貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・漢の韓信シリーズ

















第三章:呉越相撃つ・ 臥薪  


※…これに先立つこと十年前、ときは闔閭率
いる呉軍が楚を破って帰還したときである。


呉は楚を打ち破った勢いをもって、北の斉をも
その支配下に治めようと目論んでいた。  


斉は呉の、とりわけ孫武の軍事指揮能力を恐れ、
公家の娘を人質として供出した。  


可憐な娘であった。目が丸くて愛らしく、少女の
ような顔立ちが印象的な娘であった。  


闔閭は、この娘を長子である太子波はに娶らせた。  


しかし斉の娘は未だ若く、なおかつ感情の抑制が
利かない性格であったらしい。


彼女は日夜故郷の斉を思って号泣し、そのため
病気になった。いわゆる心の病である。  


これを憐れんだ闔閭は、彼女のために呉中の
北側に新たな門を建設し、これを「望斉門」と
名付けた。  


門は高層の楼閣になっており、上層の階に上が
れば、文字通り斉国を望むことができたという。


闔閭は、斉の娘をこの門の上階に登らせ、思う
存分故郷への思いに浸らせた。  


しかし、これは逆効果であった。彼女はより一層
望郷の念を強くし、ついに死に至った。


その寸前に彼女が闔閭に残した言葉がある。


「必ず私の死後は、虞山ぐざんの嶺に葬って、
斉を望ませてください」  闔閭はその通りにした。
その死を悼む彼の心がそうさせたのである。  


しかし、ことはそれで終わらなかった。彼女の死
を闔閭以上に悼む者がいたのである。 太子波
であった。  


波は、彼女を心の底から愛していた。


生前は彼女が故郷を思って泣く姿に激しく心
を痛め、死後は彼女を失った悲しみのあまり、
自ら泣いた。


その結果、彼も病気になり、死に至った。  


呉は世継ぎを思いもよらぬ形で失った。これに
より、諸公子の中から新たな太子を選ぶ必要性
に、闔閭は迫られることとなる。


彼は、末子の公子子山しざんをその位置に据え
ることを考えていたが、このとき積極的に運動し
たのが次子の夫差ふさであった。  


夫差は伍子胥のもとを訪れて言う。 「王は太子
を立てようとしている。私でなければ、だれが
まさに立つべきであろうか。


この計はあなたにかかっている」  伍子胥は、
自分自身も熱い男である。夫差が熱く自分
自身を推す、その心に感じ入った。


彼は闔閭に世継ぎの件を諮られると、答えて
言った。「夫差は信たるに人を愛するをもってし、
節を守るに正しく、礼義にあつい。兄が死んで
弟がそれに代わるのは、経の名文にあります」 と。


それを受けた闔閭は 「あれは愚かで不仁である。
呉国を受け継いで統率できないのではないかと
心配だ」  と反論したが、


「しかし、子胥がそう言うのであれば、その言葉に
従おう」 と伍子胥の顔を立てる形で、これを了承
した。  


この時点で、呉の太子は夫差と定まった。  


闔閭が右足に受けた傷は、大きく化膿していた。
霊姑孚は受けた傷口が腐る毒を、その矢に塗り
込めていたのである。


闔閭は、傷の化膿から発する高熱にうなされた。
「夫差を呼んでくれ」  


朦朧とする意識の中、闔閭は周囲に命じて太子
夫差を呼び寄せると、傍らに跪かせた。自らは、
横になったままである。


「夫差、夫差よ……」 闔閭は熱にうなされながら、
夫差の名を呼び続けた。もはや彼にはその姿が
見えないようであり、その姿は周囲に控えた伍子
胥や孫武などの側近たちを愕然とさせた。


