貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・漢の韓信

















楚の滅亡
漢は秦を否定する人々の意志によって勃興したが、
それを説明するためには秦の功罪をも説くべきであろう。


秦は諸国を滅ぼし、天下に覇を唱えた。その滅ぼされた国々の
ひとつに、楚という国がある。


かつて栄華を誇り、互いに覇権を競い合った諸侯国は紀元前
三世紀頃になると衰え、それぞれに滅亡の危機に瀕している。


このとき韓、趙、魏は秦によってすでに滅び、 戦国時代は終焉
の時を迎えようとしていた。


しかし、戦国の次にくる時代が平和だという保証はどこにもない。  


江南に位置する楚にも秦は触手を伸ばそうとしていた。
秦王政(後の始皇帝)の命によって発せられた二十万の軍隊が
楚の首都、郢えいに近づいている。


「秦軍はいま二手に分かれており、合流しようとしている。
我々はその合流地点に先回りをし、現れたふたつの軍を
各個に撃破するのだ」  


楚の宿将、項燕こうえんは広げられた地図を前にして部下に
説明を始めた。


「李信、蒙恬もうてんの軍が集結するのは、斥候から得られた
情報によると、ここだ」  


項燕の指は地図上にある城父じょうほという都市の位置を指し示した。
「集結地点に先に現れるのは、李信の軍である。


そこで我々は林の中に身を潜め、これを取り囲み、殲滅する……。


蒙恬の軍が現れるのは、半日後だ。我々は余裕を持って
これを迎え撃つことができるだろう」  


項燕は淡々と語ったので、かえって部下たちは安心できない。
李信は平輿へいよでさんざんに楚軍を撃ち破り、蒙恬も寝丘
で同様に楚軍を敗走させ、ついこの間も郢周辺で彼らは
翻弄されたばかりなのである。


項燕の感情が抜けたような物言いは、部下たちにとっては
彼が虚脱状態にあるように思えるのだった。


「奇襲によって李信の軍を破るのは可能かもしれませんが、
あとから無傷で現れる蒙恬軍を迎え撃つことは可能でしょうか…


…敵の数は半分と言えども、十万の軍勢は我々を上回ります」  
部下の質問に項燕は答えた。


「秦軍には慢心がある、とわしは思っている。蒙恬は李信以外
の者が集結地点で待っていることなど想像もしていないに
違いない。


蒙恬が無能だとか、驕慢だとかいうわけではなく、勝ちに乗じて
いる将軍とはそういうものだ」  部下たちはまだ信じられず、
軍議の座に不安の空気が流れる。


項燕はそれを察し、もうひと言付け足した。


「秦が楚を討つに際して、ある秦の将軍は六十万の兵が必要だ
と言ったそうだ。しかし李信は二十万で充分だと主張し、秦王は
それを可としたという。


これは李信はおろか、秦王も慢心している証拠であろう。
そして慢心しているうちが逆襲する機会である。


よって今、この瞬間から作戦を決行する」  


こうして項燕は部下を率い、林間に身を潜めて李信を待ち伏せした。
「見よ……。油断とはこのことだ。李信は陣も固めていない」  


項燕は李信軍が食事の支度をし始めた頃にこれを急襲し、
完膚無きほど撃ち破った。そして間をおかずに兵を返し、
言葉どおり油断していた蒙恬軍を破ることに成功した。  


ここで秦軍は七名の上級将校を戦死させる大敗を喫し、
城父はその城外まで、おびただしい数の遺体で埋め尽くされた。  


戦いは楚の勝利に終わり、秦は壊滅的な打撃を受けたが、
国力があるために回復は可能である。


しかし楚にとって次の敗北は国の滅亡を意味し、このたびの
勝利は余命を繋いだというくらいの意味しかもたなかった。  



韓信の父は、庶民というものを絵に描いたような男だった。
生活は楽ではなく、これといった定職もない。


矛盾しているようだが、それでいて働き者であった。
ある日に畑を耕していたかと思うと、 次の日は城内で井戸を掘る
作業をし、昼前に重い材木を肩に担いで歩いていた。
かと思えば、午後にはやはり畑を耕している、といった具合である。  


しかしそれもこれもすべて人にいいように使われて働いて
いるのだった。  そんな彼に良縁が舞い込み、邑(村)でも
一、二を争うほどの美女を嫁としたのだが、当初彼は自分の
そんな幸運が信じられず、あるいは騙されているのではないか
と疑い、妻を抱くこともできなかった。  


