貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

















※…
「不純さの中で、初めて人間は大人になるのに、
日本人はそういう教育を全く行ってこなかった」
と手厳しく指摘するのは、作家・曽野綾子さん。


自分の病気に大騒ぎして、他人の病気は
痛くもかゆくもない。「自分もその立場にな
ったら」…


※…日本人の幼児化


教育改革国民会議に出ていると、今の生々
しい教育の現状を聞かされるので、非常に
新鮮な解答にたどり着くことがある。


日本の教育が予想以上に腐敗(ふはい)と
荒廃(こうはい)の度合いを深めているという
ことは、よく言われているが、病状が進んで
いるのは何も学生だけではなくて、


社会人も、父母も、皆が「おかしくなっている」と
言う。 もちろん、すべての人々は素質も育ちも、
受けた教育も環境も違うわけだから、原因の
共通項はなかなか見つけにくい。


しかし、ないわけではない。それは日本人の
幼児化ということだ、と専門家は指摘する。


※…
大人が子供を甘やかしてご機嫌とりをした結果


幼児化は、大人が子供に適切な愛情と厳しさ
で接することをしなくなり、ただ甘やかしてご
機嫌とりをした結果、


子供のいやがることは一切させなかった結果
である。


「ご飯の後片づけをしなさい」
「ボク、宿題あんだよ」
「あいさつをしなさい」
「何であいさつなんかしなきゃなんないんだよ」
「テレビばかり見ていないで本を読みなさい」
「AちゃんもBちゃんもこの番組見てるよ」


そこで大人は黙るのである。


幼児化を防ぐには、これらのことをすべて幼い
時に、問答無用(むよう)でさせる癖をつける
ことだろう。


あいさつをさせるのは、心ならずも、他者との
最低のつながりを保つことを教えるためだ。


食事の後片づけは、人間が生きるための基本
的な営みの重要性を体で覚えさせるためだ。


そしてテレビだけでなく本を読めというのは、
バーチャル・リアリティ(仮想現実)に頼って
どんどん実人生から離れることを防ぐためである。


不思議なことに読書も直接体験ではないのだが、
辛抱も身につき、哲学も残るのである。


幼児性の特徴は幾つもあるが、周囲に関心が
薄いこともその一つである。


自分の病気には大騒ぎするが、他人の病気は
痛くもかゆくもない。


万引きをゲームだと思っているのは、自分が
ただで欲しいものを手に入れられる、ということ
がわかっているだけで、万引きをされた店の
痛手は全く思いつかない、という点にある。


※…
幼児的人生はすべて単衣で裏がない


幼児性のもう一つの特徴は、人間社会の不純の
哀(かな)しさや優しさや香(かぐわ)しさを、全く
理解しないことだ。


幼児的人生はすべて単衣(ひとえ)で裏がない。
だから、厚みもなければ強くもない。


幼児性はものの考え方にも、一つの病状を示す
ようになる。理想と現実を混同することである。


この混同は、自分がその場に現実に引き出され
ない限り、それが噓であることが証明されない、
という安全保障を持っている。


※…幼児性は相手を軽々と裁く


1994年のルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺
の時、あるフツ族の老女は、自分の娘がツチ族
の男性と結婚して産んだ孫を殺した。


「お前が本当にフツ族なら、ツチ族の血の入っ
た孫を認めるわけがない。もし殺さないなら、
お前を殺す」と言われたからであった。


こうした実際にあった話を前にして、自分はこう
いう場合にも絶対に幼児を殺すことはしない、
と自信を持てるのが幼児性である。


「もし仮に自分が…であったなら」という仮定形に
なかなか現実の意味を持たせられないのが幼児
性なのである。


結果的に幼児性は相手を軽々と裁く。


これも大きな特徴の一つである。それは、人間と
いうものはなかなか相手を知り得ない、という恐
れさえ知らないからである。


あるいは自分もその立場になったら何をしで
かすかわからない、という不安を持つ能力に
欠けるからでもあろう。


※…
一方、幼児性は、社会と人間に対して不信を
持つ勇気がない。


不信という一種の不安定でおぞましい、しかし
極めて人間的な防御(ぼうぎょ)本能を駆使(くし)
することによって、初めて私たちは一つの信頼
に到達することができる。


したがって信じるまでの経過には、私たちの全
人的な人間解釈の機能が長期間にわたって
発揮されるわけだ。


※…
不純の中で初めて人は本当の大人になる


普通の場合、私たちは見知らぬ人、名前は知っ
ていても個人的にその言動にふれたことのない
人の生き方を信じる何の根拠もない。


しかし幼児性は、さまざまな図式によって、人を
判断し、それを信じる。


その図式も時代の流れに動かされる。有名なら
信じる。金持ちは悪人で、貧しい人は心がきれいだ。


反権力は人間性に通じる、という具合だ。


現実は、そのどれにもあてはまる人とあてはまら
ない人がいる、というだけのことだ。


幼児性はオール・オア・ナッシング(すべてか無か)
なのである。その中間のあいまいな部分の存在の
意義を認めない。


あるいは、差別をする人とされる人に分ける。


しかしあらゆる人が、家柄、出身、姻戚(いんせき)
関係、財産、能力、学歴、その他の要素をもとに、
差別をされる立場とする立場を、時間的に繰り返
して生きているのである。


