貧者の一灯 ブログ

信じれば真実・疑えば妄想

貧者の一灯・妄想劇場

















ある日、高校時代の友人が亡くなったと連絡が
ありました。知らない声の女性でした。


なぜ私の携帯番号を知ったのかと聞くと 「彼女
から聞いていた。あなたが彼女の唯一の親友
だから。」 という答えが返ってきました。


電話をしてきた方は、亡くなった彼女の幼馴染
で、家が隣だと言います。


ですが私が亡くなった彼女(仮にAさんとして
おきます)の親友って…そんなはずはありません。


確かに同じ部活をしていましたが、Aさんは皆か
ら人気があり、美人で注目を浴びる人でした。


性格がよくいつも明るい。 女子が噂する男性
達も、皆口々に彼女が好きだと言います。


Aさんはよく私に、悩み事を相談していました。
あの人は気持ちが悪いとか、交際を断りたいとか。
私にすれば贅沢な悩みです。


Aさんは周りに気を使い過ぎて、実は見かけに
よらず神経質なのだと自分で言っていました。


印象に残っているのは、私が思いを寄せていた
先輩の話です。


Aからいきなり、その先輩に襲われたと泣かれ
て告白され、耳を塞ぎたい気分でした。


そんな筈はない! 先輩は私が知る限りは真面
目で、たくましく、頭もいい。 いくらAが魅力的だ
からって、そんな暴挙に及ぶなんて有り得ない。


私は聞かなかったことにして、彼女の話をやり
過ごしました。


結局、先輩は私のような平凡な女子ではなく、
彼女のように華のある人が似合うと思い、気持
ちを打ち明ける事無くそのまま卒業しました。


同窓会で10数年振りにAさんと会った時、相変
わらず周りは取り巻きが出来、チヤホヤされて
いました。


Aは未だ独身で結婚の予定はないと言ってい
ましたが、その言葉が信じられません。


可愛いワンピース姿で、ニコニコと愛想を振り
まく彼女に何となく嫌悪感を抱いた私は、久し
ぶりの再会でしたが距離を置いて交流を避け
ました。


「もう死にたい。」 ある晩、Aさんからメールが
来ました。 正直面倒だと思いました。それでも
1時間ほど付き合って励まし、区切りをつけました。


Aさんとは高校時代から特にプライベートで会う
事も無く、年に1度か2度のメールだけが接点で
した。


私には他にも親しい友人が居ましたし、Aさん
だって人気者ですから私より数倍もの友人が
いるはず。 友達という意識も無かった。


それから数日経っての、今回の訃報です。


え?死にたいって本気だったの? 私は幼馴染
だと名乗る方の電話に当惑しました。


「私は嫌な女で、誰も好きになれない。 あっち
からは言い寄られてばかりで、もう疲れた。


いつも同じ。 好きになれないどころか、優しく
されると気持ちが悪い。 ただ用事がある時だけ
会ってくれる人っていないのかな。」


確かAさんは、亡くなる前にこんな内容の話を
していました。 程なくして、私はAさんの墓参り
へ行きました。


知らない仲では無い訳ですし、せめてさよなら
だけは伝えようと思ったのが理由でしたが、それ
よりも気になる出来事がありました。


墓参りの3日くらい前、母親から電話がありました。
Aさんの父親から突然道で話しかけられたと言う
のです。


「娘がお宅のお子さんに大変お世話になりました。
最後の晩にも会いたいと言っていました。」 そう
言われたのだそうです。


ですがおかしな話で、母親はAさんの名前くらい
は聞いた事があるが、父親には会った事も無く、
道端で話し掛けられるような関係ではありません
でした。


この時も後に、声をかけてきた人が誰なのか、
母親が周りの人に聞いて判明したくらいです。


「あなたと仲が良いと聞いたから一応知らせたけど。」
と、母親もどこか腑に落ちない様子です。


Aさんの実家に連絡をとり、お墓の場所を聞いて
向かいました。 もう少しで着くかなと思った瞬間
でした。


急に心臓の鼓動が激しくなり、脂汗が流れました。
大袈裟ではなく息も出来ません。


私は道路脇にへたり込み、空を仰ぎながら頭の
中で呟きました。


「会いたくない気分なの?なら帰るから、イタズラ
しないでよ。」


しばらくするとなんとか呼吸が落ち着きました。
私は来た道を戻り、離れるごとに体が楽になっ
たことで確信しました。


私はAさんにとって、丁度良い存在なのだと。


会いたい時だけ会えれば良い、そのタイミングも
Aさん次第なのです。


墓参りに行った晩、私の実家にAさんの父親
から、墓参りのお礼の電話があったそうです。


「彼女がすごく喜んでいたと、お伝え下さい。」
父親はそう言っていたそうです。


何か普通ではないものを感じました。 Aさんとは
離れなければ。


親友ではないし、一方的な思い込みだと伝えたい。
ですが、死んでしまった彼女に話をすることも
できません。


迷った挙句、私はAさんのメールアドレスに連絡
をしました。 「もう私に連絡しないで。用があれば、
こちらから知らせる。呼ばれても行けない。」


すると返信がありました。 「ご迷惑をお掛けしました。」
後に、私の周りの男性は全て、1度はAさんに思い
を告白したことがあると知りました。


女だけの集まりでも、昔話となると必ずAさんが
話題になります。


人に好かれる事が当たり前のAさんに、私だけは
何の興味も持たず、むしろ疎ましさすらありました。


そういった意味では、Aさんにとって私は特別
