貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・森羅万象














※…
吉川英治(1892~1962) 作家


「朝の来ない夜はない」という言葉は、国民的
な作家である吉川英治が座右の銘としていた
ものとも、乞われて色紙に書いたものだとも
言われます。


この言葉には、吉川英治が子どもの頃から学び
とった思いや経験が凝縮されています。



※…苦悩に満ちた吉川英治の青少年時代


『宮本武蔵』『新平家物語』などの国民的文学
作品で有名な作家、吉川英治は、少年時代か
ら苦労人でした。


お父さんが事業で失敗し、病気で倒れ、小学校
を中退すると、大勢の弟や妹のためにも丁稚
奉公に出されました。


彼のわずかな給金とお母さんの針仕事の賃金
が一家の支えだったのです。


英治は青少年時代、職を転々として苦労に
苦労を重ねました。


それは、人生の夜をさまようような日々だった
のかもしれません。 吉川英治の担当編集者だ
った扇谷正造氏は、その思いを聞き書きして
います。


※…
「扇谷君、僕は同時代の日本人がなめたあら
ゆる経験を一身で行ってきた。


ある意味において、自分の青少年時代ほど、
惨たんたる、苦悩にみちたものはなかった
と思う。


自分は、強盗、強姦、殺人を除き、同時代の
日本人が行なったさまざまなことの一切を経験
してきた。


何回か絶望に打ちひしがれ、何回かは、いっそ、
遊侠の群れに身を投じて、この人生を太く短く
と思ったか知れない。


そのたびに(英治、それでいいのかい。それで
お前気がすむのかい)といって、私の袖をひき、
正道にもどしてくれたのは、私のバンドにまいた
赤い腰ヒモであった。


色のさめた母のシゴキが、自分の杖となって、
自分は今日まで、あまり、間違いもせず、世の
中をわたってこれたのだ」…


その赤い腰ヒモとは、十八か十九の時、印刷
工場の住み込み職人として働いていたとき届
いた新聞紙の小包に、十文字に結えてあった
ものです。


当時、英治は朝早くから夜遅くまで、毎日こま
ねずみのように働いていました。


そういう暮らしのなかで、郷里の母親から新聞紙
の小包が届いたのです。


新聞紙の中からは、英治が好きな本が何冊かと
刻みタバコが出てきました。


この本を買うために、母は幾晩徹夜して縫い物
をしたのだろう。 そう考えると、英治の目から
大粒の涙が流れ落ちたといいます。


その小包に結わえてあった母の赤い腰ヒモ
を、次の日から英治は自分の腰にしめて働
きました。…


兄弟子たちは、「おい、それはどこの女郎にもら
ったんだい」とからかいますが、英治は無言で
働き続けました。


色あせてはいるが愛に満ちたその腰ヒモは、
その後の吉川英治の辛く苦しい青年時代を
支え続けることになります。


その後、彼は作家となり、人から色紙に文字を
乞われると書いたものです。




この言葉には、吉川英治が辛い青年時代から
学びとった思いや経験が凝縮されているのです。
















※…
ある新聞に、9歳の少年の詩が載っていた。
「おかあさん」と題する詩である。


「おかあさんは どこでもふわふわ  ほっぺは 
ぷにょぷにょ  ふくらはぎは ぽよぽよ  ふと
ももは ぼよん  


うでは もちもち  おなかは 小人さんが トラン
ポリンをしたら  とおくへとんでいくくらい はず
んでいる  


おかあさんは  とってもやわらかい ぼくがさわ
ったら  あたたかい 気もちいい  ベッドになっ
てくれる」  


なんとほほえましい母と子の  姿だろうかと
思いつつ、  詩を読んでいた。


母と子の  笑い声が聞こえてきそうな詩である。    


しかし、記事の後半に及んで一転、 なんとも
形容し難い深い悲しみが  全身を貫いた。  


少年は、この世で最も愛し、信頼し、命の拠り
所にしていた母親に、電気コードで首を絞めら
れて  殺された…


記事はそう報じていた。    


母親は30歳。両親の反対を 押して20代半
ばで結婚、少年を  産み離婚、青森県の
実家に戻った。  


祖父母と4人暮らし。生活は極度に貧しく、
思い余って  一人息子の首を絞めた、という。  


この記事を読んで、反射的に思い浮かべた
のは  詩人・坂村真民さんのお母さんの  
ことである。    


36歳で42歳のご主人に 先立たれた。


手元には5人の幼子が  残された。大正
6年のことである。    


想像を絶する貧しさだった。にもかかわらず、
真民さんの  お母さんは苦労を苦労とせず、  
5人の子どもを女手ひとつで  育て上げた。    


辛くなかったはずはない。 苦しくなかった
はずはない。  


だが、辛い、苦しいと  嘆きたくなる時に、
愚痴を言う  代わりに、自分を潤し、力づける  
言葉を、真民さんのお母さんは  持っていた。




いつもこの言葉を  口癖のように唱えていた
という。  


人生に口ずさむ言葉を持て、と真民さんは
よく言われた。  


人間はそれほど強いものではない。苦しいこと、
悲しいことに  胸ふさがれる日もある。  


気力が萎える時もある。そういう時、どういう
言葉を 口ずさんでいるか。それが 運命を
左右することもある。    


この少年のお母さんにも 人生に口ずさむ言葉
を持っていて  欲しかった。それがあれば、この
ような悲惨な事件に  走らずに済んだ可能性は
十分に  あった、と思うのである。  


真民さんの詩が甦ってくる。    


よい本を読め/ よい本によって己れを作れ     
心に美しい火を燃やし/ 人生は尊かったと
/叫ばしめよ   


よい本はよい言葉、人生を  潤す言葉と置き
かえてもよいだろう。  


よい言葉、人生を潤す言葉に触れ、口ずさみ、
心に美しい火を燃やし、尊かったと言える人生を  
歩みたいものである。    


あなたは人生を潤す言葉を 持っているだろうか。








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