あり得ない幸運が信じられず、あるいは寝首をかかれるかと
思っていたのである。  


妻はそれを悲しみ、ある日夫に訴え、涙ながらに言った。


「私は日夜汗水たらして働くあなた様を尊敬していますのに、
なぜ抱いてくださらないのですか」  


それまでの人生で人に尊敬などされることもなかった韓信の
父は舞い上がり、わだかまりを捨ててその夜からしきりに
妻を抱くようになった。  


その結果、韓信が生まれた。  


韓信の父に転機が訪れたのは、韓信が生まれてから半年も
たたないころである。  なにが転機だったのかというと、
国から戦地処理の命を受けたことであった。


戦地処理といっても実際は死体を片付ける作業が主なので、
誰もが気味悪がってやりたがらない。


そんな仕事が回ってくるあたり、彼は自分の運の悪さを感じる
のであった。美女を妻とした反動であろうか、と思ったり
するのである。  


彼はそれを悪い意味での転機と捉えたのだった。  


手のかかる赤ん坊と妻を残し、長い間家を空けることには申し訳
なさを感じたが、国の命を受けて働くということは、考えように
よっては名誉なことに違いない。


そんな彼の考えを証明するように、 楚の朝廷は彼に爵一級を
授けたのである。  


今日から私は公士(一級爵の爵名)だ。喜び、意気込んだ夫を
妻は笑った。


「楚の国は圧迫され、よき人物がおらず、宮廷はあって無き
ようなもの、と聞きます。民爵をもらったといっても、おそらく
名ばかりのものでしょう。


与えるものがないから、爵を与えてごまかしているのです」  


本来爵に応じて農地や家屋が与えられるものであるが、
妻のいう通り韓信の父にはいっさいそのようなものは与えられ
なかった。


しかしもちろんそれを理由に命令を辞退するわけにはいかない。
彼は出発の前に妻に告げた。 「留守の間は、私の知り合いに
栽荘先生という方がおられるので、そのお方を頼るといい。


すでに私からおまえ達のことは依頼しておいた。


ご高齢で林間に隠れ住んでいるようなお方だが、智が高く、
温和な方でもあるゆえ、いずれ(息子の)信の教育をお願い
しようと思っていた。安心して身を寄せなさい」  


妻は寂しそうな顔をしたが、一方でその腕に抱かれた韓信は、
父の出発に際して泣きもしなかったという。  これには父の方が
泣きそうな顔をした。  


その韓信の父が赴いた先が、先に戦闘のあった城父である。
国を守ろうとして命を落とした名もなき兵士たちが、そこに
遺体を晒しているのであった。  


彼らを弔うことに大きな使命感や義務感をもった彼であったが、
城外まで漂ってくる屍臭を嗅ぐと、それらはぐらつき、腐乱した
遺体の群れを目にしたとき、それらは完全に失われた。  


戦地処理といっても後世のようになきがらを遺族の元に届ける
ようなことはせず、大きな穴を掘り、その中にどんどん遺体を
放り込んでいくだけである。


非情なようでも感情を抜きにして効率的に働かなければ、
作業する人間の方が耐えられなかった。  


黒の甲冑は秦兵の証である。遺体は秦兵のものばかりだった。
秦は敵軍であり、なおかつ虎狼の国と知りながらも、韓信の
父には哀れとしか思えなかった。  


なんと秦兵の姿の無惨なことよ。戦に負けるとはこういうことか。  
しかし、もし立場が逆だったら、と思うと末恐ろしくなる。


秦には逆襲する力が有り余るほど残っているが、楚にはそれが
まったく無いのだ。  













自然の成長の力が高まるこの季節は、人間の体の気も活動的
になり、新しい事へのチャレンジの気持ちが湧きやすくなります。


これも人間も天地自然の一部と考える『老子』の身体論からすれば、
とても自然なことなのです。 


そしてこの季節は、それを押しとどめることなく、無理なく行動に
移すことが体にも良いのです。  


ここで、大切なのは無理をしないことです。


『老子』も教えています。「企(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は
行かず」と。


基本は楽しく出来る範囲で行うということが、どなたでも最も
分かりやすい標準といえるでしょう。


そしてある時、楽しくなくなったとしたら、それは自分自身の
「気のパワー」以上に無理をされているということです。


無理は禁物ですね。





新しく何かにチャレンジしよう、という意欲がわかない、
なんとなく頭がぼっとする、


そういった方は、まず脳を活性化する必要があるかもしれません。
高齢化社会に突入した日本や先進諸国の人々が肉体の老化
とともに憂えているのは、認知症に代表される脳の老化です。


そこで、つねに脳を活性化し、柔軟に物事を受けいれる自分で
あるために、自分よりずっと若い人の話や、子供の話を素直に
聞いてみる、ということなのです。


これは家族仲も良くなり、コミュニケーションも自然に取れるよう
になり、非常に良い方法です。  


まさに子供は時代を反映しています。


話の内容も全く時代の最先端なのです。ところが大人は、
自分が育った時代の慣習や常識をついおしつけたくなり、
これではだめ、あれではだめ、と上から目線で話しがちです.


同じ目線ですなおな気持ちで若い友人と対話してみるのです。
当然、話の内容も、言葉使いも、皆さんの時代とは全く違う
ことでしょう。


ですがそれが変化です。


常にすべてのものが変化する、ということなのです。
そしていつの時代も、子供はその変化の最先端を走って
いると思えば、仕事で忙しいといわずに、子供や孫の話を
聞いてみることが大切な理由がわかります。  


そのちいさな努力で、あなた自身の考え方が柔軟になり、
仕事のアイデアがひらめいたり、また未来への展望が
開けるきっかけとなることでしょう。


きっとその時間は、これまでの親子と思って話をしていた、
孫と思って話を聞いていた時より、ずっと新鮮で楽しい
新しい世界が開けることでしょう。


もしお近くにそんな若い友人となる子供さんがいたら、
ぜひ話しかけてみようではありませんか。 …







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