貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・番外編

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あくまで動物であり、常に本能で動いている


犬と接するときはどんなことに気を付けるべきか。
ドッグトレーナーの鹿野正顕さんは「犬を擬人化
してはいけない。


あくまで動物であり、常に本能で動いている。
人間側の一方的な思いや価値観で犬と接して
はいけない」という


犬は本能を理性でコントロールできない


犬という動物を知る上で、大前提として知って
おきたいのは、五感の感覚が人間とはまった
く違うこと。


そして脳の働きも人間とはまるで違うという
ことです。


これは当たり前のことなのですが、ともすれば、
犬と家族同様に暮らしていくうちに、犬も人と
同じようにものを見たり聞いたりし、人と同じ
ような感情を持つように思い込んでしまう方
もいます。


同じ空間で生活していても、犬は人間とは違う
世界で生きています。


まず感覚受容器の構造が違うため、人と同じ
環境にいても、目、耳、鼻から受け取る情報
が人間とはまったく異なっているのです。


感覚受容器は、外部からの刺激を脳に伝え
て行動を促す役割があります。


動物の行動には、それを促す何らかの刺激が
必ず存在し、五感が敏感であるほど刺激を受
けやすいということになります。


その行動を司つかさどるのが脳ですが、人の
脳と、犬などの哺乳類の脳では大脳皮質
(大脳の表面部分)のとくに前頭葉の働きが
大きく違います。


前頭葉には、「思考・判断・情動のコントロール
・行動の指令」という大事な役割がありますが、
犬の前頭葉の働きは鈍く、


簡単に言うと「犬は人のように本能を理性で
コントロールすることが難しい」のです。


犬は哺乳動物のなかでも「頭がいい・かしこ
い動物」とされていますが、大脳皮質のうち
前頭葉の占める割合は、人は30%、犬は7%、
ネコは3%となっています。


つまり、犬は人間のように何か考えに基づい
て行動したり、意図的に行動をコントロール
することはほとんどできないのです。


人にいやがらせをすることはない


そうした脳の働きをふまえて、犬の行動や認知
能力を見ていくと、次のような特徴があること
がわかってきます。


感情をコントロールすることが苦手


犬は、高ぶった気持ちを自分で落ち着かせ
たり、がまんするなど、情動・感情のコントロール
が苦手です。


善悪の判断はしない、


人社会のルールも理解できない 人間のモラル
や道徳観とは無縁なので、自分の行為の善悪
の判断をしません。


基本、人の都合にはおかまいなしです。人社
会のルールをそのまま押し付けようとしても、
守るべき理由を理解できません。


先のことを予測して考えることができない


これをやったらどうなるか、という先のことを
考えることができません。


たとえば、子ども用のぬいぐるみの腕を噛ん
で振り回したら、腕が取れてボロボロになる……
といった行動の先の結果を予測することは
しないし、できないのです。


短期記憶は10秒程度で消えることも


記憶には短期記憶と長期記憶がありますが、
犬の短期記憶は30秒〜120秒程度とされ、
10秒程度で消えてしまうこともあります。


さっきやったばかりのこともすぐ忘れて、また
同じことをやるということが起こります。


人にいやがらせをすることはない


飼い主に対してわざといやがらせをすること
はありません。相手を困らせて喜ぶという発想
も想像力も持たないし、犬にそういう概念は
ないのです。 人がいやがることかどうかの判断
もできません。


してほしくないところへ排泄するケースも、


犬に「おしっこやうんちは汚い」という衛生観念
はないので、「これで人を困らせてやれ」と意図
することはあり得ないのです。


したがって、叱られた腹いせでわざとおしっこ
をするようなことはありません。


叱られても反省することはない


ほめことば/叱りことばだけかけても理解しない
「いい子だね」とか「いけない・ダメ」ということば
だけを聞いて、自分はほめられたとか叱られた
とかは理解できません。


ことばだけではなく、ことばプラスいい結果
(ごほうびがもらえる)、または悪い結果(リード
を強く引かれるなど)と結び付くことで、自分
の行為が肯定されたのか否定されたのかを
覚えていきます。


叱られても反省はしません


「うちのワンちゃんは叱るとシュンとなって反省
のポーズをします」という飼い主さんがいますが、
犬は叱られても反省はしません。


なぜ悪いことなのかを理解しないし、やったこと
を後悔もしません。


叱られておとなしくなるのは、飼い主さんが怖く
て萎縮しているだけなのです。


これはいくつかの実験でも明らかにされています。
叱られると目をそらしたりするのは、犬の目をじっ
と見て強い調子でしゃべる飼い主にケンカや闘い
の前ぶれを感じ、目をそらすことで「自分は闘い
モードではありません」という意志を示している
のです。


