貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・妄想物語


















※…
シドニーオリンピック女子マラソン 金メダリスト
高橋尚子さん。


世界の頂点に登りつめた高橋さんですが、 実は、
中学・高校時代は決して強いとは言えず、 とても
全国大会で通用するような選手ではなかったの
です。


ご本人が述べていますが「心身ともにすごく弱い」
選手だったそうです。


こんなことやってて意味があるんだろうか。 もう
いやだ、もうダメだ、やめてしまいたい。


毎日そんな後ろ向きで、不安な気持を抱え
ながら、 日々過ごしていたそうです。


そんな苦労時代、高校の陸上部の顧問・中澤
正仁先生から贈られた言葉で、 身体に電気が
走ったそうです。


なかなか結果が出ない。 しかし、今、結果が
出ないのは、それは準備期間に過ぎないからだ。


何のために、今の準備期間があるのか、 そんな
ことを高橋さんの心の深いところに届けてくれた
言葉。


高橋さんは、その言葉を下積みの日々、毎日
念仏のように繰り返し、 自分に言い聞かせた
そうです。


その言葉に出会わなければ、マラソンの喜びに
出会うこともなかったと言います。


※… 中澤正仁先生から贈られた言葉、


何も咲かない寒い日は、 下へ下へと根を
伸ばせ。 やがて大きな花が咲く。


結果が出ない時は、地道な努力を重ね耐え
ること。 決して目には見えない根っこのように…


この言葉を胸に刻んだ高橋さんは、 その後
世界一とも言われる練習量をこなし、 肉体も
極限まで高め、大きな、大きな花を咲かせる
ことができました。


シドニーオリンピック女子マラソンで金メダル
を獲得し、一躍国民的ヒロインとなった高橋
さんでした。


しかし、次のアテネでは代表になれませんでした。


その時、高橋さんはこんなことを口にしています。
「私から陸上をとっても、何も残らないというわけ
じゃない」


一見、負け惜しみみたいに聞こえますが、彼女
の本意はそうではありません。


こんな気持から出た言葉でした。


「マラソンにはゴールはあるけれども、マラソン
を通じて得たものには終わりなんてないんですね」












※…
遠位型ミオパチー、という病を ご存じでしょうか。


次第に筋力が衰え、 いずれ寝たきりになって
しまう難病で、 一切の治療法も治療薬も あり
ません。


30歳の頃に発病し、症状が進行する中で、
20年経ったいまもなお、 小学校教諭として
教壇に立ち続けるのが 中園靖子さんです。


そんな中園さんを支え、助けようと、 立ち上がっ
たのは生徒たちでした。  



※… 「しょ名のおねがい」


ぼくたち、わたしたちのたんにんの先生は、
遠位型ミオパチーというむずかしい病気と
たたかっています。


この病気には、まだ薬がなく、ちりょう方法も
ありません 早く薬が出きてせんせいがぼく
たち、わたしたちと ずっといっしょに学校生活
がおくれるように みなさんの力をかしてください。
どうかしょ名をよろしくおねがいします。
津森小学校四年一同


※…
この署名の嘆願は、当時の厚生労働大臣宛の
署名用紙の裏に印刷されたものです。


2012年に私が担任した 熊本県益城町立
津森小学校4年生の児童たちが 中心となっ
て始めてくれた署名活動が、 大変大きな広
がりを見せました。


嘆願の中にあるように、 私は「遠位型ミオパチー」
といって、 手足の指先など、体幹から遠い筋肉
から萎縮していく 原因不明の病に侵されています。


患者数は全国に400~500人ほどの希少疾病で、
いまのところ治療法は確立されておらず、 やがて
寝たきりになるより他ない、と言われています。


発症はいまから約20年前、 学校の仕事も次第に
覚えてきた 30歳前後の頃と思います。


ちょっとした段差でよく転ぶようになったのです。
知人に勧められ検査に行ったものの、 当時は
この病に対するお医者様の認知度も低く、 病名
がつかない時期が長く続きました。


緩やかに病状が進行する中で結婚し、娘を出産。


検査は続けていたものの、 いよいよ歩行やパソコン
入力にも 困難をきたすようになってきました。


そして2008年、たまたま夫がテレビで見た 遠位
型ミオパチー患者会代表代行の織田友理子さん
と、 私の病状が酷似していることから、 病院に
さらなる検査をお願いし、


2010年にはっきりと診断が下ったのでした。


支障はあるもののまだ自分の足で歩けるので、
私はいまも教壇に立たせていただいています。


もちろん、体育の授業などはできませんから、
同僚たちの支えがあってこそのことです。


また、4月の「学級開き」には 私の病気がどんな
ものであるか、 児童にもきちんと説明します。


「先生は早く歩けないし、長く歩けないし、重い
ものも運べないから、みんなに助けてもらわない
とできないので、よろしくね」


すると、児童たちは 「俺が先生と手を繋ぐ」
「いや、私が繋ぐ」 と取り合いになるほど、
支え、助けてくれるのです。


ある意味、子供たちにとっての貴重な生きた
教育と 言えるでしょうか。…


※…
(ヴィクトール・フランクル) …







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