貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

















手入れの行き届いた家々が整然と並ぶ
住宅街。明るいうちから雨戸を閉め切った
「その家」は、息を潜めているようだった。


福祉団体スタッフの古屋隆一(ふるや・りゅういち)
(41)は昨年の秋、玄関前でびりびりに破かれた
手紙を見つけた。


数日前、住人の男性に「困っていることが
あれば、手伝いたい」と書き残していた。
「やっぱり…。思い通りになるわけない」…



※…
古屋は東日本の大都市郊外で、心の病が
ある人の相談に乗っていた。


福祉団体が自治体と連携して設置した
窓口には、ひきこもりや不登校に関する
悩みも寄せられた。  


福祉の世界に入ったのは15年ほど前の
ことだ。大学卒業後、進路を決められない
ままアルバイトをし、海外を放浪。何となく
始めた老人ホームでの介護の仕事で、
人に喜ばれる心地よさを知る。  


「もっと勉強してみたい」と通信制の大学に
編入。就労支援のための作業所の実習で、
精神疾患のある人たちと触れあうと、なぜか
しっくりきた。


人生を模索してきた古屋にとって、生きづら
さを抱えて悩んだり、苦しんだりする人は無縁
な存在ではなかった。  


一方で、そういった人の支援を重ねるうちに、
病院や自治体の窓口に行けず、福祉の制度
やサービスが届かない人がいることに気付く。


「待っているだけではだめだ」と訪問活動に
力を入れるようになった。


断られても諦めずに足を運び、その熱心
さは周囲から「変わり者」と言われるほどだ。  


一人きりでいる人の「心の声」に耳を傾け、
タイミングを見て背中を押すことで、再び
社会とつながるケースもあった。


ただ、本人に会えずに一進一退を繰り返し、
「何年かかっても仕方ない」と覚悟したのは、
1度や2度のことではない。  


昨年の春、古屋の元に新たな相談が舞い
込んだ。自宅に15年近くひきこもっている
という30代男性の姉からだった。  





1960~70年代の高度成長期に大規模
開発された東日本のベッドタウン。


当時の子育て世代は高齢化が進み、地域
のつながりも薄れつつある。


自宅に15年近くひきこもっていた30代男性
の姉が福祉団体スタッフの古屋隆一(ふるや
・りゅういち)(41)に相談をしたのは昨年の春、
父親の認知症がきっかけだった。   


サラリーマンの父親と、専業主婦の母親に
育てられた男性は、大学卒業後に仕事に
就いたが、間もなく退職した。


その頃からうつの症状があり、家から出なく
なった。  


両親はともに70代。昼夜逆転の生活の中、
男性は暴言がひどくなり、自分以外のトイレ
使用を禁じた。


「汚れるから」というのがその理由。


両親は数年前に男性を残し、逃げるように
近くのアパートに移り住んだ。  


同じ頃、古屋は一家の存在を知った。勤務
先の団体に、母親が時折姿を見せていた
からだ。  


「息子を何とかしてやりたいが、夫が外部の
支援を拒否している」。


父親は、親の責任として男性を支えたいよう
だった。窮状はうかがえても、明確なSOSが
なければ第三者は関与できない。


スタッフで情報を共有し、状況が変化した
場合に備えた。  


「その時」は思わぬ形でやってきた。  


母親が病気で他界。自宅に1人でいる男性
のために、食費や光熱費、時には食べ物を
届けていた父親にも認知症の症状が現れ
たのだ。


自宅とアパート。二つの場所でつながって
いた家族の生活が崩れ始める。  


父親の認知症は進み、男性が暮らす自宅
に足を運ぶのが難しくなった。  


ある日、結婚して家を出ていた姉に、男性
から手紙が届いた。


〈お金に困っている。自殺する〉  


姉からの相談を受け、古屋は早速、自治体
の担当者らを交え、どんなサポートができる
か話し合った。


家族をまるごと支えるため、父親の介護計画
を立てたケアマネジャーも加わった。  


古屋には常日頃から、心掛けていることがある。
「本人の意向は何か」。それが分からないと、
一方通行の支援になる。


糸口をつかむため、まずは会いたかった。  


自治体の担当者と自宅を訪問したが、男性
は姿を見せない。


〈何か手伝えることはないか〉。玄関前に残した
書き置きは、びりびりに破られ、時には踏みつ
けられていた。(敬称略、文中仮名)