ただこの世ですべての人が、それぞれの立場で
必要で大切な存在だということがわかる時にだけ、
人間は差別の感情などを超えるのである。


平和は善人の間には生まれない、とあるカトリック
の司祭が説教の時に語った。


しかし悪人の間には平和が可能だという。 それは
人間が自分の中に十分に悪の部分を認識した
時だけ、謙虚にもなり、相手の心も読め、用心をし、
簡単には怒らずとがめず、結果として辛うじて平和
が保たれる、という図式になるからだろう。


つまり、そのような不純さの中で、初めて人間は
幼児ではなく、真の大人になるのだが、日本人
はそういう教育を全く行ってこなかったのである。


author:『幸福は絶望とともにある。』













※…
かねてより病気療養中だった息子・健介のいる
2階の部屋から妻の呼び声が響いた。


すぐに他の子どもたちと駆けつけると、ベッド
で仰向けになった健介の口の両脇から茶色
の液が溢れ、すでに呼吸もできない状態に
なっていた。


救急車が来るまで
「健介! 健介!」


と皆で呼びかけ懸命に体をさすったが、健介
はそのまま帰らぬ人となった。37歳。


短くはあったが、不自由な体で人の何倍も密度
の濃い人生を生き抜いたと思う。



※…健介が生まれたのは1970年。


私が、アマゾンへの夢を抱き、ブラジルの日系
企業で働き始めて3年たった時だった。


生後3ヶ月たっても光を追わず、眼科医の診療
を受けたところ、網膜の焦点を結ぶ部分が剥離
しているため、左眼はまったく見えず、右目が
わずかに見えるだけであることが判明。


あらゆる治療を試みたが、願いも虚しく治療に
は至らなかった。


いま思えば、すぐにでも会社を飛び出してアマゾン
へ行こうとしていた私を、まだ時期尚早と健介が体
を張って止めてくれたのではないかという気がする。


その後も健介の存在が、暴走しがちな私に、大事
な局面で自制を促してくれた。


※…
健介は、弱視というハンディを抱えつつも、元気
に育ち、柔道、卓球、サッカーとどんなスポーツも
見事にこなした。


学校の勉強も、目が不自由なため、教科書を読む
のに時間はかかったが一度読めば覚えてしまい、
難関の大学にも見事パスした。


ところが16歳の頃額にできた瘤(こぶ)が徐々
に大きくなり、医者の判断で神経腫瘍、レックリン
グハウゼン病であることが判明した。


神経の周りにできる腫瘍によって、神経自体が
圧迫され機能しなくなる奇病で、まだ治療法も
確立していないという。


腫瘍はその後脳内にも及び、19歳、26歳、
30歳と、3度にわたる脳内の腫瘍摘出手術
で一命は取り留めたものの、その後遺症で
まず聴力が失われ、歩行も困難になって
いった。


手術のたびに後遺症が残り、また神経腫瘍が
他の神経にも及ぶことで、人間としての体の機能
が徐々に奪われていく恐怖はどれほどのもので
あったろう。


しかし健介はすべてを受け入れ、苦悩や不平不満
を漏らして周りを心配させることは一切なかった。


逆にいつも相手を気遣い、「ありがとう」の感謝の
言葉をくり返していた。


※…
次の大手術に備えて栄養補給の管を胃に通す
手術を受けたが、逆に体は骨と皮ばかりにやせ
衰えた。


痰(たん)が絡んで呼吸が難しくなり、声も出せ
なくなって家族との意思疎通すらままならなく
なった。


もうこれ以上彼を苦しませないで……。
私たちは祈るほか術もなかった。


いま振り返ると健介は、なるべく家族を悲しま
せない時期を選んで逝ったようにも思える。


息絶えたのは、甥に当たる妹の息子が可愛い
盛りになり、一家の中心になる頃だった。


別れの時から1年半が過ぎたいまも妻と私は、
朝起きると一番に健介の遺影に「おはよう」と
声をかける。


家族に囲まれ、声をかけられながら逝った健介
は幸せだった。


肉体的な苦痛から解放され、天国でイキイキと
好きなことをしているに違いない。


これでよかったんだ。夫婦の会話はいつも
そこに行き着く。


※…
健介が短い生涯で私たちに与えてくれたもの
の大きさを、いまさらながらに実感している。


過酷な運命をすべて受け入れ、感謝を忘れず、
人に愛を与え続けた彼の姿に、 私たちは人間
としての在り方を教えられた。


健介が最初の手術のために訪れた日本で綴っ
た文章がある。


「……人間は、しあわせになりたくてお金をもうけ
ようとしているように思うけど、だれかをぎせいに
してまでお金をもうけても幸せになれないと思い
ます。


人間は考えることができる動物なのだから、人間
として考えて、こころをゆたかにしていけるように
生きていければいいと思います」


※…
70歳の足音が近づいてきたいまの私のテーマ
は、いかに人生を締め括るかである。


自分の周囲に少しでもよきことをもたらし、「パパ、
いい人生を送っているね」と、健介から褒められ
るような生き方を全うできれば何よりである…








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