うなだれたり、体を縮めて“反省のポーズ”をし
ているように見えても、飼い主のふだんと違う
態度に怯えて、「早くこの恐怖から抜け出したい、
早くこのつらい時間が終わればいい」と思って
いるだけのことがほとんどです。


食事の回数は適量を複数回に


これは摂食行動の話になりますが、犬を初め
て飼ったとき、食べ物をいくらでも欲しがること
に驚いた人もいるのではないでしょうか。


犬は食べ物をほとんど一気食いしてしまい、出さ
れたものはいくらでも食べてしまう傾向があります。


これは犬が特別“食い意地が張っている”とい
うわけではありません。


犬は、人や他の動物ほど脳の満腹中枢が機能
していないため、「満腹感を感じにくい」という特徴
があるのです。


そして一度にたくさん食べるよりも、食べる回数
が増えるほうが犬はよろこぶのです。


そのため、しつけやトレーニングの際のごほうび
(トリーツ)として、好きな食べ物を何度でも与える
ことが有効な方法になってきます。


しつけ教室などでたまにいらっしゃるのは、
「食べ物で釣るなんて、浅ましくていやだ」という
飼い主さんです。


ごほうびに「おやつ」をあげてトレーニングする
ことを頑なに拒否する飼い主さんもいます。


それは「人間の物差し」でしか考えられない方
なのです。


しょっちゅう食べてばかりいるとか、もらうだけ
食べるのが“浅ましい”とか“意地汚い”と感じる
のは人間だけです。


動物にとって食べ物を見つければ口にするの
は別に浅ましいことではないし、食べたばかり
でも、もらったらまた食べるのは犬の本能なの
です。


満腹中枢がほとんど機能していないということは、
脳が「もう十分だ」という指令を出さないということ。


だから犬は「もうけっこう」なんて遠慮はしないし、
あげたらあげるだけ食べるのが普通なのです。


野生ではいつ食べ物にありつけるかわからな
いので、いまある食べ物を一気に丸呑みし、
大量にお腹にため込もうとしていました。


その名残で、犬はごはんをあげるとほとんど
噛まずに呑み込むようにして食べます。


猫はごはんを少し残したり、数度に分けて
食べることが多いのですが、犬は出されたも
のを一気に食べてしまいます。


そのため、留守番させるときなど、器に食べ物
を出しておくと一度で全部食べてしまうので、
自動給餌きゅうじ器を利用したり、遊びながら
食べ物が得られるおもちゃ(コングなど)を与え
るなどの工夫が必要になります。


動物を飼うことには向いていない人の特徴


人間と犬は感覚や脳の働きが大きく異なり
ます。 そこを理解せずに、犬をまるで同居人
のように擬人化して、人の感覚や「人間の物差し」
で行動を判断してしまうと、さまざまな誤解や人
の勝手な思い込みを生んでしまいます。


大事なのは、人間側の一方的な思いや価値観
だけで犬の行動を見ないことです。


こうしてほしいのに、なぜできないの?
何度も教えているのに、なぜ覚えないの?
犬と暮らしていれば、そのような不満が生じる
のは当たり前なのです。


人間側の都合ばかり押し付けたい人は、
はっきり言って動物を飼うことには向いて
いません。


犬はあくまで動物で、人と同じような考え方や
行動はしません。 人間の価値観や常識(人間
の物差し)で犬の行動を見てしまうのもやはり
間違っています。


犬の特性を尊重する姿勢を持てば、しつけや
トレーニングをする際にもよけいな悩みが減って
くると思います。


「犬は主人に対して忠誠心を持つ」は幻想


昔から犬は主人思いの動物とされて、「犬は三
日飼えば三年恩を忘れぬ」などと言われて
きました。


しかし、ここにも人間の勝手な思い込みが入っ
ている気がします。


ただ飼えばいいわけではなく、飼い主が本能
的欲求を満たしてくれる(十分な食事、安心な
寝床、一緒に遊んでスキンシップをしてくれる
など)ことがなければ恩は感じてくれません。


「動物なのだから、食べ物をあげていれば懐い
て恩を感じるだろう」と思うかもしれませんが、
それだけなら、よそでもっとたくさんごはんを
くれる人を見つければ、そっちへ行ってしま
います。


同様に「犬は主人に対して忠誠心を持つ」
というのも、ほとんどの場合、人間の思い込
みです。


これも親和性の高い飼い方をしない限り、ただ
の幻想と言っていいでしょう。


幸せホルモン(オキシトシン)に満たされるような、
安心と幸せを感じる関係にあれば、親愛の情や
絆を感じさせる行為がみられることはあります。


実際、「飼い主に危険が及ぶのを察知して知ら
せてくれた」とか、「か弱い子どもを懸命に守ろう
とした」といった感動的なエピソードには事欠
きません。


それを忠誠心と呼ぶのは自由ですが、犬は
犬社会でも、仲間に危険を警告したり、犬同士
で助け合う行動は普通にみられます。


それを飼い主に対しても行っているだけだ、と
いうドライな見方もできるのです。


群れで生活する動物には、危機に瀕ひんして
いる仲間を助けようという行為は珍しくありません。
社会性のある動物は、群れを維持していかない
と自分の生存も危ぶまれるからです。


