貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問




















そこへ、漁師の浜介(はますけ)が通りかかりました。


(いったい、何事だ?)そばヘ寄ってみましたが、
字が読めないので近くの人に聞いてみますと、
けさがた浜で奇妙な魚が取れたとの事です。


そしてその魚の名前がわからないので、いい
当てた者には金子百両(→七百万円)を与える
と書いてあるということです。


「魚の事なら、任せておけ」浜介はさっそくお奉行
さまの前に出て、その魚を見せてもらいました。


(なるほど、これは見た事もねえ魚だ)奇妙な魚
にびっくりしていると、お奉行から、「これ、浜介
とやら、それなる魚の名は何と申す?」と、突然
聞かれて、…


浜介は思わず、「ヘえ、テレスコと申しやす」と、
言ってしまいました。


「テレスコと申すか。テレスコ。なるほど。よう知ら
せてくれた。ほうびを取らすぞ」と、言うわけで、
浜介は百両という大金をもらって飛ぶ様に女房
のところヘ帰りました。


さて、それからひと月ほどたった、ある日の事。


また、奉行所の前に高札が立っていて、大勢
の人が集まっています。


その高札には、《不思議な魚がおるが、名前が
わからぬ。名前をいい当てた者には、ほうびと
して金子百両を与える》と、前と同じ様な事が
書いてありました。


浜介は、またお奉行さまの前に出て、魚を見せ
てもらいました。


「浜介、そこなる魚の名は?」
「ヘえ。これは、ステレンキョウと申しやす」


浜介が言うと同時に、お奉行さまはきつい声で、
「この、ふらち者めがっ! これなる魚は、前の
魚を干した物じゃ。


浜介、その方、前にはこの魚をテレスコと申し、
今日はステレンキョウと申したな。お上をあざむき、
またも金子を狙うとは、重ね重ねのふとどき者。


打ち首の刑を、申しつけるぞ!」と、言うわけで、
浜介は牢屋(ろうや)に入れられました。


さて、今日はいよいよ、打ち首になる日です。


お白洲(おしらす→罪人を取り調べる場所。
奉行所の事)に引き出された浜介は、これが
最後の別れというので、女房や子どもに一目
会う事を許されました。


「これ浜介。あとに残る妻や子に、何か言い残す
事はないか?」


「はい、お奉行さま」浜介は後ろ手にしばられた
まま、女房子どもの方を向くと、しみじみと言い
ました。


「いいか、お前たち。これから先、たとえどんな
事があろうと、決して決して、イカを干(ほ)したの
をスルメと言うでないぞ」


言い終わると浜介の日焼けした頬に、涙が流れ
ました。


その時、お奉行さまはポンとひざを叩いて、
「これはしまった!、急いでなわをとけ!」 と、
家来に言いつけてなわをとかせると、


今度は自分が涙を流して、 「これ浜介。わしが
悪かった。イカを干せばスルメ。


テレスコを干せばステレンキョウになるのか。
なるほど、なるほど」と、言う訳で、


浜介はまたほうびの百両をもらって、女房
子どもと連れだって仲良く家ヘ帰りました。…













※…
地震と津波で集落が壊滅、458名が犠牲
になった 福島県相馬市もその1つである。



3月11日の大地震。 
自宅で精密機械の 下請け工場を営んでいた
正弘さんが、  ヨシコさんと身重だった娘さんに、
「すぐに磯部中学校に避難してくれ! 


俺は消防だから みんなを逃がさねばなんねぇ。 


あっちで待っていてくれ!」  そう言って 
消防法被(はっぴ)を着て飛び出した。  


奥さんは勤務している病院で 地震の事後処理、  
長男の大輝くんは相馬高校で 仲間と一緒にいた。  


ヨシコさんは身近の貴重品を持ち、とにかく
急ごうとしたが、 正弘さんが可愛がっていた
愛犬のアイも 一緒に連れて行こうと思い、  
犬の餌をできるだけ携えて 高台の中学校
に向かった。  


やがて次々に集まってくる 集落の人々から、  
巨大な津波が多くの家や 人々を飲み込んだ
ことを聞いた彼女は、 正弘さんのことが心配
でたまらなかった。 


今にも「大丈夫か!」と言って 息子が顔を出す
のではないかと思い、 体育館から出て一晩中、  
車のなかで待っていた。 


市から届いた、ひとりあたり半分のオニギリと  
コップ一杯の水も 喉を通った気がしなかった。  


深夜に正弘さんの友人から、「最後に見たのは
磯部漁港の近くで 避難誘導をしている姿だった」 
と聞いた。  


漁港のある大洲地区は 被害が最もひどかった
集落で、 建物は何一つ残らなかった地点である。 


彼は最前線にいたのだ。 … 



※…  3月31日。 
正弘さんが消防法被姿で 無言の帰還を
果たした。  


葬儀場はまだ再開しておらず、取りあえずの
火葬は4月2日。  


私は学校再開の準備に 忙殺されていたので 
総務部長が出席したが、 消防団員をはじめ
防災関係者など、会場あふれるばかりの参列
者だった。  


大勢の人が「正弘さんと最後まで」と、一同が
見守る炉前のホールで、 今から荼毘(だび)
に付すというその時、… 


ヨシコさんが棺にすがって、 叫んだ。


「マサヒロー、 偉いどー。 偉かったなー。 
偉いどー。」  


その時、母の叫びを聞いた長姉が 両手を
天に突き上げ、 絞り出すような声で。


「バンザーイ!」…  


勇敢にも最前線で津波に立ち向かい、多くの
人々の命を救いながらも、 自ら職に殉じた正弘
さんに 家族が手向ける、心の底からの別れの
言葉だった。  


場内の全員が、母の無念、姉の悲しみを
我ごとに思い、 慟哭(どうこく)した。  


稲山正弘 相馬市消防団第9分団長。 
享年49歳。


※…
ここに出てくる長男の大輝君は 今年4月、  
千葉県の大学に進学しました。 


ここで勉強して将来は  お父さんの後を
継いで消防士になる、 と言っています。…








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