「ここにおります」  夫差は跪き、顔を伏せながら
言った。


その様子に伍子胥は小声で注意を与えた。
「太子様、お顔を上げて王さまのお姿を目に
焼き付けておかなければなりませぬ。


また、そのお声を耳に焼き付けて忘れぬように
しなければなりませぬ。おそらく、これが最後の
機会となるでしょう」  


その囁きに夫差は驚いて顔を上げた。彼は伍子
胥の目を見据え、その真意を推し量ると、やがて
視線を横たわる闔閭に向けた。


「王さま、夫差はここにおります」  


闔閭はその夫差の言葉に直接には反応しな
かった。どうやら、すでに意識は混濁している
ようであった。


「夫差、夫差よ!……汝なんじ、勾践が汝の父
を殺したことを忘れるな」  


闔閭はすでに自身が死したこととして話をしていた。


これにより、闔閭の死は誰の目にも疑いのない
ものとなった。


「決して忘れませぬ」  夫差は力強く闔閭に向け
て言い放った。


しかし、その声が闔閭の耳に届いたかどうかは、
定かではなかった。その日の夜、闔閭は息を引
き取った。  


呉は南方の僻地にありながら、中原諸国を従える
形で覇を唱えた。その功績は、闔閭によるところ
が大きい。


その覇権の確立を、大きく伍子胥や孫武の能力
に頼った事実があったとしても、結局彼らは闔閭
の旗のもとに集結し、彼のためにその能力を発揮
したのだ。


闔閭が権力を把握したきっかけは、専諸という
死士を得たことである。


専諸は、ひとりの男を王とし、その王を天下の
覇者にした。そしてその覇者が絶命したことで、
いま天下は大きく動こうとしている。


これは、専諸の存在こそが天下を動かしたと言
っても差し支えない事実であった。  


専諸は、自らが携えた焼魚の腹の中に仕込んだ
匕首によって闔閭を王とせしめた。


この世の中の争乱が、そのほんの小さな匕首に
よってもたらされたという事実には、驚愕せざる
を得ない。  …













※…入院11日目、月曜日。


今日は心臓カテーテル検査の日で、朝食が食べ
られない。 飲料も8時までといわれていた。


朝、検査のためにと、数日ぶりに点滴をつけられ
たり、手首の管を刺す箇所に印をつけられ、準備
が着々と進んでいる。


久々にパジャマから、紐で結ぶ手術着に着替
えもした。 9時になり、車椅子で処置室に連れ
ていかれる。


手首から血管に管を入れ心臓を診察するって
……考えただけでも、怖い。 リスクの説明もあ
ったからこそ、まんがいちと考えると恐ろしい。


なんせ私は入院初体験、手術なども未経験だ。


いやや~早く終わって~と願いながら、エレベー
ターに載ったり降りたりして、処置室に向かう。


30分ぐらいですよとは言われていたが、とっとと
終わって欲しい。


車椅子から処置台に移ると、主治医をはじめ
周りにいる人たちが、私の名前やら、検査名や
ら、何やら確認しているようだ。


あー、これも、映画やテレビで見た手術風景だ
な~と眺めているが、内心、怖さが増してきた。


目を閉じて、左手首に麻酔を打たれた。怖いの
で、いっそ全身麻酔して欲しかった。


麻酔は効いているのだが、なんだか手首に違和
感が走る。 身体の中になんか入ってきた! 


気持ち悪い! とにかく、痛い、ではなく「気持ち
悪い」だ。


入院中の私のバイブル、村井理子さんの「更年
期障害だと思ったら重病だったはなし」にも、
この心臓カテーテル検査の描写があった。


気持ち悪い! 本当に気持ち悪い! とにかく
耐えている間に、検査は終わったようだった。


左手首に止血バンドがまかれる。 「左の手はなる
べく使わないようにね。力入れちゃだめ」と言われ
たあと、「じゃあ病室に戻りましょう」と、あっさり車
椅子に導かれる。


主治医が、「検査、異常なしでした」と口にして、
ホッとした。 これで明日、退院できるのか。 点
滴は、昼頃までつけておいてくださいといわれ、
車椅子のまま病室に戻った。


着替えていいですかと聞いて、いいと言われた
ので、手術着からパジャマに着替え、横たわる。


すぐに昼食の時間になり、朝食を抜いていて空
腹だったので、喜んで食べた。 やっぱり食事が
美味しい。 とっとと退院したいけど、食事にだけ
未練があった。


やってはいけないこと 主治医が来て、「退院する
?」と問われたので、「します!」と即答する。


心臓カテーテル検査は異常なしだったし、心臓も
ここに運び込まれたときよりはだいぶ動いてはい
るけれど、まだ少し鈍い。


これは今後、通院で様子を見ていきます。薬は
たくさん飲まないといけないけど、それで治療し
ていくからと説明があった。


やった! 明日退院決定! と、晴れやかな
気分だ。


まだ心臓の動きが少し鈍いというのは気になるし、
結局病気が完治したわけではなく、これからもつ
きあっていかないといけないにしろ、解放されたい。


「何か質問ある?」と問われたので、「やっちゃい
けないことはありますか」と聞くと、「薬をちゃんと
飲んでいたら、特にないです。


普段通りにしてください。運動はしたほうがいい。
心不全手帳をよく読んでね」と言われた。


やっちゃいけないことはない、というのは嬉しか
った。


「薬を飲むのやめてしまったり、通院しなくなって
しまって、具合悪くなる人はいます。だからそこは
自分の身体のために、ちゃんと従って欲しい。まだ
若いんだから、大丈夫です」と言われて、深く頷き、
診察日も決まった。


健康の為なら、なんでも言うこと聞きます! 主治
医がいなくなったあと、会計の係の人や、薬剤師
さん、栄養士さんがかわるがわる訪れて、入院費
の説明や退院後の食事や薬の指導があった。


ほんといたれりつくせりだ。 看護師さんから、「明日
10時以降の退院になります。朝起きたら準備して
おいていいですよ」とも言われる。


やった!! 退院できる!! 「退院決定!」と、
とりあえず夫と実家、サイン本の関係で編集者に
手配を頼むメールをする。


※…退院したら一番したいことは


どうやら、同室のAさんとBさんも、明日退院のよう
だった。 迎えに来てもらう段取りを、ふたりとも娘と
電話で話している。


「家で旦那の世話をすると病状が悪化するから
退院できない」と当初言っていたAさんは、しば
らく次の入院先が見つかるまで娘の家に世話に
なるようだった。


そんなにも夫が嫌なのか、邪魔なのか。 10時
退院ということなのか、10時きっちりなのか、少し
遅れるのか、迎えに来てくれる娘の都合がある
からと、


Bさんはひっきりなしに看護師さんを呼び留めて
問いかけている。 病院の段取りもあるから、遅れ
たらちょっと待ってもらったらええやんけと思いな
がら、私はそれを聞いていた。


退院後、珈琲が飲みたいと私は考えていた。
普段、そこまで珈琲が好きなわけじゃないけれど
、喫茶店で珈琲を飲みたい。


そんな時間が欲しかった。 今までなら当たり前
にできたことが、この11日間はベッドに座りお茶
と水を飲むことしかできなかったのだ。…








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