貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・森羅万象














※…



私は重い事実をいずれ話す下準備、つまりショック
を和らげる目的で男の妻に説明したつもりであった
が、妻の涙を見た途端、それは妻が抱いていた不安
の扉を開けてしまった後悔に変わった。


少しして男の妻の口から漏れ出た言葉は「私、一人
でこれからどうすればいいの、あの人なしで……」
だった。私は呆然として言葉を失った。


その頃の私には他人の運命を知ってしまった者の
責任と、その言葉の重みはまだよくわかっていな
かった。


まだ学生の殻を纏った経験の浅い色白の幼虫が
そこにいた。


男の運命の砂時計は逆さまになって時を刻み始め
ており、妻の砂時計も同じく逆さまになったこと
が若かった私にはまだわからなかった。


「でもまだはっきりとわかったわけではありません」


やっとの思いで妻に語りかけると、彼女の表情が
一瞬和らいだ。


私にはそんな言葉は慰めであることはわかってい
たが、自分の発した言葉が作り出した状況を好転
させるには、それしか思い浮かばなかった。


「病気には個人差があります。手術の効果、薬の
効き方にも差があります。それはある程度試して
みないとわからず、治療を進めながら考えていく
ことになります」


話の終わる頃には彼女の瞳には輝きが戻り、私は
やっと胸をなでおろした。


気がつくと額には汗がにじみ、動悸はまだ収まっ
ていなかった。私は彼女が病室に入るのを確認し
て詰所に戻った。



※… 伏せられた病名


手術の1週間前に男と妻、そして男の両親に助教
授が「肺に真菌の塊があって、そのため胸水が
溜まっている。


真菌の塊とそれが散らばっている胸膜を切除する
必要がある」と手術の説明を行った。


そのあと私が男を「検査」と称して部屋から連れ
出し、助教授は「進行した肺癌であること」「手
術をしても予後不良かもしれないこと」を妻と両
親に告げた。


しばらくして三人は男に会うことなく、硬い表情
で病棟をあとにした。


この当時、家族には病名を告げても患者には伏せ
ることが一般的だった。


往々にして「癌」は「カビ」、あるいは「おいて
おくと悪性になる腫瘍」と置き換えられていた。


伏せる理由は「患者が希望を失うから」とされ、
家族と患者の間にできる溝や家族の苦悩は顧み
られることはなかった。


この時点で病名を告げなければ、そのあとに告げ
る機会はない。


嘘の上に嘘が重ねられ、いくつかの矛盾が露呈し、
患者は疑心暗鬼となって悪化する症状と相まって
気持ちは不安定となり、家族も抱え込んだ「本当
のこと」を隠すのに疲れ、その結果、関係がぎく
しゃくし、大事な最後の時間が剣呑なものになっ
てしまう。


多くの患者はどこかの時点で推測しているに違い
ないが、真実を知る怖さ、隠している家族への複
雑な気持ちもあって胸深く仕舞い込んだまま去っ
て行くことが多い。


しばらくして男の手術が行われ、私は第3助手で
執刀は助教授だった。


開胸すると水の溜まった胸きょう腔くうが現れ、
胸水を吸引すると肋骨側の肋膜ろくまくにも肺
側の肋膜にも一面に癌細胞の播種はしゅが認め
られた。


もともとの癌は直径わずか1㎝で中葉の胸膜直下
に認められた。


小さいが、できた場所が男にとっては不運だった。


胸膜直下の癌はすぐに胸膜を破り胸膜腔に散布、
着床し、あたかも種を蒔いたかのように見える
ので播種という状態となる。


この状態は進行癌に分類され、様々な治療法が
試みられるが、いろいろな方法があるというこ
とは決め手がないということで予後は極めて悪い。


「癌が胸膜を越えて肋間筋ろっかんきんにまで
及んでいたら手術は止めよう」と助教授が告げた。


病理の結果は非情だった。


私は先に手を下ろした助教授に代わり、胸腔内に
抗癌剤を注入し、胸を閉じた。


手術後の男の回復は肺を切除していないこともあ
って早かった。


さらに抗癌剤を胸腔内に2回注入すると胸水は溜
まらなくなり、彼は良くなったと思い込んで退院
していった。


妻と両親には退院前に助教授が結果を説明した。


根治術はできなかったこと、癌細胞が発育する
胸膜腔を抗癌剤で癒着させ、水が貯まらないよう
にするが、それは根治にはなり得ないこと、


予後は1年以内であろうことを彼は説明した。
妻は毅然とした表情を変えなかった。


入院からこの瞬間までの妻の心の変化は誰にも
わからないが、何かを決心したような気迫が感
じられ、夫婦の周りには何者をも寄せ付けない
ような雰囲気が漂っていた。※…












