貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・歴史への訪問




















ある時、権次は仕事で船に乗って、何日も
家に帰れない事になりました。  


心配するお母さんに、権次は言いました。
「大丈夫、おれは運が良いからな。・・・


そうだ、運が良い証拠を母ちゃんに見せて
やるよ。俺が出かけて十日たったら、家を
焼いとくれ」


「えっ、家をかい?」  


驚くお母さんに、権次はにっこり頷きました。
「そうさ。ちゃんと焼いておくれよ」  


権次が船に乗って海へ出て十日がたつと、
お母さんは約束通り家に火をつけました。  


小さな家はあっという間に火事になり、すっ
かり燃えてしまいました。  


その頃、権次は舟の上で、くんくんと鼻をなら
しながら仲間に言いました。


「あれ、今、俺の家が燃えてる。こりゃ火事だ!」  


それを聞いて、仲間たちは大笑いです。
「あははは。こんな遠く離れていて、火事
がわかるもんか」  


でも権次は、すまして答えました。
「まあ、帰ってみればわかるさ」  


それから何日かして、仲間たちは仕事を
終えて村に帰るとびっくり。  


本当に、権次の家が燃えてなくなっている
のです。  そして、いつ焼けたかと尋ねると、
ちょうど権次が船の上で鼻をくんくんして
いた日と同じだったのです。


「すごい! 権次の鼻はすごいぞ!」


「よし、もう一度試してみよう」 仲間たちは、
村の井戸に炭を入れました。


「よし、権次に何の匂いか当てさせよう」  
その様子を、旅のおばあさんが見ていました。  


そして村を出てから、さっきの事を思い出し
て笑ったのです。  


そこへちょうど、権次が通りかかりました。
「おばあさん、何がおかしいのかね?」  


おばあさんは笑いながら、権次に言い
ました。 「いや、今ね、おかしな村を通り
かかったんだよ


。何でも、匂いかぎの名人がいるそうで、
井戸の中の炭の匂いを当てさせようと村
の連中が相談したんだ。


いくら匂いかぎの名人だって、井戸の中の
炭の匂いがわかるもんかね」  


それを聞いた権次は、にやりと笑いました。
「そりゃ、確かにおかしな話だ。


おばあさん、面白い話を聞かせてくれて
ありがと」  


おばあさんと別れた権次は、すました顔で
村に帰りました。  


さてそれから、権次は井戸のそばに来る
とくんくんと鼻をならして、いきなり大声で
村人たちに言いました。


「誰だ? 井戸の中に炭を入れたのは」  


それを聞いた村の仲間たちは、顔を見合
わせて驚きました。


「すごい。やっぱり権次の鼻は本物だ!」  
そして権次の鼻のうわさは、殿さまの耳
にも入りました。  


この頃、殿さまは体の調子が悪くて、とても
困っていました。  


お腹が痛いと思ったら、次の日には背中、
背中が治ったら今度は足、足が治ったと
思ったら頭と、痛いところが体中を回って
いるのです。  


殿さまは、さっそく権次を城に呼びました。


「これ、権次とやら。そなたはたいそう鼻が
良いようだな。すまないが、病気の原因を
匂いで当ててみよ」  


これには、権次もまいりました。 でもとりあえず、
殿さまに鼻を近づけてくんくんとしてみましたが、
やっぱりわかるはずがありません。


「そうですな、しばしお時間を」  


権次はそう言って、城を出て行きました。
「こりゃ、困ったぞ。このままどこかへ逃げ
てしまおう」  


権次が山の中へ足を踏み入れると、草の
茂みの向こうから、こんな声が聞こえました。


「殿さまも、気の毒じゃなあ」 「ああ、あんな
病気なんて、庭のガマガエルを追い出せば
すぐに治るのになあ」  


そっと覗くと、何と二人の天狗がお酒を
飲みながら話しているではありませんか。


(しめた!)  権次はすぐに城へ戻ると、城の
庭の池の周りで鼻をくんくんとさせて、大声
で殿さまに言いました。


「原因がわかりました! 