たとえばゾウの集団では、子ゾウを協力して助け
たり守ったりしますが、それは群れ・集団の維持
のために仲間を守る行為なのです。


そうした行動は、ときに自己犠牲をともなう“利他
的”な、見返りを求めない無償の行為に見える
こともあります。


しかしそこには「自分の生存にも関わる」という
動物の本能がはたらいているはずなのです。


忠犬ハチ公の真実


犬は人間が好きですが、“欲求の期待に応えて
くれる存在”が好きなので、人に飼われても、
不満やストレスばかり抱えるようだと何年飼っても
恩義や忠誠心のようなものは抱きません。


ちなみに、有名な「忠犬ハチ公」の話があります
が、ハチは飼い主だった大学の先生を、亡くなっ
た後もずっと駅で待ち続けていたわけではなく、
好物の焼き鳥をくれる人を待っていたのが真実
だそうです(諸説あり)。


ハチの剝製は東京の国立科学博物館に現存
していますが、解剖した際にハチの胃袋からは
焼き鳥の串がいくつも出てきたそうです。…













※(体験談)


今から34年前、15歳だった頃に同級生の女子と
2人で家出をしました。


お金の無い中学生でしたが、お小遣いを貯めて
JRの切符を買い、北海道は函館から青森へ渡っ
たのです。


子供がいる今は「なんてことを......」と思います。
ですが、当時は真剣に、「家にはもう戻らない」
と息巻いていました。


駅で声をかけてきた男性の誘いに...


当時、田舎の若者の間では車でのナンパが
流行っていて、気が合えば一緒にドライブを
するなどというのがよくある光景でした。


だから青森に着いたら私たちもそんな風に誰か
と出会って泊めてもらい、バイトでもして暮らそう
と考えていました。


今思うと、呆れるほど無計画で、ゾッとします。


一歩間違えればとんでもないことになっていた
でしょう。 しかし、無知で世間知らず、怖いもの
知らずの中学生女子2人はそれを実行してしま
いました。


青森駅でJRを降りたところで、男性2人組に声
をかけられ、私たちは彼らの車に乗りこみました。


そこから4人で2時間ほど一緒に過ごしたのです
が、私たちが青森に来た経緯を話しているうちに、
彼らの表情と態度が変わっていきました。


そして、私たちが乗っている車はなぜか街から
離れていって......「どこへ行くの?」と聞いても
答えてくれませんでした。


連れていかれたのは...


でも、不思議と怖くなくて、他愛もない話をして
いるうちに私と友人は寝てしまいました。


今思えばゾッとしますが(笑) そして、「着いたよ」
と起こされたのは大間町にあるフェリー乗り場
でした。


言われるまま降りると、彼らはお腹が空いてる
だろうと言って、うどんを奢ってくれました。


一緒に食べているうちに、彼らは言いました。


「北海道に帰りなよ」 そこからは嫌だとダダを
こねる子供を大人が「帰らなきゃダメだ」と説得
する時間に。


うろ覚えですが、1人が私たちを説得している
間に、もう1人が切符を購入していました。


2人で相談して役割を決めていたのでしょう。


そうしている間に出航時間になり、私たちは
不本意ながらフェリーに乗船。北海道に着いた
のは深夜ですぐには家に帰れませんでしたが、
地元の友人宅を訪ね、翌朝には2人とも自宅に
戻りました。


「今あるすべてが、彼らのおかげ」


思春期にちょっとグレてしまった家出少女2人は、
離れた街で見知らぬ男性2人に人生を救われ
ました。


思えば放っておくこともできたでしょうに、うどん
代やフェリー代といったお金と、時間を使って、
名前も知らない子供2人にそこまでしてくれる人
はそういないと思います。


自分なら、面倒でかかわるのは嫌だと、元の場所
にでも降ろしたかもしれません。


その2人に会っていなければ私たちは今、
生きていたのかどうか......。


一緒に家出をした友人とは学校を卒業してから、
会うことはなくなりました。ですが風の噂で、友人
も家庭を築き幸せに暮らしているそうです。


自分も幸せに過ごしています。


人生でたくさんの人と出会い救われていますが、
あの時ほど感謝している人はいません。今ある
すべてが、彼らのおかげと言っても過言では
ないですし、そう思っています。


34年前に青森の駅前通りで家出少女をフェリー
に乗せた男性2人。きっと今は50代半ばくらい
でしょうか。


見つける事はできないでしょうが、伝えきれ
ない感謝をここに。 本当に本当にありがとう
ございました!









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