘さんからは「泊まることはできない」とい
う返答だったため、「本日はまたこれから安
否を確認する電話をしてほしい。もし様子が
おかしいと感じたら、救急車を要請する」な
ど対応について詳しく話をしました。


本人には、娘さんが受診を同意したことを伝え、
「今から病院に行きませんか」と提案しました
が、「明日にしたい」という返答であった。


その日はできるだけその場に一緒にいるよう
にしていたところ、自殺念慮の発言は先に1
回ありましたが、その後はなく、翌日の受診
について気持ちが切り替わっていたようだっ
たので、本人の意向に沿って翌日受診するこ
ととしました。  


その際、飼い猫の心配があるとのことで、ペ
ットショップでの預かりなど地域包括支援セ
ンターの職員が対応したそうです。


最終的には、次の日に保健師が同行して病院
を受診することを本人と家族が納得されたと
いいます。


翌朝、ケアマネジャーと保健師で自宅を訪問し、
受診させました。



※… 精神科を受診、要介護認定  


精神科での診察では、本人の不安が強く、
自殺念慮の発言があり、入院希望もあるとい
うことで、任意入院となりました。


その後、本人は精神科病棟の雰囲気に驚き、
「こんなところに入院してしまうと娘に嫌わ
れてしまう」とすぐに退院をしたがったため、
本人の同意を得ることが困難になり、家族の
同意を得て医療保護入院に切り替えられました。  


当初は1か月くらいの入院予定でしたが、本
人の拒否感が強く、1週間で退院することに
なったそうです。


この精神科の受診で医師による指示書が出さ
れ介護保険申請ができ、要介護1の認定をう
け、本人が希望していたデイサービスの日数
を増やし、加えて医療保険制度で訪問診療や
訪問看護を利用することになりました。  


保健師は「自殺念慮もあり、すぐ対応が必要
と思って動いたが、今の医療制度のなかでは、
精神科への入院など家族の力を頼らざるを得
ない場合がある。


また家族自身も疲れており、子どもの頃、
母親らしいことはしてもらえなかったという
複雑な思いも抱いていて、緊急性があっても
必要な支援を迅速に届けることができないと
いうジレンマを感じた」と言います。  


保健師は他の職種と連携し、できるだけ早く
受診につなげ、本人が希望している生活を実
現できるよう、本人と家族に関わっていきま
した。


個々の家族の間での関係構築や、その歴史は
様々で、外側からはわかり得ないこともたく
さんあります。  


精神疾患が疑われるものの、家族の病識が
十分とは言えないなか、具体的な母親の状
況や様子、表現された言葉を丁寧に伝え続け、
いざという時の対応方法も細かく説明するこ
とで、専門職の危機感を何とか伝えようと
していました。


危機感を共有すると簡単にいいますが、それ
がいかに難しいことなのか教えてくれた事例
です。…


author:鶴若麻理 聖路加国際大教授















そんな中でも、生きがい(喜びや楽しみ)を感
じるときについて、多い順から「孫など家族と
の団らんの時」「おいしい物を食べている時」
「趣味やスポーツに熱中しているとき」という
結果に。


3番目に多かった趣味やスポーツをする時間に
ついて、子育てや仕事に一区切りついた人生
の後半に、あり余る時間を使って始めたこと
が生きがいになることもあるようです。



※… 
坂下美恵子さん(仮名・茨城県・主婦・63歳)
が、清掃員の仕事をリストラされ、暇を持て
余していたときに出会ったのは…。


手に取った雑誌で見つけたのは 娘が中学生と
小学生になり、子育てが一段落した頃、私は
人材派遣センターに登録し、市内の大手病院
で清掃員の仕事に就きました。


パートとはいえ、夏と冬にボーナスも出て、
まずまずの職場でした。


けれど、ある日突然マネージャーがやってき
て「すまないが、来月いっぱいで仕事は打ち
切りになる」と言うのです。


病院の経営状況が思わしくなく、立て直しを
図るためだと。


4年間働いて、給与の大半を娘2人の進学に備
えて貯金してきました。長女は女子大に合格
していましたし、突然のリストラではあって
も、さほどの不都合はありません。


とはいうものの、仕事がなくなった私は暇を
持て余しました。


ある日、美容室に行った時のことです。待合
室に置いてある婦人向け雑誌を何の気なしに
手に取りました。


読者のコーナーに、ある若い主婦の記事が
「私の投稿ライフ」という見出しで、文章を
さまざまな雑誌に投稿しており、採用される
と謝礼として、クオカード、商品券、図書カ
ードなどの金券がもらえると書いてあります。