※…
豊かさを手に入れたかのように見えるこの国で、
周囲に気付かれないまま、孤立してゆく人たち
がいる。……













第一章 そして母になる


※…転校:発達障害は免罪符にならなかった


発達障害は、不登校の状況を配慮される
免罪符となってくれるのか。


発達に躓きをもつ子のための「通級指導教室
(学びの教室)」を併設している小学校に転校
した。障害児クラスもある。


しかし、次男は知能検査でIQが120以上あり、
理解力も言語力も高く、コミュニケーションも
可能だ。


教室に座っていることもできる。障害児学級も、
学びの教室にも入れなかった。


転校した次男を待っていたのは障害児差別
の偏見のカタマリ担任教師だった。


「こういうお子さん」と言われた。さらに転校初日
に転校生いじめにあった。それはあまりに些細
なことだった。


クラスの子どもたちから「転校生様のお通り
だよ~」と教室で、廊下で、玄関で、一日に
五度もそんなことされたら、さすがに傷つくよね。



※…・担任教師の圧力


それを担任に相談すると、「児童たちは普通
に歓迎しただけ、私のクラスの児童たちが悪い
というのか?」といきなり開き直られた。


先生が何をおっしゃっているのかわからなか
った。


二週間かけて、校長先生と教育委員会に相談
して、ようやく子どもたちが「ごめんね」と謝って
くれた。子どもたちに悪意は全くなかった。


それで転校生が傷ついたことを知らず二週間
も経ってしまったことに子どもたちの方が心を
痛め、泣いて謝った子もいた。


その場で、その日に、「嫌だったんだね、
ごめんね」と言ってくれたらすぐに解決した
ことじゃないか。


また、ある日の遠足で、児童を怒る先生の
様子にパニックになった次男を夫と二人で
迎えに行った。


先生は私たち夫婦の前で腕組みをして
「困ったお子さんだ、本当に困ったお子
さんですね!」と言い放った。


私たち夫婦は苦いものを抱えた。


「何を言われたんだろう、私たち」と夫婦共
に落ち込んだ。まだ私たちは夫婦だった。



※…担任教師ジャージとサンダルで家庭
   訪問編


夕食時に家庭訪問に来る担任の先生のため
に、夫と次男が一緒に先生の分も夕食を作っ
て待っていた。


約束の時間から二時間経っても連絡もこない。
学校に連絡すると帰宅されたと言われた。


その数分後、「これから参ります」と担任。
午後九時を過ぎ、玄関の呼び鈴が鳴って
ドアを開けると、…


ジャージとサンダルのお風呂上がり姿の先生
が立っていた。「遅くなりましてすみません」。


そこに高校から帰宅した長男と玄関で会うなり、
「お兄ちゃん、〇高校なんだって? 進学校だ、
すごいね。


こんな弟の面倒まで見てえらいね」、先生は
何気なく言った。


長男は先生に「こんな弟でも僕の大切な
弟です!」と言ったきり部屋から出てこな
かった。


もう一度顔を見たらきっと殴っていたと言っ
ていた。


先生とは次男が困った時の対応や学校行事
への参加について話した。


夕食は食べてきたのでと断られた。私たちは
食べずに待っていたのだが。…



※…学習発表会、村人渋滞?


これで、少しなんとかなるのかと思ったら甘く
なかった。


秋の学習発表会、三年生は劇。たくさんの
配役のある「村人」役がある。


しかも台詞は一言。これなら劇にも参加でき
るかもしれない。


発表会に参加したい旨を先生に話した。
しかし、その役決めの時に学校を休んで
しまったから、もう村人の役はないと言われた。


欠席した方が悪いということだ。でも、先生に
はあらかじめ村人役をお願いしたいと伝え
ていた。


夫もこればかりは、先生とは何時間も話した
のに欠席裁判はあまりに残酷だ、


台詞がなくてもいい、みんなと一緒に何かを
する体験をさせてほしいと懇願した。


先生は「わかりました」と言ったのに、翌日、
「やはり無理でした」と電話。


「どうしてもその村人の役をやりたい子がいる」
って、村人ばかりの劇なのか?


私も夫も撃沈した。次男はもう学校に行く
希望をなくしていた。



※…・学びの支援の会、


開かれる 最終手段。教育委員会を通して対応
の再検討の機会が設けられた。


次男のための「学びの会」が校長・教頭・主任
・担任・学びの教室の先生参加のもと定期的
に開かれることになった。


次男が少しでも登校できるように配慮して
くれた。 学校の玄関で、大好きな主任の
先生と話して帰る、


あとは職員室登校、保健室登校。校長先生
は良い方で、何度か校長室登校もしていた。


校長先生からの直接授業、校長室で一緒に
給食を食べるなんて、ある意味貴重な経験を
させていただいた。


しかし、教室に入れなくなった次男にそれ
以上は無理だった。


教室に入ろうとすると全身が震え、脂汗、涙、
一歩も先に進めない。


毎日、校長室もつらい。帰宅するとやはり
パニック。一時間くらい泣いて暴れると落ち
着く。


家では、母のもとでは安心して過ごしているし、
大好きなお兄ちゃんが帰ってくると兄弟で
楽しく遊んでいて、どこが障害なのかわか
らない。








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