貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歌物語















タイトルは「誰が歌謡曲を殺したか」という、いささか刺激的
なものだった。


これを書いたのは作詞家の阿久悠で、当時は癌との闘病
で入院中であった。


もう余命がいくばくもないことを感じていたのだろうか、
エッセイからは遺言のようなニュアンスが伝わってきた。


書き出しの文章は歌謡曲について、まず定義を確認する
ところから始まっている。


流行歌とも演歌とも違うし、Jポップスとも違う。ただし、
流行歌とも思えるし、演歌とも考えられるし、Jポップス的な
ところもパーツとしては見つけられる。


つまり歌謡曲とは趣味嗜好によって細分化したジャンル
ではなく、おそろしくフトコロの広い、器の大きい物なのだ。


要するに、アメリカンポップスも ロックも音として呑み込み、
それに日本の現在を切り取り、日本人の心を躍らせ泣かせる
詞を付けた、歌の総合文化であった。


演歌の父とも言われる作曲家の古賀政男は、ギターや
マンドリンといった西洋の楽器と日本調のメロディーと
節まわしを組み合わせることによって、戦前戦後を通して
大衆に受け入れられる<流行歌>をつくり続けた。


和製ポップスの父と讃えられた作曲家の服部良一は、
ジャズとクラシックを土台にしながら、リズムとコーラスと
ハーモニーを重視した歌によって、戦前から戦後にかけて
新しい日本の<歌謡曲>をつくりあげた。


先駆者たちの仕事を受け継いで歌の総合文化としての
歌謡曲に<ポピュラーソング>の要素を加えたのが、
中村八大であった。


代表曲「上を向いて歩こう」は1963年に全米チャートで
1位になり、そこから世界的なスタンダード曲にまで
なっている。


そうした先人たちが創り上げた<流行歌>や<歌謡曲>、
<ポピュラーソング>を受け継いで、さらに時代に合わせて
発展させていったのが、歌謡曲の全盛時の1970年代に
活躍したソングライターたちである。


その先頭に立っていたひとりだった阿久悠は、当時の充実感
をこのように回顧していた。


歌謡曲全盛時代は一九七〇年代である。


その当時の若いプロ作家は、歌的なるものの呪縛から解き
放たれ、不可能はないとばかりに新しいこと、珍しいこと、
面白いことを探し、創り、世に提供した。


彼が作詞家として活動を始めた1960年代後半から70年代
にかけて、日本では音楽産業における変革の動きがいくつも
同時進行で起こっていた。


それらのなかでもっとも際立っていたのは、テレビの音楽番組
やバラエティ番組との相乗効果で、新たに見せる=魅せる
という要素が、歌手にとどまらず、楽曲そのものにまで求められ
たことだろう。


だから新曲を作る段階から、振付師に参加してもらう
プロジェクトが増えたのである。


そのさきがけになったのがGS(グループ・サウンズ)のブーム
であり、これはミリタリールックなどの衣装に身を包んだ
若いロックバンドが、哀愁をともなう甘い歌で熱狂させて、
人気が爆発した現象だった。


ただし、そこでヒットした楽曲の大半は若いソングライター
たちによる作品ではあっても、ロックと呼べるものは少なく、
サウンドは洋楽風げも歌謡曲の範疇におさまるものが
ほとんどだった。


たとえば最古参のスパイダースが放ったヒット曲の
「夕陽が泣いている」は、ベテランのソングライターだった
浜口庫之助が提供したものである。


バンドによるアレンジはロック風になったが、楽曲そのもの
は叙情的な歌謡曲だった。


そこへ登場してきて著しい活躍を見せたのが、すでに30代
を迎えていた放送作家の阿久悠である。


テレビの時代の特性を生かして、阿久悠はそこから10数年の
期間に膨大な数のヒット曲を生み出した。


そして彼がデビュー曲としてモップスに提供した
「朝まで待てない」は、歌謡曲の匂いがしない日本語
のロックであった。


ロックを必要とする時代に抜擢されて結果を出した
阿久悠は、若者たちの反発心や焦燥感を「朝まで待てない」
の歌詞に託したという意味において、もっとも初期のロック
詩人であったと言える。


彼がいつも語っていた作詞家としての原点は、「若者は
いつも拒絶される」という思いにあったのだ。


(注)
阿久悠氏の文章はいずれも「昭和と歌謡曲と日本人」
からの引用です。













「やる気がなかなか出ない」
「やる気は出ても、三日坊主で続かない」
という人がいらっしゃるかと思います。


では、そんな時はどうすればやる気がでるのでしょうか?
どうすればやる気が長続きするのでしょうか?





東京大学の脳科学者、池谷 裕二教授によると、
「続けられないのは、脳があきっぽくできているから。
だから、やる気を引き出すためには、脳をだませばいい」
のだそうです。


それには脳の中の淡蒼球を動かさなければなりません。


ところが、この淡蒼球は自分の意志では動かせないとのこと。
しかし、起動させるスイッチが4つあるのだそうです。


誰でも簡単に気軽に発動させるコツです。


そして、このコツを会得している人が、コツコツ続けて、
夢を叶えているんですね。


その4つとは?・・・


1.(Body)体を動かす
 まずは体を動かすと、やる気がわいてくる。
 勉強なら、やる気がなくても、とりあえず本を開いて
 みるとか、学校に行くとか・・・体を動かしているうちに
 やる気が出てくる。


2.(experience) いつもと違うことをする
 毎回同じことをしていたら飽きやすいのでいつもと違う
 刺激を与える。同じ勉強が続いて退屈になってきたら、
 場所を変えるとか、二人か三人でするとか、まったく
 違うことくをすると、やる気が維持される。


3. (Reward) ご褒美を与える
 上手く行ったときに報酬を与える。
 この参考書の20頁まで勉強したら、大好きなスイーツを
 食べる、などと決めておく。すると、やる気がアップする。


3. (ideomotor) なりきる 
 思い込みが強いほど、脳は騙されやすくその気になるので、
 設定している目標に到達したときの自分になりきる。
 憧れの人になりきる。
 成功した自分を思い描きながら勉強する。
 憧れのスポーツ選手のマネをしてプレーする、など
 ということです。


1.(Body)体を動かす
2.(experience) いつもと違うことをする
3. (Reward) ご褒美を与える
4.(ideomotor) なりきる





脳は、騙されやすいしマンネリ化しやすい。


「マンネリ化」というのは、脳が「当たり前の事だと認識
すること」。そのため、4つのスイッチを駆使し続けると、
「めんどくさい事」が、マンネリ化して「当たり前の事」
となるのです。


たとえば、洗顔や歯磨きも、小さな子どもには
「めんどくさい事」ですが、マンネリ化して、いつのまにか
「当たり前の事」となります。


それと同じように、最初は「めんどくさい勉強・仕事」でも、
続けていると「当たり前の事」となり、あまり労をせずできる
ようになるわけです。


さらには、「めんどくさい事」が「楽しい事」になる
場合もあります。


人によっては、「めんどくさい事」であるジョギングでも、
次第に「楽しい事」になったりするように。書くことも、
普通の人には「めんどくさい事」でしょうが、作家と
いわれる人には、実は「楽しい事」なのです。


「めんどくさい事」でも続けていると、「当たり前の事」
になります。


さらには、「楽しい事」になります。


やる気が出てこないとき、続かないときに試してみては
いかがでしょうか。…





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