だったのかもしれません。 。…













※…鵯


私は1日分の家庭生ゴミを蓋付きのポリケース
に溜めておき、それをウチの旦那に頼んで庭
に埋めてもらっている。


彼は、順次掘り起こしやすいところに埋めるだけ
で、庭木や草花のことは一切気にしない。しかし、
それでもなにがしかの効果が現れてくる。


薔薇は大輪の花を付けるし、木々も青々と茂る。
そして、1本あるネーブルオレンジの木はたわわ
に実を付ける。


もちろん裏年に当たる時は控えめだが、結構
楽しめる程度には実が成るのだ。


今春の収穫は例年を上回り、バケツに3杯ほど
採れた。実太りも上々である。 それに何と言っ
ても味が市販されているものとは全然違う。


甘みも、酸味も強烈に強いのだ。これぞ生ゴミ
の威力である。 しかし、難問が一つある。


鵯ひよどりだ。鵯は、山でも市街地でも年がら
年中見かける野鳥だから、「留鳥」的であるが、
朝鮮半島から渡ってくる「渡り鳥」的一面と、北海
道などから飛来する「漂鳥」的側面とを持っている。


鵯は平安貴族に飼育されていた鳥だと聞いても、
にわかに信じがたい愛嬌のなさだ。近年は、鳴き
声が甲高いので騒音「害鳥」とさえ見なされている。


私はネーブルオレンジの実が木で十分に甘く熟し
てから収穫したいと思っているのだが、鵯は少し
でも甘くなると鋭いくちばしで次々穴を開けていく。


木の側にじっと立って見張りをしている訳にも行
かないし、網を掛けるほどの熱情もない。食われ
るままに、おこぼれを頂戴しているのが現状である。


何かの用で木の側に近づくと、例の甲高い声で
ピーヨ、ピーヨとけたたましく警戒音を発する。
本当に可愛くない鳥だ!


鵯にオレンジつつかれ駆け寄れば大穴残して
ピーヨピーヨと(愚女)


※…カエルの大合唱


30年くらい前、岡山県の玉島阿賀崎たましまあが
さきに住んでいたが、お向かいは退職された元
警察官のお宅だった。


ご夫婦には、とても親切にして頂いたのだが、
署長さんにまで上り詰められたご主人はなか
なかの趣味人で、彫刻、その他、数多い趣味
の一つに家庭菜園があった。


それで、よくご自分の畑に植えられる苗の余った
ものを我が家に持って来て下さった。お陰で、我
が家でもトマトやグリンピースなどを見様見真似で
栽培して楽しませてもらった。


岡山で暮らしていた時の我が家は、敷地は100
坪くらい有ったのだが、その中に建っている家
は本当に小さな平家だった。


四方溝に囲まれていて、いつも少し水が溜まっ
ている状態だったからか、夏になるとカエルが
活動し始める。


小さいシュレーゲルアオガエルから、大きなウシ
ガエルまでいて、どうしてこんなに種類が豊富な
んだろうと思ったものだ。


そして、外国産のカエルが多いのには驚いた。
人間が連れて来たのには違いなく、当初は色
んな目的があったのだろう。


台風が去った翌日、シュレーゲルアオガエルが
庭先のベランダに入り込んできた時は、飽きず
に眺めたものだ。


あまりに小さく、色鮮やかで、可愛い。生き物と
は思えず、美しい飾り物という感じがした。


ウシガエルは、食用ガエルとも呼ばれる。味が
鶏のささみに似ているので、1920年代には窮乏
する農村に養殖を奨励していたらしいが、日本
ではカエルの肉は定着しなかった。


そのためウシガエルは捕獲されることもなく、
自然増殖してしまったらしい。


結果、田んぼとは無関係な我が家の溝でも毎夜
鳴き声を競う事になる。 ゲロゲロ、ブオーッ。
ゲコゲコ、ブオーッ。


夜中寝静まってからでも、うんざりするほど
大合唱は続くのだった。



※…源氏ボタル


夏が近づくと思い出す。何年前になるだろう。
ウチの旦那が香川県高松市で勤務していた時、
勤め先の人達と一緒に源氏ボタルを観に行っ
た事がある。


町の名前も忘れてしまったけど、かなりの郊外
だったと記憶している。 今ネットで調べてみると
塩江町しおのえちょうとある。


塩江町にお住まいのご同僚がいらしたので、私達
は、そこへ一旦落ち着き、日の暮れるのを待った。


その間、そのお宅では色々お心のこもったお摘
つまみを出して頂き、しばし雑談に花が咲いた。
これも楽しい思い出である。


あの時の部長様のお顔、後輩のご同僚様方の
お話、細々と思い出される。


さて、日もようやく落ちた頃、真っ暗な中、懐中
電灯片手に細い小川に近づいて行った。


サラサラとせせらぎの音が聞こえるようになると、
沢山の蛍が飛び交っているのが見えた。


それは美しく幻想的である。


更に近づくと、蛍は恐れずに、私達の体の周り
を飛び交う。 私が知っている蛍火とは違い、一
つ一つに結構なボリュームがあった。


源氏ボタルは、標準的なものよりかなり大型の
ホタルなのだ。


源氏ボタルの名前の由来には2説有ったと思う。
一つは、平家追討のため挙兵した源頼政の源氏、


もう一つは、源氏物語の光源氏。源氏ボタルが
あるのだ、


平家ボタルも有っていい。 源氏ボタル以外の
普通のホタルを平家ボタルと呼ぶらしい。


他に平家ボタルより一回り小さい姫ボタルという
のもあるそうな。


参加者の誰一人、蛍を持ち帰る者がいなかっ
たのは、私達の良識だったのか、元々禁止さ
れていたのか。…


…(続く)






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