彼女の保健室には、学校に来るとすぐにお腹の痛く
なる子や頭の痛くなる子がよくやってきました。 


「授業がわからない」 「おもしろくない」 と、
その子たちは言います。


なかでも小学4年生のKくんは、A先生が最も気
になる子でした。



※… Kくんの口ぐせ


「おれ、バカだから・・・」
「おれ、ダメだから・・・」


それが彼の口ぐせでした。 その度に、A先生は、
「あなたは、バカじゃないよ。ダメじゃないよ。
いい子だよ」 と言ってあげるのですが、Kくん
はうつむいているばかりです。


Kくんの心にどうしても入り込めない、それがA
先生の悩みでした。


Kくんは、夜の勤めしているというお母さんと二
人暮しでした。 学校を転々とし、A先生の学校に
も1カ月前に来たばかりでした。


体は細く、着ているものは、毎日同じ。


クラスの皆からは臭いと言われ、勉強では、掛け
算九九やひらがなの文字まで時々間違えました。


陰でいじめを受けているようでしたが、Kくんは、
はっきりそうだとは言いません。



※… Kくんとの交流


ある日、Kくんが教室で爆発しました。 クラス
メートに母親の悪口を言われて、ついに押さえ
きれなった彼は、椅子を持ち上げ振り回して、
何人かの子にケガを負わせたのです。


ケガはたいしたものではありませんでしたが、
その子らの親たちは騒ぎ立てました。


教室で暴力をふる子やそんな子を育てた親も絶対
に許しておけない、というすさまじい剣幕でした。


結局、Kくんとお母さんは、その学校に居ること
ができなくなりました。


別れの日、Kくんは教室には行かず、A先生の
保健室にだけやってきました。 手には新聞紙に
包んだ野菊をもっていました。


新聞紙からは土をつけた細い根っこがはみだし
ています。


「学校に来る途中の崖の上に咲いとったんよ。
きれいだなって思って、前から、先生にあげた
かったん……」


「わたしに? どうもありがとう」  


A先生がきょとんとしているのを、Kくんは勘違
いしたのか、うつむいたまま言いました。  


「おれ、大人になって、お金もらえるようになっ
たら、もっといい花、買ってあげる」  


「何いってるの、これが一番、いい花だよ」
KくんがA先生の顔を見上げました。  
「先生も、この花、好き?」  


「うん、好きだよ。Kくんがくれる花は、みん
な好きだよ」  


Kくんは、またうつむいてしまいました。
床に、ぽとりと涙が落ちました。  


いじめられても、暴れても、人前で泣かなかった
Kくんが初めて見せた涙でした。  


「先生、おれ、ダメな子じゃない?」  
「ダメな子じゃないよ。いいところいっぱい
あるよ」  


A先生は、しゃがみこんでKくんの涙で濡れた
頬を両手で包んであげました。  


Kくんの瞳は、眩しいくらい輝いていました。  


「先生、おれ、これから、ちゃんと勉強して、
母ちゃんに心配かけないようにする。   


それで、先生みたいな、看護婦さんみたいな人
になる」  


「看護婦さんみたいな人?うん、なれるよ。
絶対なれる」Kくんの細い体を抱き寄せると、
A先生の目からも涙があふれてとまりません
でした。  


それ以後、A先生はKくんに会っていません。  


でも、A先生は、Kくんのくれた野菊を押し花
にして、ときどき取り出しては眺めます。


そして、その度に、Kくんもお母さんもどうか
元気でいますようにとそっと心で手をあわせる
のです。



※…  心に残る大切なもの


彼らのような人たちは、私たちの身近にもいる
のではないかと思っています。


「好きだよ」
「ダメじゃないよ」
「なれるよ、絶対なれる」


一つの花や一つの言葉を通して、ときに私たち
も、いつまでも心に残る大切なものを与え与え
られているのだと思うのです。…






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