庭のガマガエルを、今すぐ追い出してくだ
さい。ガマガエルから、お殿さまの病の匂
いがします」  


それを聞いた家来たちは、すぐにガマガ
エルを捕まえて城の外へ追い出しました。  


その途端、殿さまの体はすうっと楽になっ
たのです。


「あっぱれ、あっぱれ。褒美をとらせてやろう」  


こうして、殿さまに山の様な褒美をもらった
権次は、そのお金で立派な家を建てて、
お母さんと一緒に幸せに暮らしたのです。 …













※…ある病院に、頑固一徹で、ちょっと世を
   すねたおばあちゃんの患者がいました。


家族から疎まれていたせいでしょうか。


看護婦さんが、優しくしようとしても、なかなか
素直に聞いてくれません。


「どうせ、すぐにあの世にいってしまうの
だから」と、かわいげのないことばかり口
にします。


困り果てた看護婦さんが、機嫌のよいとき
を見計らって、毎朝、病院の窓から見える、
通勤の工員さんたちに、手を振ってごらん
なさいと言いました。


どういう風の吹き回しか、おばあちゃんは、
朝、ベッドの上に身を起こし、言われる通り
にしてみました。


中には知らぬ顔をして通り過ぎる工員さん
もいましたが、何人かは手を振って返して
きました。


その反応がうれしかったのか、おばあちゃん
は、毎朝、病院の近くに出勤する工員さん
たちにあいさつをするのが日課になりました。


工員さんたちの中にも、病院の前に差しかか
るとき、決まって窓を見上げるひとが多くなり
ました。


「ばあちゃん、おはよう」、言葉はお互いに
聞き取れなくても、心は十分に通い合いました。


まるで嘘のように、おばあちゃんの表情には
笑顔が戻ってくるようになりました。


看護婦さんたちとも打ち解け、態度から
ケンがなくなりました。


しかし、病気はだんだん重くなります。
それでも、おばあちゃんは朝を迎えると、
手を振ろうとします。


まるで生きている証でもあるかのように、
日課を続けようとしました。 おばあちゃん
は、亡くなりました。


今度は、工員さんたちが淋しい思いをする
立場になりました。


訃報を聞き、その鉄工所に勤める工員さん
たちは、病院の近くに集まり、おばあちゃん
が毎朝手を振ってくれた窓辺に向かい、深々
と黙祷を捧げたそうです。


私は、この話を聞いて胸が詰まりました。


このエピソードに、老人問題のすべてが
あると思ったのです。


老人の淋しさとは、何からくるのでしょうか。
ひとり暮らし? いいえ、それ以上に、老人の
存在価値の希薄さからです。


「おじいちゃんがいてくれたから、よかった」
とか「おばあちゃんの笑顔がかわいい」 など、
老人の存在価値がどんな形ででもあれば、
たとえひとり暮らしをしていても、救われるの
ではないでしょうか。


ところが、「老人のあんたたちは、いつ死のう
が、いなくなろうが、世の中の動きとは関係
ないんだよ」というのが現代の風潮です。


これが、老人の孤独感に拍車をかけている
のではないでしょうか。


インドのカルカッタに住んで、貧しいひとびと
のために命を賭けて奉仕しておられる尼僧に、
マザー・テレサという方がいらっしゃいます。


その立派な功績により、ノーベル平和賞を
受賞されたのですが、そのときの言葉に


「天然痘も癌も脳卒中も、決して怖い病気
ではありません。 本当に怖い病気とは、
あなたのような人間がこの世にいてもいなく
てもいいのですよ、といわれたときの孤独です。


この病気ほど怖いものはないのです。


この病気を治す病院も薬も今はないのです。
この病気は、外の優しい心でしか癒すことが
できないのです」 とあります。


ひとりの人間が生きていくためには、たくさん
の見えない支えがあり、自分が生きることが
また多くのひとびとの支えでなければいけ
ないはずなのです。


にもかかわらず、私たちは自分だけで生きて
いるような気になって、孤独を味わっている
ひとの存在に気が付かなくなっているので
はないでしょうか。


また、そういう自分自身も孤独の中にいること
を忘れているのではないでしょうか。


※…
《温かさ、親切、そして友情は、世界中
の人がもっとも必要としているものだ。
それらを与えることのできる人は、決して
孤独にはならない。》 (アン・ランダース)


※…
小林正観さんは「投げかけたものが返って
くる」という。


愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。
許す者は許される。許さない者は許されない。
裁く者は裁かれる。裁かない者はさばかれない。


つまり、与えたことが返ってくる。 何も与え
なければ、何も返ってこない。 …


「人に手を振る」という些細な行為が孤独
をいやすこともある。・…


南蔵院住職、林覚乗(かくじょう)氏の言葉 …








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