それらを金券ショップに持ち込んで現金化し、
へそくりしていると。 世の中にはこんなふう
にお金を稼いでいる人がいるのかと、驚きま
した。


そして、散髪を済ませて帰途につく私の頭には、
その主婦の話が残り続けたのです。



※…まねして投稿してみると


私もまねしてみようと思い立ち、文具店で原稿
用紙と万年筆用のインクカートリッジを購入し
ました。


次に書店に向かい、目につく雑誌を手に取り、
読者投稿コーナーをリサーチ。


そしてコンビニへ。全国紙の新聞をすべて買
いました。それぞれの読者投稿コーナーに、
どんな人がどんなことを書いているのか、じ
っくり読んでみたのです。


最初に投稿したのはある主婦向け月刊誌でし
た。採用され、景品としてショッピングバッ
グが送られてきました。我ながら驚きつつ、
心が躍ったのをよく覚えています。


弾みがつき、次々と投稿するようになった
私は、何かあるとすぐメモしておくように
なりました。


雑誌の特集記事の感想やニュースについて思
ったことなど、ネタは身の回りにたくさんあ
ります。


気をつけなくてはいけないのが二重投稿。


うっかりすると自分でもどの雑誌に何を送っ
たか忘れてしまうものです。それを防ぐため
に、ノートに投稿の記録をつけ始めました。


年末には、その年に届いた金券やチケットな
どを持って金券ショップへ行き、現金化。


《ちりも積もれば山となる》で、ご祝儀や
不祝儀などの出費をまかなうことができま
した。



※… 突然届いた手紙に感激して


投稿を始めて3年目のある日、新聞社から
電話がかかってきました。私宛に読者から
手紙が届いたので転送すると言います。


半年前、隣の市の文具店で偶然ボンナイフ
を見つけ、昔流行ったものだが、まだある
のかと驚いて購入しました。


そのことを書いた文章が新聞に掲載された
のです。


数日後、私の手元に届いた手紙の送り主は
老婦人でした。自分もボンナイフが欲しく
て長年探しているが見つからない。


そんな時、ボンナイフについて書かれた投稿
が目に入り、手紙を書いた。ボンナイフを売
っている文具店を教えてください、とありま
した。


早速返事を書いて出したところ、半月後、
老婦人から丁寧なお礼の手紙が届きました。
こんな私が書いたものを読んでくれる人がい
るのだということが身に沁みる経験でした。


今でもその手紙は文箱に大切に保管してい
ます。


さらに2年後、別の新聞の読者コーナーに、
幼少の頃の手袋の思い出の話が掲載されま
した。


こんどは、プレゼントが私宛に届いたと新聞
社から電話が。 後日届いた荷物を開けてみる
と、毛糸の手袋が2つ入っています。


添えられていたのは、私の投稿を読んで感動
したという大阪の手袋職人からの手紙。セン
スの良い手袋へのお礼の手紙を出しました。


冬になるとその手袋をはめて、遠い大阪の人
はどんな人だろうと思いを巡らせます。


投稿にはさほどお金はかかりませんし、自分
ひとりでできることなので、人間関係に悩ま
されることもありません。


あの日、あの時、美容室で手にした雑誌を
きっかけに17年間投稿を続けてきたけれど、
これをしていなたら、今頃何をしていたの
でしょう。


投稿という扉を開いて、私は翼を得たような
気がします。…


author:※婦人公論では「読者体験手記」










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